表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/8

「ヴェイル・アグラディア」

「――あなたに、力を貸してほしいの」


 ギルド《リヴァージュ・ブルー》の作戦室が、死神マカーブルの噂でざわついている中。

 私の言葉に、空気が一瞬だけ止まった。


 それを切り裂いたのは、ヴェイル・アグラディアの鋭い視線だった。

 その瞳は氷のように冷たく、理性のフィルター越しに私を値踏みしている。


「……あのな、お嬢ちゃん」

 ヴェイルは小さくため息をつくと、わずかに肩をすくめた。

「もし俺に惚れちまったってんなら悪いが、冗談に付き合ってる暇はねぇんだ」


 言い終えると、彼はくるりと背を向け、行こうとする。

 その瞬間、胸の奥がムカッと熱くなった。


 たしかに、私たち4人のうち3人は男に免疫がない。私もそうだ。

 でもそれとこれとは話が違う!


「ち、違うわよ! そんなんじゃない!」

 私は彼の前に回り込み、腰に差していた聖剣を抜き放つ。


 銀白の光が、空気を裂いた。

「これは、女神ステシアから授かった聖剣よ。あなたと魔王を倒すために、女神が導いてくれたの!」


 聖剣をヴェイルの目の前に突き出すと、彼の目が一瞬で鋭く変わる。

 その眼差しは、剣の真価を即座に見抜いたことを物語っていた。


「……その剣、本物か」


「ええ。女神に選ばれた証。私だけじゃ魔王には届かない。でも――あなたなら、きっとわかるはず。自分が“ただのダークエルフ”じゃないってこと」


 ヴェイルは視線を剣から私へと戻し、眉をひそめる。


「……俺が、魔王討伐に必要な存在だって? 根拠は?」


「女神の啓示もあるけど、私の感もあるわ。それと、あなたの力」

 私は静かに告げた。

「空間すら読み取るその洞察力。誰よりも状況を把握し、常に最適解を導き出すあなたの能力。魔王の呪いさえ回避できるのは、あなたしかいない」


 ヴェイルの唇が、わずかに動く。

 彼の中で、何かが揺れた証だった。


「女神の導き、か……」

 ぽつりと呟いたその声は、先ほどまでの冷淡さとは違っていた。


 私はもう一歩、彼に近づく。


「信じてとは言わない。でも……一緒に来て。あなたの力が、必要なの」


 沈黙の中、彼の瞳の奥が、ふと優しく揺れた気がした。


 ヴェイルは、少しだけ視線を宙に漂わせた後、静かに口を開いた。


「……たとえ、それが本当だったとしても――今は、目の前の危機を何とかしなきゃならない」

 その声には、どこか重い決意がにじんでいた。


「今、俺たちが最優先すべきは“死神マカーブル”の件だ。それに……仮にそいつがいなかったとしても、俺はこの場所を離れるわけにはいかない」


 彼はふっと、目を細めた。

 その瞳には、冷静さとは別の温もりが浮かんでいた。


「……病弱な弟がいるんだ。俺が傍にいてやらなきゃ、アイツ……」


 その言葉と共に、ヴェイルの表情が一瞬だけ優しく、そしてどこか寂しげにゆらめく。

 彼にとって、弟の存在が何よりも大切なのだと、痛いほど伝わってきた。


 私は、その気持ちを否定するつもりはなかった。けれど――


「死神マカーブルは、必ず私たちが討伐するわ。それは約束する」

 私は一歩前に出て、彼の目をまっすぐ見据えた。

「それとは別に……私は聖神官としての力も持っている。もしかしたら、あなたの弟に何かしてあげられるかもしれない」


 そう言うと、私は両の掌に意識を集中させる。

 胸の奥から静かに呼び起こすように、聖なる力――“聖光気”を具現化させた。


 眩い金の光が、指先からあふれ出し、周囲を柔らかく照らす。

 空気が震えるほどの神聖な波動が、その場を包んだ。


「……っ!」

 ヴェイルの目が見開かれる。


「それ……本物か? 本当に、聖神官の力と……勇者の剣、両方……」


 疑念と確信の狭間で、彼の声が揺れる。


「まさか……だが……その力、間違いなく“本物”だ……!」


 彼は拳を握り、しばし沈黙した。

 その表情は、揺れながらも何かを決意しようとしているように見えた。



「みんな、落ち着け。」


 低く、よく通る声がギルドの喧騒に静かに割って入る。

 それはヴェイルの声だった。まるで、騒然とした空気を断ち切るように。


 その一言で、ざわついていた空気がほんのわずかに落ち着きを取り戻す。


「さっきの商人が目撃したという“死神マカーブル”――まずは、あの話が事実かどうかを確認する必要がある。それと、街への影響だ。何より優先すべきは、住民の安全だろ」


 その言葉に、ギルド内の空気がまた変わった。

 受付嬢が常連の冒険者たちに声をかけて回り、情報収集の協力を仰ぎ始める。

 武器の手入れをしていた屈強な男は、無言で立ち上がり、幹部からの指示に黙って頷いた。

 ローブ姿の魔法使いは水晶玉を取り出し、遠方の気配を探り始める。


 ――まるで、軍が動き出すように。


(そうだよね。私は……女神の啓示ばかりに気を取られてた。でも、まずやるべきことがある)


 そんな私の思考を断ち切るように、ヴェイルの声がまた届く。


「すまなかったな。ここじゃ落ち着かない。場所を変えよう」


 ギルドの喧騒の中でも、彼の声だけは妙にハッキリと耳に届く。

 さっきまでの鋭い眼光とは違い、今のヴェイルの目には、穏やかさと、ほんの少しの“気遣い”がにじんでいた。


「ええ、そうね。それがいいわ。……あなたの家に、連れていってくれないかしら?」


 私の言葉に、ヴェイルが一瞬――ほんの一瞬だけ目を丸くした。


「お、お前……唐突すぎだろ……。まあ、いいけど。ボロ屋だけどな、文句言うなよ」


 軽くため息をつきながらも、彼は周囲の冒険者たちに軽く手を振り、私を伴ってギルドを出る。


 ギルドの扉を開けると、夕焼けが名残惜しそうに空に滲んでいた。

 騒がしさの残るギルドとは違い、外の空気は静かで、どこか温かかった。


 ヴェイルは並んで歩きながら、ぽつりと語り始めた。


「病弱な弟がいるんだ。……あまり大きな声を出すなよ。あいつ、ちょっとした音でも目を覚ますから」


 その声には、弟への深い思いやりがこもっていて、私は思わず足を止めそうになる。


(この人、本当に弟のことが大事なんだな……)


 私の中に、“勇者として”ではなく、一人の人間としての感情が静かに芽生えていくのを感じていた。



 二人が向かったのは、街の喧騒から少し離れた、古びた木造の家だった。そこに住んでいるのは、ヴェイルのたった一人の家族――病弱な弟、リアム。


 ギルドでは鋭く冷静なリーダーだった彼が、家の扉を開けた瞬間、雰囲気がふっと和らぐ。


「リアム、また無理して起きてるな?寝てなきゃダメだって言っただろ」


 優しい声。それはさっきのヴェイルからは想像できないほど、兄としての柔らかさを帯びていた。


 部屋の隅、薄暗い布団の中で、リアムは細い腕をついて顔を上げた。青白い頬にうっすら笑みを浮かべながら、私を見上げる。


「こんにちは……兄さんの仲間、ですか?」


「ええ。勇者の聖剣士、エミリアと申します。少しだけお邪魔させてくださいね」


 そう答えると、リアムは小さく頷き、慣れない手つきでお茶を淹れようとし始めた。どうやら来客は滅多にないようだ。


 そしてその小さな好奇心は、彼の体力とは裏腹に止まることを知らなかった。


「すごい剣技とかって、やっぱりあるんですか?モンスターと戦った話、もっと聞かせてください!あと好きな食べ物は?」


 次々と飛んでくる質問に、私は思わず吹き出しそうになる。

 ヴェイルは溜息まじりに「落ち着け、リアム」と言うが、その声もどこか甘い。


「だって、勇者様に会えるなんて滅多にないんだから!」


 弟の無邪気な声が部屋に響いたその時だった。リアムが急に激しく咳き込み、顔を歪めた。


「……ほら、無理するな。薬飲んで、もう寝ろ」


 ヴェイルが枕元に駆け寄り、そっと弟の背を撫でる。その手は、どこまでも優しかった。


「うん……でも、兄さん、僕が寝たからって変なこと言い出さないでね?」


「お前は親かよ……」


 呆れたように返しながらも、ヴェイルの顔はどこか緩んでいた。

 そんな微笑ましい兄弟のやりとりに、私は思わず心が和らいでいた――けれど。


(……やっぱり。リアムくん、あなた……)


 私は静かに言った。


「そのお薬じゃ、リアムくんの病気は治らないわ。これは、呪いよ」


 ヴェイルの顔色が変わる。「……なんだって?」


「魔王は、直接手を出せない相手には、呪いの種をばら撒くの。じわじわと心と体を蝕んで、気づいた時には手遅れってやつ」


 私は静かにリアムの体に手をかざし、聖なる光を灯した。

 薄い煙のような黒い瘴気が、一瞬だけ空間に揺れた。


「あなたの能力――空間を読み、罠を見抜き、危機を回避するその力は、魔王にとって最も厄介なものよ。だからこそ、あなたを“動けなくする”ために、弟に呪いをかけたの」


 リアムのかすかな笑顔が、ヴェイルの胸を貫く。

 これまで何度も感じていた「小さな違和感」――名医の薬も、治療魔法も効果がなかった理由が、ようやく形になった瞬間だった。


 ヴェイルの拳が、小さく震えた。


「ふざけやがって……!」


 その声は低く、けれど確かに、怒りに燃えていた。


 私はその隣で、静かに言葉を紡いだ。


「だから、あなたの力が必要なのよ。魔王を倒すには、あなただけが見抜けるものがある」


 ヴェイルは弟をなんて可哀想なのだとまっすぐ見つめている。


「今は私の聖光気で和らいでいるけれど――リアムくんを本当に救う方法は、ただ一つだけよ」


 彼の目が鋭くこちらを向いた。声は震えていたが、その中には確かな焦りと願いがあった。


「そ、それは……?」


 私はまっすぐに彼を見据え、迷いのない声で告げる。


「古の魔王を討つこと。それだけが、リアムくんをこの呪いから解放する唯一の道よ」


 その言葉は、刃のようにヴェイルの胸を突いた。


 魔王――伝説に語られる存在。人知を超えた呪詛の根源。

 たった一人の弟を救うために、そんな存在と戦わねばならないというのか。


 部屋の片隅、リアムはふと目を伏せた。弱々しい体ながらも、兄の動揺を敏感に感じ取っているのだろう。

 彼の沈黙が、かえってこの場の重さを際立たせていた。


「……オレに、それができるのか?」


 ヴェイルは苦く笑いながら呟いた。「オレは、ただのレンジャーだ。勇者でもなければ、選ばれし者でもない。弓の腕に少し自信があるくらいで、魔王と真正面から……無理だろ」


「いいえ。だからこそ、あなたが必要なの」


 私は腰の聖剣に手をかけ、凛とした声で言った。


「剣は、私が振るう。だけど、見えない敵の気配を感じ取り、罠を察知する。空間そのものを読む“あなたの力”がなければ、魔王の深層には辿り着けない。あなたは、ただのレンジャーなんかじゃないわ」


 そして、私は微笑んだ。「それを、少しだけ証明してあげる」


 ヴェイルを連れて、私たちは街の外れ、森の奥の静かな広場へ足を踏み入れた。風が静かに葉を揺らし、そこにはちょうど良い大きさの岩があった。


 私は聖剣を鞘から引き抜き、静かに深呼吸を一つ。

 体内の聖光気を刃に集中させ、淡く光る剣を、何の力みもなく振り上げた。


 ――次の瞬間。


 閃光が走る。

 空気が断たれ、世界が一瞬、静止する。


 遅れて響いた鋭い破砕音。

 目の前の巨岩が、まるで熟れた果実のように、静かに、綺麗に、真っ二つに割れて地面へ崩れ落ちた。


 その切断面は驚くほど滑らかで、まるでバターを熱したナイフで切ったようだった。


 ヴェイルは息を呑んだまま、言葉を失っていた。


「これが、私の力の一端よ」


 私は静かに言った。


「この剣でなら、サイクロプス程度なら一撃。けれど、魔王はそれだけじゃ倒せない。あなたの感知能力、洞察力、判断力――それらがなければ、私も戦えない」


 ヴェイルの視線を、まっすぐに受け止める。


「あなたの力が必要なの。リアムくんを救いたいなら、共に来て。必ず、救ってみせる」


 沈黙の中で、ヴェイルの拳が震えた。


 それは、恐れではない。決意だった。

 ……ちなみに、私の渾身の一撃で真っ二つになった、あの巨大な岩――どうやらこの街では、ちょっとしたシンボルだったらしい。


 後日、その持ち主の方に平謝りする羽目になったのは……まあ、私のうっかりということで許してほしいところ。


 でも、何が幸いするかわからない。


 あまりに見事すぎる切り口が話題になったらしく、岩は「勇者に斬られし伝説の岩」として、なんと新たな観光名所に格上げされた。今では、子どもたちがその前で記念写真を撮るほどの人気ぶりだ。


 ――結果オーライ、ってやつよね!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ