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第六話

 出立の準備を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。シアはすでにベッドにもぐって眠っている。アルドは自分のリュックから手帳を取り出すと窓辺で開き、ペンを走らせた。


 ──親愛なる母さんと妹へ。


 二人とも、天国で幸せに暮らしているだろうか。


 俺とシアは、ヤハラ国の隣にあるハッシャ国に来た。


 ヤハラ国の会議でシアがベルーセ村の被害について話したと、以前書いたよな。


 ベルーセ村のことが表沙汰になって一件落着なんじゃないかって、俺は考えてた。


 でも今日、そうじゃなかったんだって気付いたよ。だからシアがハッシャ国にやってきたんだってことが、身に沁みてよくわかった。


 ……ヤハラの国の人たちは、他のことに興味が移ってしまったみたいだ。


 大御所芸術家の盗作問題だってさ。


 ──あんまりだよな。ベルーセ村からの略奪より、大御所芸術家が駆け出し芸術家から作品を盗んだことの方が、騒がれてる。


 不正を糾すことに、本来は大きいも小さいもないんだろう。


 だけど、俺は釈然としない。


 夜闇のなかで、手探りで火の見櫓にのぼって、必死で鐘を鳴らした日のことがどうしても頭にこびりついてる。


 シアは「とかげの尻尾切りみたいな形で終わらせるなんて、私が許さない」って言ってる。ヤハラ国のタカ派議員は産業スパイ対策のために、ベルーセ村の被害に話を戻すに違いないって言ってる。


 だけど、俺のなかでは産業スパイの話と、ベルーセ村の被害の話が、うまく結びついてないんだ。


 今日、ハッシャ国の偉い人に会ったよ。


 ハッシャ国はヤハラ国が過去に起こした人権問題について、ずっと対応を求めてるらしい。賠償もされたと聞いた。


 シアは、「ベルーセ村の被害は、呼び水になります。ヤハラ国は昔と変わっていないのでは? と指摘できる」なんて言っていた。


 俺には難しいことはよくわからないけれど、ハッシャの偉い人が、ベルーセ村での被害に涙ぐんでくれたことが、とてもうれしかった。


 シアは「感情を煽る人には気をつけて」なんて言うけれど、自分のことのように受け取ってくれた人がいたのが、どれだけうれしかったか。


「我々は人権を大いに尊重する国です。このようなことは、あってはならないんですよ」──ハッシャの偉い人はそう言ってくれた。


 本当に感動したんだ。


 だけど、帰り道に市場で、浮浪児みたいな女の子が乱暴されていた。まだ十歳にもなってないような子供だ。仕事をしろ、サボるな、折檻だ──そんなふうに怒鳴られてた。


 女の子が髪の毛をつかまれたとき……、ベルーセ村でのことが頭に蘇ったよ。


 髪の毛をつかまれて、剣で胸を突き刺された妹の姿が、重なって見えたんだ。


 あのとき、俺は間に合わなかった。今度こそ助けなきゃいけない。


 だから助けた。俺は騎士だから、目の前で困っている人を助けるのが役目だと思っている。


 でも同時に、落ち込んだ。


 本当に人権を尊重する国なら、これはよくない。


 ……ちょっとガッカリした。これは俺が、期待し過ぎたせいかもしれないな。


 きっと、どこの国でもそういうことはあるんだろう。


 理念や理想と、現実が違うことなんてよくあることだ。


 どこの国にも悪い奴はいて、どこの国にも犯罪がある。犯罪が全くない国なんてない。


 その上で、理念や理想として、人権の尊重を目指すことは、とても大切だと俺は思う。


 ベルーセ村の被害を公にすることもその一つだ。


 ……妹は「騎士道精神ってやつ?」って笑うんだろうな。


 俺は市場であの女の子を助けたけれど、英雄になれたとは思わない。きっとあの子の日常はしばらくは変わらないだろうから。


 シアが「構造からなんとかしなきゃ」って言うのは、こういうことなんだろうって実感したよ。


 いつか、被害を受けたベルーセ村も、あの子も、救われる日が来ると信じている。


 そのために俺は、シアを守る。


 母さんと妹も、見守ってくれるとうれしい。


 それじゃまた。


 ──アルド


 アルドは大きくため息をつくと、手帳をそっと閉じて、椅子から立ち上がった。


 そうして自分のリュックに手帳を入れると、シアが眠っているベッドの端に、そっと身体を横たえた。


 目を閉じていると、じわじわと心細さがやってくる。アルドはためらいながらシアに腕を伸ばして、布団に顔をうずめた。


 寝ぼけたシアの脚が飛んでくる。


「……痛い」


 アルドはシアに伸ばした腕を元に戻して、そっとシアの寝顔を見守った。

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