017 -Aono-
律からお家デートの誘いを受けた。お家デートと言えど、向こうの家には母親がいる。そういうことは起きないと分かっていても、緊張はするし胸は高鳴った。
朝、自転車に乗りながら思わず鼻歌が溢れる。週五日も好きな人に会える。そして今週はデートまで決まっている。
「相澤さん、おはよう」
自転車を駐輪場に停めたところで、クラスメイトから挨拶をされた。お互いを下の名前では呼ばないくらいの間柄だ。
「おはよう」
行く先は同じなので、蒼乃はクラスメイトと並んで歩く。
「朝から元気そうだね。相澤さん、何か良いことあった? もしかして簡単な方のアイザワさん?」
五組にはアイザワが二人いるので、二人を同時に表す時は下の名前で呼び分けるか、「難しい方のアイザワ」「簡単な方のアイザワ」と呼び分けるかしないといけない。
「分かる? 今度律とデートすることになって」
挨拶くらいしかしないクラスメイトに惚気話を始める。優しいクラスメイトだったので、嫌な顔をせずに教室まで話に付き合ってくれた。
「律、おはよう」
席替えをして席は離れているが、自席に着くより先に律の席に寄る。
「おはよう、蒼ちゃん」
律は英語の予習をしているようだった。
「よかったー、蒼ちゃんに分からないところ聞こうと思ってたの」
「いいわよ、何でも聞いて」
蒼乃に苦手科目はない。どれも平均以上に得意だ。律は理数系科目に特化していて、特に英語は苦手らしい。この学校の授業は予習前提で進んでいくので、宿題はなくともやることは多い。英語なんて突然当てられたりするので、今日くらいいいやとはいかない。
蒼乃はスクールバッグを自席に置きに行き、一応英語のノートを持って律のところに戻った。空いている律の前の椅子に座り、「どこが分からないの?」と聞いた。
「こことここの日本語訳が分かんなくて」
軽く文法の説明をしてから、答えを教える。律は真面目に話を聞いている。こんなにも真面目に取り組んでいるが、彼女の英語の成績が伸びる気配はない。
「おはよー! あ! 蒼乃! 英語のノート見せて!」
朝練を終えた遥が教室に飛び込んでくるなり、懇願してきた。そして何十回目の「一生のお願い」を言う。本人のためにならないことは分かっているが、遥にノートを貸すと律の写真が送られてくるので、蒼乃は躊躇わずに貸していた。
◆ ◆ ◆
今日は火曜日なので七時間目まである。とは言っても、最後は授業ではなくロングホームルームだ。文化祭、体育祭が終わり、初のロングホームルームは席替えだった。
特に変わった方式はない。担任が持っていたどこかのお土産の紙袋に、手書きで四十までの数字が書かれたくじが入っている。それを順番に引いていくだけだ。
「うっわ、一番前かよ」
やはりどこの世界でも先頭列は人気がない。
そして蒼乃はあまりくじ運が良くない。引きたくないなと思うと引いてしまう質である。小さな紙には『13』と書かれていた。教卓の真ん前。最悪だった。
くじの結果をすでに引き終えている律に報告しにいこうとした時、「相澤」と呼ばれた。小声だったので、律ではなく近くにいた蒼乃を呼んだのだと分かる。
「何かしら」
蒼乃を呼んだのはクラス委員長の寛介だった。ちょっと来いとばかりに手招きをされる。蒼乃はわざわざ何かと思いながら近づいた。
「ほれ」
彼は蒼乃が持っている小さな紙と同じ大きさの紙を差し出してくる。そこには『26』と書いてあった。
「簡単な方のアイザワの後ろだよ」
「いや、でも……」
交換してくれるのは嬉しいが、如何せん蒼乃のくじ運は最悪である。
すぐに紙を受け取らない蒼乃に痺れを切らしたのか、寛介は蒼乃の『13』を引ったくった。そして代わりに『26』を握らせる。
「オレ、目ぇ悪いから前の方が助かるんだ」
「あ、ありがとう」
蒼乃のお礼を最後まで聞かないうちに、寛介は他のクラスメイトのところに行ってしまった。残された蒼乃は少しだけ後ろめたい気持ちを抱きながら、律の元へ向かう。
「蒼ちゃん、何番だった?」
おそるおそる、蒼乃は『26』を見せる。そうすると律はとても嬉しそうな顔をしながら、『25』と書かれた紙を見せてきた。
「やったぁ! 蒼ちゃんと前後なんて久しぶりだね。ぁ、私が前なのは初めてか。後ろから見られてるなんてドキドキしちゃうかも」
試されているのだろうか。蒼乃は目の前にいる生き物を抱き締めたい衝動を堪える。くじを交換した後ろめたさなど秒で消えた。
他のクラスはどうしているのか知らないが、蒼乃のクラスは席替えの際に机ごと移動をする。一年間、同じ机と椅子を使うのだ。
蒼乃の机の中身は軽い。ほとんどロッカーにしまっている。逆に律は机が重い。ロッカーの中身もお世辞にも片付いているとは言えない。
「いらないノートとかは持って帰ったら?」
先に席移動を済ませたので、運びづらそうにしている律を手伝う。
「ありがとう、蒼ちゃん」
クラス全体の移動が終わる。担任の八重樫由佳は時刻を確認する。まだホームルームが終わるには早い。八重樫はクラス委員長に座席表の作成を命じ、「残り時間は自習」と言い切った。大きなイベントは終わり、テストもまだ後三週間の猶予があるとなれば、わざわざ話すこともないようだった。
自習と言われたものの、生徒側は自由時間ととる。どうせロングホームルームなんてどのクラスも似たようなものである。
律も黒板には背を向け、蒼乃の方に向き直った。
「八重ちゃんって若いわりにあまりやる気ないよね」
八重樫由佳は二十七歳になるが、見た目が若いため多くの生徒から「八重ちゃん」と呼ばれていた。担当科目は英語。
「若いからやる気がないんじゃない?」
今時の先生なんてそんなものだと蒼乃は思っている。
「それもそうか。でも怖い先生が担任じゃなくてよかったよね」
「でも律はいつも怒られているじゃない」
律の英語の成績は学年下位である。やる気がないわけじゃないことは蒼乃も、もちろん八重樫も知っていたが、限度というものがある。
「ちゃんと真面目に授業は受けてるのになー」
「律って得意科目と苦手科目の差がひどいわよね」
得意科目の数学だけやたらと点数が良い。代わりに英語に限ってはこの学校に入学できたのが嘘のような出来だ。
「中学まではね、英語も……あと社会系もできてたんだよ。本当だからね? うち来る時に通信簿見る?」
「疑ってないわよ」
「蒼ちゃんはどの科目も点数いいからね。苦手科目ないの?」
「特段ないわね」
「うらやましー。でもまたテスト前に勉強みてくれるんでしょ?」
勉強の話だと言うのに、律はニコニコして楽しそうだった。
「もちろん、ちゃんと勉強して一緒に進学しましょう」
真面目な校風の学校ではあるけれど、毎年一人、二人くらいは落第者が出るらしい。蒼乃の学力であれば心配はいらないが、一学期に一度赤点を取った律にとっては笑って流せる話ではない。
「蒼ちゃんがいてくれてよかったよ。頼りにしてるからね」
蒼乃からすれば、放課後テスト勉強という名目で律とべったりできるのでありがたい。そう、邪な気持ちがたくさんある。
なるべくその気持ちを律に気取られぬよう、蒼乃は綺麗な笑顔を浮かべて律の話に相槌を打つ。




