032 -Ritsu-
「相沢さん、放課後職員室に来なさい」
その言葉を言われたのは、英語の授業が始まってわりとすぐだった。蒼乃が採点されたテストを受け取って、次は律の番だった。テストを差し出されるよりも先に、言われた。
相澤の間違いだったりしないかなと思ったけど、思い違いだった。律のテスト用紙には、赤い文字で大きく『29』と書かれていた。紛れもなく赤点だ。
思わず教壇の上で膝を折る。頭を抱えた。
「アイザワ、赤点だって」
どこからか声がした。「簡単な方の」とつかなくても分かる事実がそこにはあった。
「律」
冷えた声が律の腕を引く。
「蒼ちゃん、ごめんなさい」
蒼乃に謝っても仕方ないが、勉強に付き合ってもらった手前謝るしかなかった。
ふらふらと席に戻る。居心地の悪い浮遊感があった。八重樫がトドメを刺すように、「赤点は一人だけです」と言った。
ため息すら出なかった。
「りっちゃん、やっちゃったねぇ」
落ち込む背中を遥が叩く。チラ見えした点数は平均点を超えていた。
「はるちゃんの裏切り者」
「いやいや、あたし赤点取ったことないから」
そう、落ちこぼれは律だけだった。日向も残念そうな目をレンズ越しに向けている。
クラスはわいわいと盛り上がりムードである。なんたってみんなにとって、赤点は自分以外なのだから。
◆ ◆ ◆
体育を終えた放課後。ソフトボールの調子はいまいちであった。
「律」
怒っているのか分からない声が、頭の上に降ってきた。立て、と言われている気がしたのでふらりと立った。
右手を掴まれたので、左手でシャーペンとテスト用紙を握った。握る時、ちゃんと点数を隠すようにしたけれど、律の点数はバツの多さが語っている。
右手は恋人繋ぎではなかった。母親が子供の手を引くのと同じ。
「何で相澤さんもいるの?」
職員室に行って、八重樫が一番始めに聞いてきた。不思議がっている素振りはなかった。
「付き添いです」
付き添いは初めてではなかった。律が職員室に来るのも一度や二度でなかった。素行はよく先生ウケのいい律であるが、なにかと八重樫には呼び出される。
「まぁ相澤さんが見ててくれるなら、私も安心するからいいか」
二回とも「相澤」だった。三回目は「相沢」だった。
「相沢さん、一応聞くけど勉強した?」
「しました。問題集も提出した通り、三周やりました」
「そう」
八重樫は残念そうだった。
「私の教え方が悪いのかしら。ねぇ、どう思う? アイザワさん」
どちらに聞かれたことか分からなかったので、二人で顔を照らし合わせてから答える。
「「いいえ」」
意図せずハモったので、笑いたくなったが怒られる気がしたので我慢する。
「先に言っておきます。期末テストでも赤点を取られると悲しいです。あと厳しいです」
「はい」
「とりあえず、相澤さんに手伝ってもらっていいので課題をしてください」
「あれ、補講は?」
「一年生で赤点だったのは、簡単な方のアイザワさんだけだったから」
とてつもなく悲しい現実だった。八重樫が悲しそうな顔をするのも頷ける。
「一人のために先生の時間を割くのも……って分かってくれるでしょう。先生も早く帰りたいのよ」
「おっしゃる通りで……」
とうとう担任にも見放されそうな勢いだ。
「まぁ、相沢さんには相澤さんがいるから」
生徒をアテにするのはどうかと思ったが、蒼乃には信頼に足る成績がある。
「これ、課題のプリント」
片面刷りではあったが、確かな重みを感じる紙の束を渡された。
「今週中に終わらせて持ってきてくださいね」
「全部?」
「全部」
律と蒼乃は職員室をあとにした。律の両手は埋まってしまったので、蒼乃と手を繋ぐことはできない。
蒼乃が何も言わずに歩き出したので、律も重い足を動かしてついていく。渡り廊下を歩く時、ふと文化祭の日のことを思い出す。あの日の夕方、まだ二人は友達同士だった。
「蒼ちゃん、怒ってる?」
廊下を曲がる手前で声をかけた。蒼乃は特に返事をしないで足を止め、律の方を向いた。
「少し」
と蒼乃は言った。律の思う少しよりはやや怒っているように感じた。
「律がサボって勉強しなかったというならもっと怒るのだけど。そうではないことは私が一番知っているから」
一歩、二歩と蒼乃が詰め寄ってくる。律の前髪をかき上げると、無防備な額にデコピンをした。細い指の威力はなかなかだった。
「とにかく課題を進めましょう」
「……手伝ってくれるの?」
「八重先生が手伝っていいと言っていたでしょう」
「よかったー」
律は胸を撫で下ろす。怒って手伝ってくれないのかと思っていた。
「でも課題が終わるまでいちゃいちゃは禁止ね」
「それは具体的にどんな風に?」
蒼乃は律から視線をずらしてまた歩き始める。
「キスはもちろん禁止でしょ、移動教室の時に手を繋ぐのも禁止だし、お弁当のおかずを交換するのも。あと抱きついてくるのもダメね」
普段からどれだけ接触しているのかが分かる。キスなら我慢はできるものの、手を繋げないというのはわりと寂しい。
「全部律のせいよ」
それはそう。申し訳ない。
「律が一日でも早く課題を終わらせてくれればいいの。なんなら徹夜でもしてちょうだい」
四階に着く。律は早歩きをして蒼乃の隣に並んだ。
「頑張るからさ、手ぇ繋ぐくらいダメ?」
「ダメ。厳しくいくわよ」
歩幅をあわせてくれるくらい、蒼乃は甘い。




