ユリウス、動く
市場の朝、いつもと変わらぬ活気に包まれる中、レアナは屋台の準備をしていた。
昨日のネガティブキャンペーンを跳ねのけ、ようやく客足も戻ってきた。
今日はもっと売れるはず——そんな期待を胸に、意気込んでいたその時だった。
甘く香ばしい匂いが、風に乗って市場全体に広がる。
「……?」
レアナは違和感を覚えて、周囲を見渡した。
その視線の先、見慣れない屋台が新しく設置されているのを見つけた。
「おい、あれ……」
スピカがレアナの肩から飛び上がり、屋台の方へ目を向けた。
そこには、ユリウスがいた。
彼は相変わらず落ち着いた様子で、屋台の前に立っていた。
しかし、その周囲にはすでに客の群れができ始めていた。
「……何をしてるの?」
レアナが目を凝らすと、ユリウスが焼きたてのお菓子を手に取り、優雅な手つきで並べていた。
「カリッと焼き上げた、はちみつアーモンドビスケット です。」
甘い香りが漂う中、ユリウスの落ち着いた声が市場に響いた。
「焼きたての香ばしさと、はちみつの優しい甘さ。ティーと一緒に楽しめば、最高のひと時を味わえます。」
「美味しそう……!」
「焼きたてなんて贅沢ね!」
次々と客が手を伸ばし、行列がどんどん伸びていく。
「……!!」
レアナは息を呑んだ。
これはただの新規出店じゃない。市場の流れが、彼の屋台に引き寄せられている。
「データによると、ユリウスの屋台、客の集中率が急速に増加中なのです!」
ちーこがセンサーをピカッと光らせる。
「まるで市場の重心が……ユリウスの屋台に移動したみてぇだな。」
スピカが呟いた。
レアナの胸に、今まで感じたことのない危機感が広がっていく。
「……ちょっと、見に行く!」
レアナはスピカとちーこを連れて、ユリウスの屋台へ向かった。
「いらっしゃいませ。」
ユリウスは変わらぬ落ち着いた態度で、客を迎えていた。
「焼きたてのビスケット、いかがですか?」
彼は手際よくお菓子を焼きながら、試食用の一口サイズを客に配っていた。
「この香ばしさ……!」
「甘さが絶妙ね!」
試食した客は、そのまま自然と購入に繋がっていく。
(……くっ、試食を活かした商売の流れが、完璧すぎる!)
レアナは歯を食いしばる。
それだけじゃない。
ユリウスの屋台の近くに並ぶ、市場の他の屋台も活気づいていた。
「おい、ティーに合うお菓子がこんなに売れるなら、うちのフルーツジャムも試してくれ!」
「このチーズも相性抜群だぜ!」
自然と市場全体が盛り上がり、周囲の屋台の売上も伸びている。
「……なんで、こんなことに?」
レアナは混乱していた。
「ちーこ、スピカ、何が起きてるの?」
スピカがふっと鼻を鳴らし、言った。
「お前の店を潰すためじゃねぇよ。市場全体を盛り上げるための戦略だ。」
「……市場全体?」
「データによると、ユリウスの狙いは“市場の重心を作ること”なのです!」
「まず、ユリウスはオーダーメイドティーと競合しない“補完商品”を選んだのです!」
ちーこがセンサーを輝かせながら続ける。
「確かに、お前の店は“自分だけのティー”を作れるが、それだけじゃ満足しない客も多い。」
スピカがレアナを見つめる。
「そこで、ティーに合う焼きたてのビスケットを実演販売することで、“買う理由”を増やしたってわけだ。」
「でも、それだけなら、ただの新規出店じゃない?」
「それだけじゃねぇんだよ。」
スピカは周囲を見渡した。
「こいつは、市場全体を巻き込んでる。」
「……!」
「焼きたての香りが市場全体を包むことで、客の足を止める。そこに“流れ”ができる。」
「結果的に、近くの屋台も売上が上がり、市場全体が活気づく。」
「その“中心”にいるのがユリウスの屋台……つまり——市場を支配してるのです!」
「……!!」
レアナは愕然とした。
「個の商売」ではなく、「市場の動きそのものを作る商売」——これが、ユリウスの戦略。**
「もうひとつ、重要なことがあるのです!」
ちーこがセンサーを光らせる。
「この戦略、レアナの店にもメリットがあるのです!」
「えっ?」
「実際、レアナの屋台の売上も昨日より上がっています!」
「……!?」
「ティーだけじゃなく、“お菓子と一緒に楽しむもの”として客が流れてきているのです!」
「……つまり、私は完全に“利用された”ってこと?」
スピカがくちばしを鳴らし、笑った。
「そういうこったな。」
「自分の商売も伸ばしつつ、周囲を活気づけ、結果的に市場を牛耳る。これが、ユリウスの商才ってわけだ。」
レアナは呆然とし、次第に笑いがこみ上げてきた。
「……もう、笑うしかないわね。」
ここまで完璧にやられたら、悔しいを通り越して清々しい。
商売のレベルが違いすぎる。
「……私、本当にまだまだだね。」
「でんと胸を張れ。それが分かっただけでも、今日の敗北は価値があるぜ。」
スピカが羽を広げ、レアナを見つめる。
「次はどうする、レアナ?」
レアナは、ぐっと拳を握った。
「……学ぶしかないわよね。」
彼女はユリウスを見つめながら、心の中で決意した。
(いつか絶対に、このレベルに追いついてみせる!)