044 -Aono-
天気予報では一日中雨予報だったので、蒼乃はいつもよりも早く起きて、徒歩で学校に向かった。まだ中途覚醒の頭で、律のことを考える。入学してから毎日彼女のことを考えているが、付き合えてからは常に考えている。成績が落ちていないことが不思議だった。
念のため早く家を出たせいで、学校にも早く着く。まだ律は来ていなかった。雨の日はバスが遅れがちと言っていたので、ギリギリに来るのかもしれない。
「おはよう!」
朝から元気に遥が入ってきた。朝練組が来る時間だというのに、まだ愛しの彼女は来なかった。しかし、遅れるなら蒼乃に一報あるはずだ。スマホを何度も確認しているが、メッセージはこない。
「あれー、りっちゃんは休み?」
「さぁ。私のところに連絡きていないの。遥のところは?」
聞いていてなんだが、蒼乃のところに連絡がきていないのに遥のところにきていたとしたらショックだ。
「きてないと思うよ……うん、きてないねー」
遥はスマホを確認して、手を上げた。
とうとうチャイムが鳴り、担任の八重樫が入ってくる。八重樫は座席の状況を一瞥してから、いつも通り連絡事項に移る。八重樫が蒼乃たちに何も聞いてこないということは、八重樫には欠席の連絡がいっているらしい。
蒼乃に連絡が取れないほどの病気や怪我なのかもしれない。心配をし始めたら、八重樫の言葉など右から左だった。
「相澤さん、……相澤さん」
名前を呼ばれていることに気づいた時には、八重樫が蒼乃の席まで来ていた。
「相澤さん。簡単な方のアイザワさんだけど、今は保健室にいるわ。体調が優れないとかで」
「保健室?」
蒼乃は反射的に立ち上がり、廊下に走る。後ろから「ちゃんと授業には出なさいよ」と念を押されたが、聞かなかったことにした。
一年生の教室は四階で、保健室は一階にある。蒼乃は転ばぬよう気をつけながら階段を駆け下りる。
ノックをすることなく保健室のドアを開けると、「静かに」と注意された。
保健室にいたのは当たり前だが養護教諭の先生だった。南美咲。一回りほど蒼乃たちと歳は離れているが、それを感じさせないほどの柔らかな雰囲気がある。
「南先生、律がいるって聞いたのですが」
「相沢さんね、奥のベッドにいるわよ」
蒼乃は小走りでベッドの方に駆け寄り、閉まっていたカーテンを開ける。ベッドの上には縮こまって横になる制服姿の律がいた。カーテンの開く音にびっくりしてこちらを振り返っている。
「律。心配したのよ。どうしたの」
いつもより顔が青白い。
「蒼ちゃんか。ごめん、連絡しようとは思ったんだけど……」
体調が悪くてスマホをいじる元気がなかったようだ。
「あの……生理痛で」
縮こまっていたのはお腹を抑えていたからだった。蒼乃は「大丈夫?」と聞きながら、細い背中を撫でた。律の体がこちらに向き直った。
「薬飲んだから……もう少ししたら元気になるよ」
それでも今辛いのは変わらない。蒼乃は背中にかかっていなかった掛け布団を掛け直してやった。身長のわりに長い指が、蒼乃の指を引っ掛けた。蒼乃は指を引いて握る。
「どう? 横になって少しは楽になった?」
南が開けっ放しになっていたカーテンの隙間から顔を出した。
「まだ辛いみたいです」
蒼乃が律の代わりに答える。
「こればかりはなんともねー。薬が効けばいいのだけど」
南は一度カーテンから出て、パイプ椅子をどこからか持ってきて蒼乃に渡す。
一時間目のチャイムが鳴った。
「いいんですか?」
「相澤さんが戻りたいなら戻った方がいいと思うわよ」
「戻りたくないです」
「それならどうぞ使って」
南はカーテンを閉めて出ていってしまう。
パイプ椅子を広げ、ベッドにつけるようにして座る。お腹を抱えていない左手を両手で握った。
「蒼ちゃん、授業」
「いいの。出てもどうせ上の空だし。それに私は素行が悪いから」
「不良娘だ」
話せる元気は残っているようでよかった。
「いつもこんなに重いの?」
「いやー……昨日チョコ食べ過ぎたからかも」
生理中にチョコを食べない方がいいという話は聞いたことがある。ネットで調べてみると、やはり取り過ぎない方がいいらしい。
「数日くらい甘いもの我慢しなさいよ」
「蒼ちゃんは数日、私を我慢しろって言われてできる?」
「できない」
でも、それとこれでは話が違う。律とチョコは同じ重みではないのだから。
「蒼ちゃんの手あったかいね」
階段を走って下りたからかもしれない。
「無理して話さないで寝てていいのよ」
「話している方が楽」
もぞもぞと布団の中の律が動く。体勢を変えたらしかった。
「国語サボっちゃったから、あとでひなちゃんにノート借りないとね」
遥は寝ていることが多いので、ノートはあてにならなかった。
「律って文系科目苦手なのに、どうして国語だけはできるの?」
「なんでかな。なんか中学の時からそうなんだけど、この先生ならこうゆう問題好きそうってゆうのが分かるんだよ」
人たらしと同じ仕組みなのかなと蒼乃は思った。
「国語って問題に答えがあるから覚えなくていいし、漢字が分からなくても大した損失にならないし」
「漢字はちゃんと覚えた方がいいわよ」
「薔薇なら書ける」
「それは入試でも出ないでしょう」
握っている手を律が動かす。薔薇と書いているらしかったが、蒼乃は正解を知らない。
「私よりも明らかに読書量が少ないのに納得いかない」
「私だって読んでますよー」
「漫画ばかりでしょう」
部屋の本棚を見た時、あまり活字系の本は並んでいなかった。
「漫画も役に立つよ? ドイツ語とか言えるよ、私」
「へぇ、例えば?」
「イッヒ・リーベ・ディヒ」
「どういう意味なの?」
「秘密」
律はいたずらをした子供のように笑う。蒼乃は音を頭に残し、あとで検索にかけることにした。
「でも、できればドイツ語より英語を覚えてほしいわ」
「英語よりドイツ語の方がかっこいいんだもの」
男子中学生みたいなことを言う。蒼乃はちょっと呆れた。
「英語はねぇ、なんか急に難しくなったよねぇ。中学の時は得意だったはずなんだけど」
英語の話をしていると、保健室の扉が開いた。
「あら、どうしたの?」
南がタメ口をきいた相手は、英語の教科担当でもある八重樫だった。




