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アイザワ夫婦は全校生徒から祝福されている  作者: 妖精卿
相沢律はスケジュールを組む
19/58

019 -Aono-

 (りつ)と学校で別れ、急いで家に帰った。超特急で自転車を()いだので汗をかいている。時間は惜しいが、体の汗を流すためにシャワーを浴び、ちょっと、一応、念のため、見られても()ずかしくない下着を身につけ、シャツを羽織った。


 財布とスマホを持ち、母親に声をかけてから家を出た。

 乗りたかった電車には乗れた。乗り換え駅で、律に教えてもらったケーキ屋を探す。一本道を間違えて焦ったものの、なんとかケーキ屋は見つけられた。


 ショーケースに並ぶケーキはどれも綺麗であった。蒼乃(あおの)は自分はどれにしようか悩み、きっと(りつ)も食べたがるであろうチョコケーキにする。必然的に自分の好みのものとなった。


 しかし、家には(りつ)の母親がいるのだから、ケーキの交換なんてできないかもしれない。


 蒼乃(あおの)は時間を確認して、ケーキを崩さないよう慎重になりながらも、駅まで急いだ。


 電車が五分置きにきてくれるおかげで、待ち合わせの時間には間に合う。でも、おそらく(りつ)は早めに待ち合わせにいるんじゃないかと思う。

 はたして、想像通りに(りつ)は改札の前にいた。


(あお)ちゃん!」


 (りつ)も服を着替えていた。白いカットソーに七分丈のジーパン。足元はつっかけサンダルとずいぶんラフな格好で、ここが彼女の地元なのだということを実感する。


(りつ)、ごめん。待たせちゃった?」

「全然待ってないよ」


 学校では普通に手を(つな)蒼乃(あおの)たちであったが、ここでは(つな)ぎづらかった。正確には、(りつ)(つな)ぎたくなさそうだった。予備動作でそれを感じた蒼乃(あおの)は、仕方なく何もせずに(りつ)(となり)を歩いた。


「コンビニ寄っていい?」


 駅の階段を下りたところで、(りつ)がコンビニを指す。断る理由は何もないので「もちろん」と答え、一緒に冷房の()いた店内に入る。


「母さんが飲み物は自分で買えって。(あお)ちゃんは何が飲みたい?」

「私は別に何でも……」

「えーせっかくだから好きなの選んでよ。高いものでもないんだしさ」

「じゃあアイスティーで」


 蒼乃(あおの)の飲み物はすぐ決まったが、(りつ)の飲み物が決まらない。外ではよくメロンソーダを好む(りつ)であったが、あいにくこのコンビニにメロンソーダはない。


「ジンジャーエールかなぁ、それともコーラ?」


 炭酸が好きなところは変わらないらしい。迷いに迷った結果、(りつ)はジンジャーエールとアイスティーを持ってレジへ行く。小銭を支払い、コンビニを出た。袋をもらわなかったので、(りつ)の両手にペットボトルが握られている。


「うちね、ここから五分くらいだから」


 そう言って(りつ)が歩き出す。彼女にとっては慣れ親しんだ道でも、蒼乃(あおの)にとっては全てが新しいものに見える。(りつ)の周りの景色をしっかり吸収しようと集中しているうちに、目的地に着いた。


 おそらく建売住宅だろうなという一軒家。表札にはシンプルに『相沢(あいざわ)』とあった。


「ど、どうぞ」


 どこかよそよそしくなる(りつ)が玄関を開けてくれた。蒼乃(あおの)は覚悟を決めてスニーカーで踏み込む。


「おじゃまします」


 蒼乃(あおの)の声が家の中まで聞こえたのか、それとも(りつ)が鍵を開ける音を聞きつけたのか、奥から人の足音がした。


 迎えてくれたのは四十半ばくらいの細身の女性だった。雰囲気から(りつ)の母親だと分かる。


「あなたが蒼乃(あおの)ちゃん? ようこそ」

「初めまして。相澤蒼乃(あいざわあおの)です」

「そんな緊張しなくて大丈夫よ」


 さらっと挨拶(あいさつ)ができたつもりでいたが、見抜かれていたらしい。


「いつも(りつ)がありがとうね」

「いえ、こちらこそ……。あ、これ、ケーキです」


 ケーキの中にあったロゴを見て、(りつ)の母親の顔が明るくなる。


「まぁ、ここの美味しいのよ。ありがとう、蒼乃(あおの)ちゃん。夕飯食べたらみんなでいただきましょうね」


 ケーキの箱を受け取ると、(りつ)の母親は娘の方に向き直った。


(りつ)、お母さんこれから夕飯の買い物に行ってくるからお留守番よろしくね」



  ◆  ◆  ◆



 (りつ)の部屋は二階にあった。(となり)は姉の部屋らしい。


 普段の様子から、(りつ)の部屋があまり片付いているとは思っていなかったが、思いのほか綺麗(きれい)になっていた。おそらく蒼乃(あおの)が来るからと片付けたのだろう。


「その辺座ってて」


 どの辺りなのかまったく分からない指示を出して、(りつ)は一階にグラスを取りに行ってしまった。


 ローテーブルの脇に座るのが王道であろう。蒼乃(あおの)はベッドに背中を当てる感じで座った。ついでに布団の香りを()いだ。(りつ)の匂いというか、柔軟剤の香りが強い。洗濯をしたばかりらしい。


 律の部屋はあまり特色がない。蒼乃(あおの)の部屋も似たようなものなので人のことは言えないが、落ち着いたものだ。(りつ)の好みが色濃く出ているのは本棚だろうか。蒼乃(あおの)でも知っている流行りのものから、タイトルだけではジャンルの分からないものまである。


「お待たせー」


 わざわざ氷を入れたグラスを持ってきてくれた。グラスをローテーブルに置き、さっき買ってきたアイスティーとジンジャーエールを注ぐ。炭酸のシュワっとした音がまだまだ夏を感じさせる。


「母さん、出かけちゃった」


 ぽつりと(りつ)が言う。(りつ)が視線を下げていたので、蒼乃(あおの)と目が合うことはない。


「紅茶、飲む?」


 グラスをこちらに寄せてきた。カランと氷が動く音がした。蒼乃(あおの)は「うん」と小さく返事をしてからグラスに口をつける。甘い紅茶だった。蒼乃(あおの)は砂糖の入っていない紅茶の方が好きだ。


 ローテーブルの向こう側で、(りつ)もジンジャーエールを口に含んでいた。


「部屋、片付けたの?」

「うん。さすがに(あお)ちゃんが来るなら片付けないといけないかなと思って」

「別に散らかったままでも気にしないけれど」


 本音だった。片付けが苦手な子として認識しているので、今さら部屋が散らかっていたくらいで嫌いになったりしない。


「えーやだよ。恥ずかしいじゃん」


 まぁ恥ずかしいと思ってくれるなら良かろう。散らかっているよりは片付いていた方がいいに決まっているし。


「……(となり)、座ってもいい?」


 提案は(りつ)からだった。何気(なにげ)なく最初は向かい合う形で座った二人だったが、明らかに間にあるローテーブルが邪魔だった。


「もちろん」


 提案を受け入れると、グラスを手に持ったままの(りつ)が右隣にきた。肩が触れそうになる位置に(りつ)が座る。蒼乃(あおの)の背中に汗が(つた)う。


「いつもこの部屋にいるの?」

「お姉ちゃんが家にいる時は部屋に(こも)ってることが多いかなー」

「何で?」

「だってテレビ観ててもくっついてくるし、学校で何があったとかうるさいし、気が休まらないんだよね」


 蒼乃(あおの)は素直に(うらや)ましいと思った。蒼乃(あおの)だってテレビを観ながら(りう)にくっつきたい。


 そういえば(りつ)の部屋にも小さめの薄型テレビがある。でも、それを観るのは今ではない。


(あお)ちゃんのところも妹さんいるよね? どうなの、姉妹関係は?」

「うちはあまりお互いに干渉しないかな。テスト前に勉強みてあげるくらい」

「お姉ちゃんしてるじゃん!」

(りつ)のところのお姉さんだって頭良いでしょ」


 以前に進学先を聞いたことがある。誰でも名前を聞いたら分かるような大学だった。


「私は(あお)ちゃんに聞くからいいの」


 (りつ)の頭が蒼乃(あおの)の肩にコツンと乗る。背中を流れる汗が増した。


 広い家に二人きり。部屋に二人きり。付き合っている彼女と彼女の二人きり。


 蒼乃は密着している彼女に腕を回した。細い腰に手をかける。特にリアクションは返ってこなかった。


(あお)ちゃん」


 頭は蒼乃(あおの)に預けたままだったので、蒼乃(あおの)(りつ)の方は向かず、視線は汗をかいたグラスに注いでいた。


「キスしたい」


 心臓が跳ねた音がした気がした。実際は氷が溶けて動いた音だった。


 聞き間違いかもしれない、幻聴かもしれないと思いながら、そっと(となり)を見る。(りつ)の耳は赤くなっていた。


「ダメ?」


 頭が肩から離れ、緊張(きんちょう)のせいか少し涙ぐんだ瞳が蒼乃(あおの)を見る。


 (かわ)いた(のど)を無理やり動かし、蒼乃(あおの)は詰まりながら言葉を吐き出す。


(りつ)が、その、私のことを私と同じように好きなら、その、喜んでしますけど?」

「分かんない。……分からないからしてみたい。それでもし違うなと思ったら……やめればいい話だし」

「違うって……」

「いや、ごめん。違くて。なんて言うのかな……。(あお)ちゃんとキスはしてみたいの。本当だよ?」


 それでキスをしてみて、違ったら……。

 蒼乃(あおの)の脳裏に最悪なシナリオが浮かぶ。


(あお)ちゃん」


 理性と感情……いやそんな綺麗(きれい)なものじゃない。理性と性欲が天秤(てんびん)に乗せられる。


 目前にいる(りつ)が恋しい。欲しい。

 たとえキスをした結果、違うと言われたとしても、彼女の初めてを(うば)っておきたい。


(りつ)


 短い彼女の名前を呼ぶ。「(りつ)(りつ)りつ、りつ」何度も呼ぶ。自分を落ち着かせるためでもあった。彼女の(ほお)に手を触れさせる。熱があるような熱さ。でも自分の手も熱かったので気にならなかった。


 ファーストキスに予行練習なぞない。蒼乃(あおの)はドラマで見たそれに(なら)いながら、自分の唇を(りつ)の唇に重ねた。物欲しくて、初めてだけど少し強めに押し付けた。


 多分時間にしたら一秒あったかどうかなのに、時間が止まったように長く感じられる瞬間だった。


 理性を表に呼び出して、蒼乃(あおの)(りつ)から三十センチくらい身を引いた。たかが唇を重ねただけなのに、指先から足先まで()で上がったように熱い。


「……あはは、同じ好き、みたい」


 理性の糸が切れる音が聞こえた。はっきり蒼乃(あおの)の脳内でプツリと音がした。


 先程のキスはお試しだったみたいに、蒼乃(あおの)(りつ)の唇を奪う。勢いも激しさも増して。


 何度も唇を重ね合い、生き残る苦しそうな声で、懇願(こんがん)するように「(あお)ちゃん」と呼ばれる。理性の糸は結び直されることなく、(りつ)蒼乃(あおの)を呼ぶために開けた口に舌を流れ込ませた。他人の舌が思ったより(かた)いことを知った。


 (りつ)の中に自分の舌が入っているという背徳感(はいとくかん)が、蒼乃(あおの)の背中を押し続ける。


(りつ)


 さすがの蒼乃(あおの)も息が苦しくなって、名前を呼びながら呼吸を整えようとする。至近距離に肩で息をする(りつ)の姿があることを改めて認識する。


(あお)ちゃん、好きだよ」


 その言葉はまだキスをしてもいいよというお墨付きだと解釈した。小さな口の中を全て知り尽くしたいという気持ちでキスを続けた。


 頭がくらくらする。微量の電流が流れているような不思議(ふしぎ)な感覚。


 (りつ)の細腕が蒼乃(あおの)の腰に回ってきて、(しわ)をつけるように強く握ってくる。シャツが破けても構わないから、もっと強く求めてほしいと思った。


(りつ)


 本当に彼女がいるのか確認するように名前を呼ぶ。甘い声で「(あお)ちゃん」って返ってくるものだから、何を焦ったのか蒼乃(あおの)(りつ)を押し倒していた。


(あお)ちゃん」


 拒否をするような呼び方ではなかった。(りつ)の顔は真っ赤になっていて、目尻には涙が浮かんでいたけれど、蒼乃(あおの)を拒否するものはどこにもない。


 なんなら押し倒した後、(りつ)の両腕が蒼乃(あおの)の首に回された。戻る道はなかった。


 少し戸惑いが(にじ)んだ口づけをしながら、蒼乃(あおの)の手が白いカットソーの(すそ)に触れた。


「ただいま!」


 突然部屋の外から聞こえた声で、蒼乃(あおの)は我に返った。慌てて押し倒した(りつ)を引っ張って起こす。


 (りつ)と目が合って、()ずかしくて、戸惑(とまど)って、結果、紅茶を飲んだ。水っぽくなっていた。

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