001 -Ritsu-
相沢律は県内の公立高校に通うごく普通の女子高校生だ。そう、どのクラスにもいる平凡な人間。
そんな彼女が今、校内の噂の中心にいる。
「見たよ〜、りっちゃん。いやぁ、めでたいことですな! 今最推しのカップルだって」
事の発端は、わりと新しい。昨日の出来事である。一昨日と昨日は文化祭が行われていた。
◆ ◆ ◆
律の隣を歩くのは、身長がわりと高くて顔もいいという目立つ存在の相澤蒼乃。高校に入学してからの仲になるので、まだ半年経たずの関係ではあるが、出席番号が並んでいることもありそこそこ良い関係を築いていた。
「楽しかったねー! 文化祭!」
初めての文化祭を律はそれなりに楽しめていた。美味しいものも食べられたし、クラスの出し物も順調に回っていた。他校の友人にも会え、半年に一回くらいの頻度でやってもいいかなというくらいは楽しかった。
「まだ後夜祭が残っているじゃない」
「そうだけど、昼間は昼間で楽しかったじゃん。あ、後夜祭って何時からだっけ」
「六時よ」
蒼乃がスマホで時刻を確認する。
「まだ少し時間はあるわね」
「蒼ちゃんってロック画面、ソレにしてるんだね」
わりと近い距離にいたため、律は蒼乃のロック画面が見えた。五月の課外活動の時、律と蒼乃が二人で撮った写真だった。
「二人とも上手に写ってたのがこれだったから」
「それなら私は今日撮ったやつをロック画面にしようかな」
律はスマホのアルバムを開き、昨日今日と一緒に行動していた蒼乃との写真を振り返る。
「家帰ったら写真送るね」
「ええ、私も」
律と蒼乃がいるのは渡り廊下だった。人気は少ない。文化祭が終了してから、なんとなくの成り行きで来た。窓から校庭が見える。キャンプファイヤーの準備が進められている。
「そろそろ行く?」
蒼乃が聞く。律は少し迷った。必ずキャンプファイヤーの周りは混むからだ。
「ここからでも見えるよ?」
それなら静かなここから眺めるのでもいいかなと律は思った。なによりも人混みを嫌うのは蒼乃だった。
「いいえ、行きましょう」
だからそんな返事がきた時、律は驚いた。蒼乃なら律の提案をすんなり受け入れると思った。
「蒼ちゃんが珍しいね。今だって教室にいないでこんなところにいるのに」
「私だって高校生ですもの。行事でのぼせることもあります」
それもそうか、と律は納得する。それよりも律は嬉しかった。蒼乃もちゃんと文化祭を楽しんでくれていた。
「さぁ」
呼びかけと共に、律の右手が蒼乃に握られる。
階段にさしかかったところで蒼乃が言った。明日の天気を聞くような、気軽い感じで。
「律は私のこと、好き?」
「うん? 好きだよ?」
好きでもなければこの手を振り払っていただろう。
「そう。よかった」
みんなも後夜祭を見ようと昇降口は混雑していた。これから靴を履き替えるのだから、当然律と蒼乃の手は離れる。少し寂しい気持ちだった。
「なんだかもう終わりみたいで寂しいね」
「だからまだ後夜祭が始まってもいないでしょう」
ゆるりと中庭を通って校庭へ向かう。キャンプファイヤーの周りの特等席は上級生で埋まっていたので、律たちは少し離れていたところから点火されるのを見守った。
キャンプファイヤーなんていつぶりだろう。ふと、中学二年の林間学校のことを律は思い出していた。なんかよく分からないダンスを男女ペアで踊らされた記憶がある。あまり楽しくはなかった。でも、今は楽しい。
「蒼ちゃん、写真――」
隣りにいたはずの蒼乃の姿がなかった。慌てて律は辺りを見回す。いない。探そうかとも思ったが、人が集まってきていてむやみに動けなかった。
ステージの方から元気な男子生徒の声がスピーカーを通して響く。ついに後夜祭が始まった。
「はい、皆様! 文化祭は大いに楽しめましたか? 今宵も近所迷惑にならない程度に盛り上がっていきましょう!」
あちこちから少しだけ控えめな「おー!」という掛け声が上がる。
「さてさて、後夜祭ではお馴染みのあのコーナーいってみましょうか。本当は屋上から叫んでほしいんですが……校長先生の許可は下りませんでした! 小さな舞台となりますが、今日はこのステージから叫んでもらいましょうね。ちなみにこのステージは文化祭実行委員で組みました。めちゃくちゃ大変でした!」
人前でよくもまぁあれだけ喋れるなと律は感服した。律はあまり人前に出るのは好きじゃない。地味に目立たず生きていきたい。
「――はい、話が長くなってすみません。後夜祭のメインコーナーに参りましょう! 文化祭マジックで恋を実らせよう! 愛を叫べ! 告白コーナーでございます!」
うわぁっ! と歓声が湧いた。初めての文化祭である律だが、このコーナーのことは知っていた。なんせ校舎のそこら中に参加者募集の貼り紙があったのだ。
こんなの参加する人の気がしれない。やっぱり蒼乃を探そうとステージから目を離した。
「一番手からすごい子がきましたよ! えーっとクラスは一年五組、相澤蒼乃さんです!」
律はすごい勢いで振り返った。探し人は少し緊張した様子でステージの上にいた。
「相澤さんは文武両道・才色兼備とお伺いしていますが、なぜ応募を?」
蒼乃にマイクが渡される。マイクを使うのは慣れているようで、すぐに喋り出す。
「そんなそんな……。どこからそんなデマを仕入れてくるんですか?」
「デマなんてとんでもない! 少なくとも美人なのは間違っていませんしね。で、応募した理由は?」
「うーん、そうですね……。外堀を埋めるためでしょうか」
ちらりと蒼乃の視線が人混みの中の律に向けられた気がした。
しかし、そんなの気づくこともなく律は得体の知れない焦燥感に駆られていた。告白コーナーということは、蒼乃は今から誰かに好きだと伝えるのだ。蒼乃から好きな人がいるなんて聞いたことがない。
――誰? どうして? 何で教えてくれなかったの?
胸がチクリと痛んだ。たかが半年弱の付き合いではあるが、大事な友人が誰かに取られてしまうようで……嫌だった。
「では相澤さんの意中のお相手は何年何組の誰でしょうか」
「一年五組の――」
よりによって同じクラスかと思った。蒼乃のような美人に告白されて断る男などいない。これからクラスで気まずい思いをするなんて嫌だ。
「相沢律です」
どよめいた。大半が一年生だった。律という名前から性別を識別するのは難しい。だから律のことを女子生徒だと知る一年生の中で、どよめきが広がったのだ。
「えっ?」
聞き間違いかと蒼乃を見た。その目はしっかりと律を捉えている。誰かが律の背中を押した。
「おや、同じ苗字なのですね。相沢律さん、いらっしゃいますか? ステージの方へおこしください」
再度、誰かに背中を押された。つんのめる。「早く早く」と誰かが急き立てる。律は真っ白になった頭のままステージの前に行き、引き上げられるような感じでそこに立った。二メートルほど先には紛れもなく蒼乃が立っていた。
「なんとお相手もとてつもなく可愛い方ですね! はい、邪魔者は黙ります。どうぞ」
司会の人はわざわざマイクを切った。
逃げてしまいたいとも思ったが、蒼乃の真剣な瞳が律を逃さなかった。
「律、あなたのことが好きです。友達として以上に。異性を想うのと同じように好きです。私と付き合ってください」
蒼乃の口元にあったマイクが律に向けられた。律はマイクを受け取るため、一歩二歩と蒼乃に近づく。不思議と足取りは軽かった。
マイクを受け取る時、蒼乃の指先が触れた。夏場だというのにとても冷え切っていた。
「はい。よろしくお願いします」
何も考えずに出た言葉だった。蒼乃に抱き締められた後の記憶が、律にはなかった。
◆ ◆ ◆
そして今に至る。律を「りっちゃん」と呼んだ幼馴染の小谷瀬遥はスマホの画面を見せつけてくる。校内の掲示板を撮ったものだった。
「ほらほら、見て〜」
遥のポニーテールが揺れる。仕方なく、律はスマホを受け取り、画面を拡大する。
『後夜祭で美少女カップルが誕生!』
そのタイトルだけで律は頭を抱えた。昨日のステージでの出来事がフラッシュバックする。
新聞部が作成する学内の新聞記事だった。昨日の今日で仕事が早すぎるだろうと、律は内心ボヤく。蒼乃が律に抱きついたところまできっちり写真に撮られていた。
「美少女カップル、めちゃくちゃいいね!」
「はるちゃんはどうしてそんなに嬉しそうなの」
「むしろ何でりっちゃんはそんなに浮かない顔をしているのさ」
正直、あまり眠れなかった。もしかしたら後夜祭の出来事は夢だったのかもしれないと思い、今朝登校してきたのだが、夢ではなかったらしい。
「おはよう」
律と遥が話しているところに、蒼乃が現れた。
「おはよー!」
遥が元気よく挨拶する中、律は思わず蒼乃から目を逸らしてしまう。
「つれないわね」
蒼乃はいつもと変わらない調子だ。
「おはよう」
律の耳元で蒼乃がもう一度繰り返す。
「うわぁ!?」
大きな声を出してしまいクラス中の視線が律に注がれる。
「……おはよう」
律はなんとか挨拶を返した。
「遥、あなたがこの時間にいるなんて珍しいわね。朝練はどうしたの?」
「さすがに文化祭の翌日も部活はきついって。これからまた体力仕事だしさー」
遥が教室を見回す。教室の中は散らかっていた。文化祭のままだ。今日の午前中を使って原状回復が行われる。
一年五組はお化け屋敷をやった。作るのも大変だったが、片付けるのも一苦労だ。
ショートホームルームの時間になると担任がやって来て、ちょうど教壇の近くにいた律と蒼乃を見て、「頑張れ」と言ってきた。教職員公認のカップルになっていた。




