002 -Ritsu-
「暗幕重いわね」
「そうだね」
律と蒼乃は借用していた暗幕をプレハブ小屋にまで返却しに行く道中だった。会話がぎこちない。
「私と付き合うの後悔してる?」
「いや……そうゆうんじゃないけど……」
外堀を埋めるとはよく言ったものだった。別に付き合いたくないというわけではないが、この後戻りできない感じ。上手くやられたなと思う。
律はこの際だからという勢いで聞いてみる。
「蒼ちゃんは私のどこが好きなの?」
「顔? ……いやそんな顔しないで。冗談ではない、というか顔が好きなのは好きなんだけど」
蒼乃が「なんか恥ずかしいわね」と呟きながら、横を歩く律を見た。
「一番は律といると安心するからかしら。それに一緒にいると楽しいし、嬉しくなる」
「……それって友達だとダメなの?」
律は生まれて十六年、恋愛をしたことがなかった。告白をされたことはあれど、付き合うに至らなかった。人を好きになったこともなかった。そもそもlikeとloveの違いが分からぬ女である。
「友達とキスしたいって思わないでしょう?」
蒼乃の言葉を頭の中で反芻し、律の歩が止まる。
「キス!? し、したいの? 私と?」
律の頬が赤く染まる。想像したのだ、蒼乃とキスをすることを。
「したいわよ。そりゃあ」
蒼乃は歩を止めなかった。しかし、真っ赤になった律の顔はしっかり脳内メモリに焼いている。
「ほら、早く行くわよ」
蒼乃が早足になると、我に返った律も後ろをついていく。律はなにか言いたげだったが、口は開かなかった。
体育館と部室棟の間に目的地のプレハブ小屋がある。いつ、どんな目的で造られたものかは分からないが、中には文化祭や体育祭で使うものがしまわれている。通常の体育倉庫の倍以上ある広さだが、物も多い。
中には文化祭実行委員の人がおり、返却物を一覧表と照らし合わせていた。
「あぁ、昨日の。アイザワ夫婦ね」
見知らぬ二年生の先輩に話しかけられる。律も蒼乃も部活に入っているわけではないので、他学年との交流はない。しかし、昨日のパフォーマンスのおかげで、随分と顔が知れ渡ったようだった。
「後夜祭で結ばれた二人は別れづらいっていうジンクスがあるのよ」
別れづらいというところがずいぶんと曖昧だなと思った。
「お幸せに」
「ありがとうございます」
蒼乃がお礼を言ったので、律も慌てて言う。
暗幕を運ぶのは大変だったが、しまう作業は実行委員の人たちがしてくれるということだったので、律たちの仕事は完了した。
「ねぇ、律。少し休んでいかない?」
自動販売機の前で蒼乃が止まる。
「サボっていいの? それに私、財布持ってきてないよ」
律が言うと、蒼乃はスカートのポケットから百円玉を二枚出した。
「それじゃあ二本買えないよ」
学校内の自販機でも、飲み物を百円で買えない時代になっていた。世知辛い。
「一本を二人で分ければいいじゃない。何がいい? お茶でいい?」
「お茶でいいけど……」
律の返事を待たずに蒼乃は百円玉を自動販売機に投下した。ピッと音がしてがたんがたんとペットボトルが落ちてきた。容量が他のものより少し多い麦茶だ。
蒼乃はお茶を回収すると、体育館の外廊下に座り込む。いつまでも日差しの下にいる律を手招きした。距離に悩んだけど、蒼乃のすぐ横に座る。
「先飲む?」
「いや、蒼ちゃんが買ったんだから先に飲みなよ」
「そう」
この時の選択を、律は少し後に後悔する。
「はい。律もどうぞ」
蓋が開けられた、蒼乃が口をつけたペットボトルを差し出される。飲み回しなんてよくやることである。蒼乃だけじゃない。遥とだってする。
しかし、間接キスである。
ペットボトルを受け取ったままフリーズしている律を見て、蒼乃はにやけた表情を浮かべる。この展開を読んでいたようだ。
「暑いでしょ? ちゃんと水分取らないとダメよ?」
律は目を瞑ってペットボトルを口につけて傾けた。勢い余ってむせた。
ゲホゲホと咳き込む背中を蒼乃がさすってくれる。「慌てて飲むから」と呆れられた。咳き込みが治まったところで、蒼乃は律の顔を覗き込む。
「意識した?」
再び律の顔が赤くなる。もうバリバリに意識しまくりである。今も心の中ではキスされるかもと思った次第。
蒼乃は面白いものでも見たように小さく笑うと、律から少し顔を遠ざけた。
「律が私のこと〈好き〉になるよう頑張るから」
律はハッとしたように、蒼乃の方を見る。
「律が私と同じ好きじゃないのは分かってるわ。それでも私は貴方と付き合いたいの。他の誰にも渡したくない」
蒼乃の手が、律の手に絡んだ。
「私の彼女だから手を出すなってアピールしたいの。……だから律が付き合ってくれたのはすごく嬉しい。でね、やっぱり付き合うと欲が出るの。律にも好きになってほしいなって」
律の手を握るその手を、律は無意識に握り返した。炎天下の中だからか、少し汗ばむ。
「律、大好き」
「う、うん。ありがとう。付き合うってどうゆうことするのかよく分かんないけど……よろしくね」
「…………ひとまず今度デートしましょう」
「デート?」
あまり聞き馴染みのない言葉を突然言われて、律は聞き返した。蒼乃が「そう」短く答える。
「二人でお出かけしましょう」
「それはいいけど……お出かけなんていつもしてない? それこそ、私は蒼ちゃんと一番遊びに行ってると思うよ?」
「付き合っている二人が、二人でお出かけをしたらデートでしょう」
蒼乃によるデートの概念は承知した。とにかく一緒に出かければいいそうだ。
「次の三連休いつ空いてる?」
次の週末。律のスケジュールは空白だった。
「いつでも空いてるよ。蒼ちゃんの予定に合わせる」
「それなら日曜日にしましょ。三連休の中日。いいかしら?」
「いいよ。どこ行くの?」
「そうね……。久しぶりに映画なんてどう? 初デートのテッパンじゃない?」
帰ったら、初デートについて調べておこうと思った。




