「港市国家ノヴァーラ」
聖剣士の称号を胸に、国境検問所を堂々と通過した。すごいぞ聖剣士。これがあれば大抵の検問は通過できるらしい。
目に飛び込んできたのは、活気に満ち溢れた港湾都市の喧騒だった。行き交う人々の熱気、聞いたこともないような道具の駆動音、鼻腔をくすぐる様々な料理の匂い。さすがは商業で栄える港市国家だ。見たこともないデザインの乗り物が走り抜け、屋台には色とりどりの珍しい食べ物が並んでいる。洒落たレストランの看板も目に付いた。
国境付近で感じた、あの途轍もなく恐ろしい気配は、今のところ微塵も感じられない。どうやら、その気配の根源はまだこの賑やかな市街地からは遠いようだ。
この世界に疎い私と、金銭欲とは無縁のエミールやエミリアだったが、幸いにも相棒のエミーナはそういった知識に長けていた。手早く、これまで魔物を討伐して得た大量の魔石を換金する。ずっしりと重かった革袋の中身は、想像以上の価値になった。
「ちょっとしたお金持ちじゃん…」
この世界では、ガスや電気、石油といった資源の代わりに、魔石がエネルギーの基本となっている。鉱山からも採掘されるらしいが、魔物から得られる魔石の方が質が高く、長持ちするのだという。街を走る乗り物はもちろん、家々の灯り、夜道を照らす街灯、そして街全体を覆う結界まで、その全てが魔石の力で動いている。環境を汚染する心配もなく、むしろ無限に湧いてくる魔物を狩ることで人々の生活が豊かになるという、まさに持続可能なエネルギーシステムだ。
宿を探そう。これだけ栄えている街なのだから、きっとそれなりのホテルがあるはず。何よりも今は、久しぶりに湯船に浸かりたい。毎日清潔魔法で身体は綺麗に保っているけれど、やはり温かいお湯に浸かる心地よさは格別なのだ。私は、賑わう大通りを、期待に胸を膨らませながら歩き始めた。
エミーナの知識の幅広さには、いつも驚かされる。私の知識は前世の現代日本のものだし、エミールの育った修道院ときたら世俗的なことには疎い。そしてエミリアは、幼い頃から聖剣士として祭り上げられ、周りの人間が何でもやってくれたらしい。まったく、箱入り娘ばかりじゃない。
そんな私たちの中で、異彩を放つのがエミーナだ。彼女は義賊出身の銃闘士。悪徳貴族や強欲な商人から奪った物資を貧しい人々に分け与えていたという、筋金入りのアウトローだ。私たちと同い年でありながら、その性格は姉御肌で、困った時には頼りになることこの上ない。
特に、こういった世知辛いお金の話や、裏社会の事情となると、彼女の知識はまさに宝の山だ。義賊時代に培った経験と勘が、今の私たちにとって何よりも貴重な財産となっている。
ほどなくして、私の目に、こぢんまりとしていながらも上品な佇まいのホテルが飛び込んできた。磨き上げられた床が光を反射するエントランスには、恰幅の良い女性がにこやかに立っている。まるで、この宿の顔である女将といった雰囲気だ。
「こんにちは、お部屋は空いていますか?」
私が声をかけると、女将はさらに笑顔を深めて答えた。「おや、いらっしゃい。運がいいねぇ、ちょうどキャンセルが出たばかりの部屋があるんだよ。」
その瞬間、視界の端に、今まで見たことのない光景が広がった。女将の頭上に、まるで漫画の吹き出しのように、半透明のプレートが現れたのだ。そこにはっきりと【ガーダ・ロワ・マリー】という文字が書かれている。名前の横には、何か細かくモニョモニョとした記号のようなものが付いているが、残念ながら今の私にはそれを読み解くことはできなかった。
(なんだろう、あれ?新しい能力かな?)
驚きと共に、私は内心で呟いた。これはなかなか便利かもしれない。この世界の人々の、聞き慣れない横文字の名前を覚えるのは、正直苦労するからだ。
「この国は初めて来たんですが、すごい賑わってますね。」
素直な感想を述べると、女将は嬉しそうに目を細めた。「ああ、近々百周年の港まつりがあるんだよ。国を挙げての一大イベントさね。世界中から色々な珍しいものが集まってきて、一週間まるまるお祭り騒ぎなのさ!」
思わぬビッグイベントの情報に、思わず小さく飛び跳ねて喜んだ。前世界でも、最近はお祭りらしいお祭りにはなかなか行けていなかったのだ。
(友達とかと一緒じゃないのは、ちょっと寂しいけど……)
心の中でそう呟きながらも、久しぶりのお祭りへの期待に胸が膨らむのを抑えきれない。
女将に案内された部屋は、決して広くはないものの、隅々まで丁寧に掃除が行き届いていた。窓からは港の賑やかな様子が垣間見える。
待ちに待ったお風呂にゆっくりと浸かり、旅の疲れを洗い流す。湯船から上がると、宿自慢だという温かい料理が運ばれてきた。素朴ながらも滋味深いその味わいに、思わず頬が緩む。
満腹になった私は、ふかふかのベッドに身を沈めた。心地よい眠気がすぐに彼女を包み込む。魔王討伐は怖いけど、意外とこの世界での生活も、悪いものではないかもしれない――そんなことをぼんやりと考えながら、深い眠りに落ちていった。