神に宿りし闇の正体は、人々の放棄した苦痛から
闇瘴とは「神の苦痛」
神とは「楽園の創世装置」
ならば、苦痛の正体は――
闇瘴の正体とは、楽園の人間が切り離した苦痛の塊。そのことを語るスペリアス様の表情はこれまで以上に重い。
普通、苦痛なんて誰かに肩代わりしてもらえるものじゃない。エステナが世界を創れる装置だとしても、現実的に考えるとありえない。
――でも、実際に似たような事例を私も旅先で見てきた。
「レパス王子にカーダイスさん……。あの人達の体、完全に人間から離れてた。苦痛を感じることもなく、どんな形になっても生きられる……。しかも、楽園の力で……」
「エステナに搭載されたゲンソウの力があれば、肉体に及ぶ感情や現象を切り離すことも可能じゃ……。エステナ教団の技術にしても、所詮は後発の真似事じゃて……」
【そ、そんなことまで可能とするなんて……。にしても、ゲンソウってのはいったい何なんですか? ルーンスクリプトといった魔法を始め、その力こそが全てを握っているような……?】
そして、それらの大きなまとまりと呼べる力こそ、これまで何度も耳にした力――ゲンソウ。多分、全ての意味はここに集約してる。
世界が楽園から生まれたと言うならば、今の世界はゲンソウの傘下にあるとも言える。ルーンスクリプトにしたって、魔法の原初言語とも呼ばれてる。
あまり馴染みのない存在が、本当は世界の根底に垣間見える。
「ゲンソウについては……ワシも確かなことは言えぬ。じゃが『ゲンソウが使われる目的』ならば理解できよう……」
「目的についても……楽園が?」
「ああ、左様じゃ。楽園の人間は何より、その身に苦労や苦痛がのしかかることを嫌っておった。じゃからこそ、いかなる手を用いてもその身に宿る『痛みや苦しさ』を取り除こうとした……」
【その手段こそが……『苦痛をエステナに肩代わりさせる』ってことですか。……俺も少し話が見えてきましたよ】
ゲンソウの持つ可能性は底が見えない。人の痛みを肩代わりしてもらうなんて、普通じゃ想像できない。
もっとも、楽園にまつわる事象に普通なんて通用しない。これまでの常識なんて、全部ひっくり返ってもおかしくない。
ツギル兄ちゃんもそれを認めてるからこそ、同調しながら思うところを語り始める。
【感情なんて形のないと思えるものでも、誰かに肩代わりしてもらうならそれはある種形あるもの……。創世装置エステナに肩代わりさせた苦痛は蓄積し、明確な形となって世界に放たれた。それこそが――】
「そう……闇瘴じゃ。一部世界で語られる『神の苦痛』と呼ばれるものの正体は、楽園の人間が放棄して『創世装置に蓄積した苦痛』ということじゃよ。全ては自分達が苦しみたくないがため、あらゆる苦痛をゴミのように捨てた結果としてのう……」
私も少し見えてきた。闇瘴というのは、楽園に蓄積した苦しみの具現化。その苦しみが楽園の外へ放出され、世界中の人々を苦しめてた。
楽園って身勝手だ。何が『苦しみのない場所』だ。その苦しみを誰かに押し付けていいはずがない。
「楽園内で外の世界が地獄と呼ばれておったのも、エステナに蓄積した苦痛が闇瘴として溢れ出ておることを知ってじゃろうな……。いくら自我のないエステナという装置であれど、無限に貯め込めるわけではないということじゃ……」
「エステナが何も感じないからって、本当に身勝手。……でも、待ってほしい。苦痛を何一つ感じないってことは……?」
さらにここで浮かぶ疑問。私が長旅で得た経験も含めると、楽園には苦痛と同時に『あるもの』がない。
身に降りかかる苦痛をすべからく放棄したとするならば、本来の可能性も放棄したってことになる。
――ゲンソウという途方もない力があっても、これを放棄する意味があるとは思えない。
「そう……楽園の人間に『進化』はない。苦痛を感じぬということは、経験に乏しいということ……。苦痛に潜む意味からも逃れた怠惰の極み……。そして……それはこのワシにも言えることじゃ……!」
「ス、スペリアス様……!?」
スペリアス様が語る言葉は、私が考えてたことと同じ。単刀直入に楽園は『進化の可能性』を自分達から捨ててる。
ただ、そのことを語る中でスペリアス様は顔を押さえて泣き崩れ始める。私もどう言葉をかければいいのか困るほどだ。
――楽園のことについては、かつてそこに住んでたスペリアス様にも当てはまる。
「ワシの肉体は老いを知らぬ! 単純な痛みでさえ、知るのに時間を要した! いくら楽園を離れようとも、楽園で産まれたこの身はいまだ素直に苦痛を受け入れて――本来の人間の道を歩んではくれぬ! どれだけ苦痛から隔絶された楽園で過ごそうとも、外の世界を見れば一目瞭然じゃった! ただ恐れ、ただ拒むだけでは人は人足り得ぬ! 人の本能が、進化と可能性を求めるからこそ――ゴホッ! ゴホッ!」
「……スペリアス様。気持ちは分かるけど落ち着いてほしい。そうやって苦悩するってことも進化の一つだと思う。……スペリアス様は逃げるだけじゃない立派な人間」
興奮して語るスペリアス様の背中をサスサスしながら、ちょっぴり偉そうに語ってしまう。でも、その言葉も行動も嘘偽りのない本心。
外の世界を知ることで、スペリアス様は『初めて苦しい思い』をしたのだろう。それは『自分が人の道を逸れていたこと』に対する苦悩。
私には想像もできない。最初から人間として痛みを実感してきた身では、スペリアス様の苦悩は理解を超える。
きっと、哲学者としての側面もそういった苦悩があってのこと。だからこそ、私には一つだけ確信できることがある。
――スペリアス様は逃げてない。人としての道を、もがきながらも模索してる『人』だ。
「ハァ、ハァ……すまんな、ミラリア。おぬしがそう言ってくれると、ワシも救われた気になるわい。……ただ、ワシのこういった考えに対する楽園の答えは違っておった」
「てことは、一度は楽園へ戻ったってこと?」
「ああ……随分と時間もかかり、本来の目的であったイルフ人も捕らえておらぬがのう。何より、ワシ自身も楽園へ伝えたかったのじゃ。見聞きした経験と辿り着いた結論――『楽園は必要ない。外の世界へ降りて人として生きるべきだ』……とな」
【ただ、それを聞き入れてはもらえなかった……ってことですね?】
胸を押さえて苦しみながらも、スペリアス様が話を止めることはない。激しい慟哭も見せるけど、それはそれで人らしい。
ならば、そういった『人らしさ』を拒んだのが楽園。感情の起伏さえも苦しみとして、スペリアス様の言葉も聞き入れなかった。
――そして、その先にこそ最初の話の一つが含まれる。
「楽園はワシの話を聞くどころか……『苦痛を持ち込む不安要素』として追放したのじゃ。……さらにあろうことか、楽園をさらなる形で『苦痛なき箱庭』へ変える計画も進め始めたのじゃ」
世に語られる古の楽園。
そこは人が人の道を逃れた成れの果て。




