第6話 激戦を終えて
意識が、ゆっくりと浮上する。
最初に感じたのは、重さだった。
手足に、胸に、身体の内側にまで鉛を流し込まれたかのような感覚。
息を吸うだけで、世界そのものが抵抗してくる。
「……?」
掠れた声が、静かな室内に落ちた。
天井が見える。
木造の梁、白い布のカーテン、淡く揺れる光。
見覚えがある。
否、正確には――知っている場所だ。
「……ここ、どこや……?」
ユウトが戸惑うように呟いた、その直後。
記憶が、一気に繋がった。
ギルドハウス内の療養所。
重傷者が運び込まれる、戦いの“後”の場所。
デーモンオーク。
支援魔法の重ね掛け。
そして、時空間魔法の酷使。
自分の身体が、無事であるはずがない理由を、彼自身が一番理解していた。
「……そら、こうなるわな……」
苦笑気味の声は、しかし途中で途切れる。
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
そのときだった。
ベッドの傍に、小さな影があることに気づく。
椅子ではない。
誰かが、床に座り込むようにして、ベッドにもたれかかっている。
白い髪。
伏せられた頭。
「……ティナ?」
ユウトが名を呼ぶ。
その瞬間、影がびくりと揺れた。
次いで、ゆっくりと顔が上がる。
赤い瞳。
そして――はっきり分かるほど、潤んだ目。
「……ユウト……?」
信じられないものを見るような声。
次の瞬間、ティナは立ち上がり――
否、ほとんど倒れ込むように、ユウトの胸元へと縋りついた。
「……っ」
ユウトの身体が、わずかに軋む。
ティナは顔を埋めたまま、震える声を零した。
「……よかった……」
「……起きて……くれて……」
胸元が、じわりと濡れる。
「……もう……」
「……目、覚まさないかと……」
嗚咽を堪えようとするが、抑えきれていない。
「……勝手に……無茶して……」
「……置いて……いくなっ……」
今まで見せたことのない姿。
感情を剥き出しにした、幼いほどの声音。
ユウトは困惑したまま、視線を泳がせる。
「……ティナ……?」
「いや、その……」
状況が、理解できていない。
彼女にとって、自分がどれほど大きな存在になりつつあるのか――
ユウト自身は、まだ気づいていなかった。
「……大丈夫や」
「ほら、生きてるやろ」
そう言うのが、精一杯だった。
そのとき、扉が開く音がした。
「おー……生き返ったか」
軽い調子の声。
包帯を全身にぐるぐる巻きにしたライトが、アルナに肩を支えられながら入ってくる。
二人とも満身創痍だが、確かに生きている。
ユウトの表情が、安堵に緩んだ。
「……ライト……」
「無事やったんか……」
「見ての通りだ。まあ、ボロボロだがな」
ライトは苦笑し、アルナに支えられて椅子に座る。
アルナも疲労の色を隠せないまま、深く頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「私の魔法、足りなかった……」
「俺の指揮もだ」
「結果的に、みんなに無茶をさせた」
短い沈黙。
ユウトは、静かに息を整えてから言った。
「……違う」
二人の視線が向く。
「アルナの魔法がなかったら」
「前線、耐えきれへんかった」
「ライトの判断がなかったら」
「全滅してた可能性、高い」
ゆっくりと、言葉を続ける。
「……全員、生きてる」
「それが、答えや」
アルナは目を伏せ、ライトはしばらく黙ってから頷いた。
再び、静寂。
薬草の香りと、誰かの呼吸音だけが残る。
その空気を切り裂いたのは、ライトだった。
声の調子が、一段低くなる。
「……ユウト」
「一つ、報告がある」
室内の温度が、目に見えず下がった。
「今回の悪魔の森だが」
「理解してるだろうが本来、あのオークが出る場所じゃない」
ティナが、顔を上げる。
アルナも息を呑む。
「ほぼ間違いない」
「魔王軍幹部が、関与している」
言葉が落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
「誘導か、実験か……」
「理由は不明だが――」
ライトの視線が、全員を射抜く。
「もう、偶然じゃ済まされない段階に入っている」
ユウトは、天井を見上げ、ゆっくり息を吐いた。
「……厄介な話になってきたな」
それは、終わりを告げる言葉ではない。
この戦いが、
ただの“始まり”に過ぎないことを――
全員が、理解していた。
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「……まず、結果から話すよ」
ライトの声は落ち着いていた。
だが、その静けさが、かえって事の重さを物語っている。
「僕達の戦闘後、ギルドは悪魔の森を調査した」
療養室の空気が、じわりと張り詰める。
「オークの足跡、血痕、魔力反応……可能な限り洗い出した」
そこで、ライトは一拍置いた。
「――でもね」
ユウトの喉が、無意識に鳴る。
嫌な予感に、胸の奥がざわついた。
「オークの死体は……消えていた」
その言葉が落ちた瞬間、
ユウトは思わず唾を飲み込んだ。
喉を通る感覚が、やけに大きい。
心臓の鼓動が、少しだけ速くなる。
「完全に、だ」
「回収された形跡も、捕食された痕跡もない」
ティナの指先が、わずかに震える。
アルナの表情も、見るからに硬くなった。
「僕たちの証言と、戦闘データを総合して」
「ギルドは、あのオークに正式な呼称を与えた」
ライトは淡々と言う。
「――『デーモンオーク』」
名前を与えられたことで、
それは“異常”ではなく、“脅威”として確定した。
「さらに、だ」
ライトは視線を伏せ、続ける。
「悪魔の森を調査したAランク冒険者がいる」
「その人物の報告によれば……」
一瞬の沈黙。
「魔王軍幹部クラスの魔力の残滓が、微量だが確認された」
室内の空気が、目に見えない圧となって沈む。
「高ランクの魔術師や魔族は、痕跡を消すのが上手い」
「でも、探知能力も……同じく高ランクになればなるほど鋭い」
そこで、ユウトが口を開いた。
「……なあ」
視線が集まる。
「仮にや」
「……あのレベルのオークを、召喚か生成できる存在なら」
言葉を選びながら、続ける。
「Aランク冒険者程度に」
「見つかるようなヘマ、せぇへんやろ?」
静かな問いだったが、鋭かった。
ライトはすぐに答えず、少し考えるように間を置く。
「……これは、あくまで仮説だけど」
そう前置きしてから、言う。
「僕たち、あるいは……」
「ティナをおびき寄せるための【餌】だった可能性が高い」
重い沈黙が落ちる。
ティナ。
ライト。
アルナ。
そしてユウト。
全員が、
魔王軍幹部クラスに“個人的に認識されている”。
その事実が、療養室を満たした。
「……まあ」
ライトは、空気を和らげるように肩をすくめた。
「今の僕たちにできることはない」
「だから今日は、ゆっくり休もうか」
そして、ユウトを見る。
「君も、今日は起きたばかりだし」
「詳しい説明は……また後日、改めて話すよ」
含みのある言い方だった。
「……せやな」
ユウトは完全に納得できないまま、そう返す。
「今は、身体治す方が先や」
ライトは頷き、アルナに合図する。
「じゃ、僕たちはこれで」
「無理はしないで」
アルナは包帯だらけのライトを支えながら一礼し、
二人は静かに療養室を後にした。
扉が閉まり、音が消える。
残されたのは、ユウトとティナだけ。
しばらくして、ティナが口を開いた。
「……ユウト」
「さっきの戦いで使った魔法……」
言葉を濁しながらも、視線は逸らさない。
「……時空間魔法やろ」
ユウトが先に察し、言う。
「【時空間魔法・開】」
「――【加速神域】」
淡々と説明する。
「周囲の時間感覚を引き上げて」
「味方と自分だけを、無理矢理“先”に進める魔法や」
「……代償は?」
ティナの問いは、低く、真剣だった。
ユウトは一瞬、言葉に詰まり、視線を逸らす。
「身体への負担が、でかい」
「使えば使うほど、内側から削られる」
それ以上は、語らない。
「……連発できるようなもんやない」
沈黙。
ティナはしばらく俯いてから、
意を決したようにユウトを見た。
「……もう」
声が、少し震える。
「もう、使わないで」
「……あの魔法」
それは命令ではなく、
懇願に近い響きだった。
ユウトは、一瞬だけ言葉を失う。
それから、困ったように笑って――
「……善処するわ」
軽く、はぐらかすように言った。
「必要になったら、考える」
「せやけど、無茶はせぇへん」
ティナは、その答えに納得していないのが分かる表情をした。
それでも、これ以上は踏み込まなかった。
代わりに、ユウトの手をそっと握る。
強くはない。
だが、離す気はない握り方だった。
ユウトは、その温もりの意味を、まだ正しく理解していない。
だがこの時すでに、
ティナにとってユウトは――
失ってはいけない存在になりつつあった。
静かな療養室に、
次なる嵐の気配だけが、確かに残っていた。




