033 -Aono-
蒼乃はもう少し怒るつもりだった。でも、あんな縋るような目で見られたら怒るものも怒れない。甘いなぁと自分でも思った。
それとすっかり補講が開かれると思っていたら、課題だったというのも嬉しいことの一つであった。髪を染めたり、ピアスを開けたりと決して素行が良いとは言えない蒼乃だが、持ち前の学力で担任からの信頼は勝ち得ていたようだ。
課題が出てからも毎日放課後に律の勉強をみているので、テスト勉強とあわせて二週間以上ずっと一緒にいる。うち一日は勉強をしていないけれど。
「そこ、さっきもスペルミスした。はい、直して」
律と放課後の教室に残っていると、気を利かせているのかクラスメイトは教室を出ていく。最初のうちは吹奏楽部の人が練習場所を探しに来たが、それさえも最近は来なくなった。正真正銘、二人占めである。
課題が終わるまで手は出さないと決めていたので、必然と椅子一つ分くらいは律と距離を開いて座っていた。
「ほら、あと一枚よ。頑張って」
たくさんあったプリントも残り一枚まで減った。予定より一日早く終わりそうだった。
律がコツコツと真面目に取り組んでいるので、ありがたいことに蒼乃は暇を持て余している。彼女が隣にいるというのに、手を伸ばせないのはもどかしかった。
スマホの中の写真も見飽きるほどに見た。実際に飽きてはいないけれど、あまりにも立て続けに見ていたので他のものを見たい。
こっそり横目で邪魔にならないように律を見る。彼女はとても小顔で、さらに思春期だというのにニキビの一つもない綺麗な肌をしている。あのほっぺたを好きなだけ触れるのも蒼乃の特権だった。
「蒼ちゃん、ここってこれでいいの?」
「どれ」
視線を律からプリントに移す。いつもよりは綺麗めな字だった。
「あってる」
褒めちぎりたい気持ちを抑え、淡泊に答えた。律に「蒼ちゃん」と呼ばれるだけでくすぐったい。四日近く触れていないとこうなるらしい。
カッカッカッと小刻みな音だけが響く。
教室の時計の分針が十回と三回動いた。
「終わったー!」
肩の筋肉を伸ばそうと両腕を上げる律。
「ほら、見て。蒼ちゃん。ちゃんと最後までやったよ」
椅子が後ろに動いた。蒼乃が蹴るようにして、前に動いたからだ。
とりあえず不足していた彼女成分を摂取しようと思い、律の首に手を回す。さらさらの髪に頭を埋めた。
「ちょっと蒼ちゃ、」
我慢していると思わなければ、一週間くらい我慢できると思う。我慢していると思うと我慢ができなかった。カーテンを閉めることをしていなかったが、蒼乃の背中で隠れるだろうと思った。
蒼乃は律にキスをした。
「やー課題をやっただけなのに、大したご褒美だね」
どちらかと言うと蒼乃へのご褒美であった。
「もう一回」
蒼乃はがっついた。今後、あまり我慢はしないようにしようと自戒した。
ほかの生徒が廊下を歩く音がして、蒼乃は我に返った。少し律の口周りを汚してしまったので、ハンカチで拭く。
「じゃあ帰りついでに課題出してこようかな」
「私も行く」
鞄を持ち、プリントを抱えた律の横に立つ。彼女の手は空いていなかったので、蒼乃は手持ち無沙汰な腕を律の背中に回した。
「さては蒼ちゃん、寂しかったんだね」
自分が優位にでも立ったように律は笑う。赤点を取って怒られたということを忘れたのではなかろうか。
「今度同じように我慢することがあったら、今度は律に何するか分からないわよ?」
「おおう……、気をつけます」
職員室に行くと、まだ八重樫はいた。先生の定時は何時なのだろう。
「思ったよりも早く終わったわね。追加のプリントでもやる?」
「いらないいらない」
相変わらず、少し距離が近いなと感じる。分かる。蒼乃が先生の立場なら、律は手のかかる可愛い生徒だ。かまいたくもなるだろう。
「そうだ、二人ともあんこは平気?」
八重樫が机の引き出しから取り出したのは、どら焼きだった。
「私、こしあん派でね。つぶあんは好きじゃないの。もらいものだけどよかったら二人にあげる」
教師がいいのかと思ったが、律が喜んで受け取っているのでよしとした。
「あ、ちゃんと帰りはブレザー羽織りなさいよ。校則だからね」
最後に教師らしいことを言われて、廊下に出る。二人とも当たり前のようにブレザーを着ようとはしなかった。
「蒼ちゃん、半分こしよう」
「え、ここで開けるの?」
「お腹空いちゃったから」
止めるのが遅かった。律はどら焼きの袋を開けていた。半分に割ったどら焼きを律が手で摘み、残りの半分は袋ごと蒼乃にくれた。
蒼乃は律と指を絡めて手を繋ぎ、どら焼きを齧りながら昇降口を目指す。
「蒼ちゃんは、つぶあん派? こしあん派?」
「どちらかと言えばこしあん派」
「お、一緒だね」
律はこしあん派とは思えないほど、嬉しそうにつぶあんのどら焼きを食べている。
「昨日さ、移動教室で蒼ちゃんと手繋いでなかったら、ケンカしたの? って聞かれちゃったよ」
「そう」
「だからケンカじゃなくて、お仕置き中って返しておいた」
「……変な誤解がなければいいけど」
どら焼きを食べ終わる頃に昇降口まで来ていた。実は未だに昇降口に来るたび、律の下駄箱にラブレターが入っていたらどうしようなんて考えてしまう。
「今日帰ったらすぐ連絡するからね。なんか蒼ちゃんとメッセするのも久しぶりな気がする」
赤点が発覚してからは、メッセージのやり取りもしていなかった。仲良くなってから初のことである。
「デートの予定とか決めようね」
急いで家に帰ろうと蒼乃は決めた。




