敗北の告白と、交わる商才
市場の喧騒が少し落ち着きを見せ始めた夕方。
レアナは、屋台を片付けながら、ちらりと隣を見る。
ユリウスの屋台にはまだ客が並んでいた。
その光景を眺めながら、レアナは静かに息を吐いた。
(私は……負けた。)
完敗だった。
悔しい。でも、それを認めずに逃げるのは違う。
レアナは、意を決してユリウスの屋台へと歩み寄った。
ユリウスは、最後の客へビスケットを手渡しながら、彼女の方を見た。
「やぁ。」
「……私、負けたわ。」
レアナは、真正面からユリウスを見つめた。
「非の打ち所がない完敗よ。あなたの商才の前に、私は完全に敗北した。」
静かな告白だった。
負けを認めるのは悔しい。でも、それを言えないままでは次に進めない。
ユリウスは一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「君が、そうやって素直に負けを認める人で良かった。」
「……?」
「負けを認められる人は、必ず強くなる。僕はそういう相手と競争するのが好きなんだ。」
レアナは、その言葉にじわりと胸が熱くなるのを感じた。
(悔しいはずなのに……なんでだろう?)
「それに……正直に言えば、僕も興奮してるんだ。」
ユリウスがふっと息を吐くように言った。
「え?」
レアナは目を瞬いた。
「君の“オーダーメイド体験”を見た時、面白いと思ったんだ。」
ユリウスは、まるで少年のように目を輝かせながら続ける。
「お客さん自身が関わることで“体験”を生み出す商売……それは、僕が今までやったことのない形だった。」
「だから、その考え方を応用して“実演販売”を組み合わせた。」
「結果として僕は勝ったけど、これは単なる競争じゃない。“体験を軸にした商売”が市場を動かすってことが、君のおかげで分かったんだ。」
「……」
ユリウスの言葉には、いつもの冷静さとは違うものがあった。
いつも落ち着いていて、計算高くて、完璧な商売人——
その彼が、今は純粋に「新しい商売の可能性」に興奮している。
「新しい発想をもらったのは、僕の方かもしれないね。」
「……っ!」
レアナの心臓が、一瞬だけ跳ねた気がした。
(なに……?この気持ち……)
「……それってつまり、私たちの商売は“競争しながらも影響を与え合う”ってこと?」
レアナは、少し顔をそむけながら呟いた。
「そうだね。」
ユリウスは微笑みながら頷く。
「僕は商売が好きだ。でも、それ以上に、こうして“新しい発想”が生まれる瞬間が楽しいんだ。」
(そんな顔、するんだ……)
レアナは、ユリウスの笑顔を見つめた。
いつもの冷静さとは違う。
計算も、勝算も、何もかもを超えた、「純粋な楽しさ」を感じさせる表情。
(もしかして……私は、今まで“商売を楽しい”なんて思ったこと、あったっけ?)
それを考えた瞬間、彼女の胸が軽くなった。
「ふふっ。」
「……?」
「なんか、不思議ね。」
レアナは、ふっと笑ってしまった。
「私、今まで“絶対に勝たなきゃ”って思ってたけど……商売って、こんなに面白いものなのかもしれないって思ったわ。」
「それなら、君はすでに一歩成長してる。」
ユリウスが優しく微笑んだ。
「……?」
(なんでだろう……心臓が、ちょっとだけうるさい。)
レアナはまだ、自分の気持ちが何なのか分かっていなかった。
でも、ユリウスは——
彼女に出会い、競争し、影響を与え合う中で、自分の気持ちが何なのかを確信しつつあった。
(僕は……)
レアナに、尊敬を抱いている。
レアナを、もっと知りたいと思っている。
そして——
(……好きなんだろうな、僕は。)
でも、それを本人に伝えるのは、怖かった。
彼女はまだ、自分の気持ちに気づいていない。
(もし言ってしまったら、君はどうする?)
その答えが怖くて、ユリウスはそっと視線を逸らした。
「……次の商売、どう動く?」
「もちろん、次は絶対に負けないわ!」
レアナが拳を握りしめる。
ユリウスは、そんな彼女の姿を見て、また笑った。
(それでいい。)
今はまだ、競争相手としてこの距離を楽しもう。
そして、いつか——
(この気持ちを伝えられる時が来たら、その時は……)
ユリウスは静かに、胸の奥で決意した。