第八十三話 魔界3
「ここからが本番だな」凍てつく吹雪と壁の様に思える風にぶつかりながら前を見る。あれから二ヶ月の時間を経て、魔界に繋がる門の前まで来た。
今なら俺一人でも青竜なら倒せるし、白竜も状況によっては勝つことができる。問題はこの山の上に縄張りを立てている黒竜だ。
こいつは赤竜や青竜と違い、大きいし攻撃も隙が無い。全身を包む漆黒の鱗は魔法を通さない。内側には鋼の様に鍛えられた筋肉が主要の器官を守る。並大抵の物理攻撃は効かない。
要塞とも思える体に群れを作るという習性。さらには自己再生能力も備わっている。有効打を与えたとしてもすぐに回復を始め、振出しに戻る。勝つ方法は再生が始まるよりも速く殺すこと。一度でも失敗すれば逃走しないといけない。
壊れたところは二度そのようなことが起きないように強化され修復する。こうなれば何もできない。クロに頼りたいが魔法使いだから戦闘には向かない。俺達だけで何とかしないといけない。
「黒竜、何匹?」豪雪を槍で振り落としながら、アミスが聞いてきた。
「ざっと十数体だな」千里眼を使い、空を飛ぶ竜、地面を歩く竜を見る。警戒しているのが三匹。もう俺達の接近には気が付いているだろう。伝えないのは強者の余裕か、それとも怠慢か。この後の戦いで決まる。
「クロ、役に、立つ?」赤い雷が空気中に僅かに漏れる。離れていても全身がぴりつくような出力。これでまだ本気じゃないから恐ろしい。
「魔法が効かないから無理だな。バフをかけてもらうことは出来るか?」風魔法を身に纏い吹雪の影響を受けない黒騎士に聞く。
「可能だ。だが、短期決戦で頼むぞ。あいつらは学習して強くなるからな」メイスが橙色に輝く。と同時に赤い雷が空気に満ちる。そして黒竜の咆哮が山を包み込んだ。だが、戦闘態勢に入ったわけじゃない。最終通告を受けただけ。
「了解!行くぞ!」腰からナイフを取り出し雪の上を歩くように疾走する。体が羽が生えたように軽い。力もいつも以上に湧き出てくる。本職のバフは凄いな。
「ベータ、三秒後、飛んで」アミスの声が聞こえた瞬間、視界の端が真っ赤に染まる。これは,,,魔槍の完全展開。最初から全力ってことか。
「オーケー!」猛毒が仕込まれた投げナイフを飛ばしながら宙に躍り出てヘイトを買う。硬い甲殻を貫けなくても吸気すれば体力は下がる。懸念すべきところは再生で呼吸器が強靭になることくらい。ま、俺達の戦い方に支障が出るわけじゃない。
「ぎゅああぁあ!!」ナイフが黒竜の目に突き刺さり、戦闘の幕が開いた。
「掛ってこい!」ケープを翻し、四方からくる攻撃に備える。今着ているこれは耐衝撃のエンチャントが掛かった優れもの。高価だし、流通が殆どされていない。使うならこの大一番の舞台だ。
「がおンンッッッ!!」亜音速に達する速度で繰り出された噛みつきは、衝撃を吸収する布を貫通し俺の体にダメージを与えた。
「痛ってええぇ!!」予想外のダメージに声を出す。不良品を掴まされたか?いや鑑定を使ったからそんなはずはない。黒竜の力が異常すぎるだけだ。
「ベータ、踏ん張って」赤い雷が空気を切り裂く音が聞こえる。今落ちたらアミスもこの攻撃の餌食になる。何とか堪えて空中に居ないといけない。
「分かってる!」魔法空間から転送石を取り出し、空中に片割れを投げる。最高点に達しなくても距離は十分に稼げる。
「お前も頑張れ!」もう一つの石を砕き片割れの座標に転移する。刹那、竜がいた場所が雷の半球で覆いつくされた。だが、これで片が付かないのが竜だ。表面が多少焦げただけで、大きな傷にはなっていない。
「当たり前」~赤雷纏~
赤い雷を身に纏う少女の手には完全展開された魔槍ヴァミリアが握られていた。体に溜まった雷は放電をしては地面を砕き、降り注ぐ雪ですら原形を留めることができず消えていく。
「があぁぁああああ!!!」地面で余裕ぶっていた黒竜が事の重大さに気が付いたがもう遅い。彼女の槍は金属から雷に変貌を遂げ、獲物を屠る瞬間を待ちわびている。
「渾身、の、一撃」~紅蓮ノ霹靂~
乱雑に散っていったエネルギーが槍に変形し、群れに向かって放たれた。弾丸の様に迷いなく飛んでいく金の槍は、直線状に存在する生き物全ての命を絶ち、その勢いが止まることはなく空に向かって曇天を吹き飛ばした。
「ふぅ」力を最大限使ったアミスはその場に倒れ込むように突っ伏した。雪で体が冷たくならないようにクロが魔法で宙に浮かせ、毛布でくるんだ。
「流石だな!!」仲間の死を目の前に呆然としている竜の上に乗っかり、親指を立てる。仲間意識がある生き物を殺すってのは好きではないが、嫌いでもない。目標達成のために必要ならいくらでもする。
「こっちは任せろ!」魔法空間から今まで溜めてきたいらない素材を取り出し、空中に保持する。逆鱗に濃縮された血液。亜種個体の体毛に歴戦の角。貴重な金属を使った武具。この全てを能力と魔法で超圧縮させ爆発させる。
「世界から見放された異端者よ。反撃の時が来た。力を示せ、力を合わせ。くだらないこの世界に復讐と言う鉄槌を振り落とせ」噛み締めるように詠唱を始める。
それに気が付いた竜が俺の事を背中から落とそうとブレスや近接攻撃を仕掛けてくるが、ケープに守られている俺は鋼鉄の様に硬い。やわな攻撃じゃ声も上げないし、動かない。
「消えない過去も、癒えない傷も、全てまとめて忘れられない歴史に昇華させよう。集まれ、力を分けろ。この魔法に感化された愚者たちよ」連続詠唱で魔法の精度、火力、範囲を増大させる。魔力消費が激しいが、此処を乗り切るために必要なこと。
「降り注げ。痛みの記憶」滾るように手に溜まった魔力が空中に浮いている過去の遺物に衝突した。その瞬間、形が定まっていなかったものが完全に球体に変化する。そして七色に光り、邪魔な存在を薙ぎ払うように光線を放ち、竜の体を両断していく。
断末魔を上げることすら許されない、魂に刻まれる無慈悲の攻撃。紙一重で避けたところで追撃が繰り出される。終わりが来るのは俺が敵だと思ったこの竜がくたばる時だ。
「悪いな」恨みが籠った竜の両の目を見て謝罪する。こんなんで許されるなんて思ってない。弱い奴は淘汰される。こいつもそれを分かっている。頂点に登った奴の足元には亡骸が転がっている。立場が変わっただけ。
「待たせたな」灰塵となった竜の体の上から飛び降り、アミス達がいるところに着地する。空を飛ぶ竜もいなければ地面を闊歩する竜もいない。俺達の完全勝利だ。
「お疲れ、ベータ」短い労いの言葉を貰う。孤独では感じることの出来ない高揚。満たされない何かが満たされるような感覚。
「魔界でも戦えそうだ」アミスを抱きかかえているクロが俺達の戦いぶりを見て、この後の世界でも通用するかどうかを判断してくれた。
「本当か?」
「本当さ。あの竜を殺せればな」視線の先には炎を口から漏らす竜が羽ばたいていた。ボロボロの翼に潰れた両目。魔法攻撃が通りそうなほどに砕けた鱗。大地を踏みしめることすら出来なさそうな足。
満身創痍。なのに、あの竜から得体のしれない強さを感じる。
「特殊個体か,,,」腰からナイフを取り出し戦闘態勢に入る。アミスも戦おうとしていたが、力を使い過ぎたのか、立つことすら叶わず、俺の背中を見るだけだった。
「厄介な相手だが、勝てそうか?」後ろから俺の事を心配する声が聞こえた。
「死んでも助けてくれるだろ?」振り返らず目の前に現れた難敵に視線を合わせる。信じれる仲間が付いているんだ。敗ける気なんてしない。
「そうだな。行ってこい」クロの言葉で体が更に軽くなる。バフの重ね掛けのおかげだろう。
「おう!」地面を抉りながら距離を詰める。こいつは魔法に完全耐性があるうえ、死線を何度も乗り越えた歴戦の猛者。身を包む僅かな鱗は如何様な攻撃でも弾く。その下の筋肉は鋼よりも固く、しなやか。傷を負わせるのは難しい。
でも諦める程の強さじゃない。必ず弱点が存在する。そして俺はその弱点を知っている。実行できるかどうかも分からないし、チャンスも一度だけ。人生一番の大博打と洒落こもう。
「ぎゅあぁあああ!!」咆哮と同時に大量のブレスが周辺を一気に焼き払う。ギリギリのところで右に左に回避する。二人は結界魔法の中で観戦していることを祈りながら隙を探す。
ブレス、咆哮、サマーソルト。単調な攻撃だが速い、速すぎる。目で追うのが限界だ。この中で回避しながら隙を見つけるのは至難の業。
「危ねぇな!」ブレスと魔法が組み合わさった大技を疾走して避ける。熱波がすぐ後ろまで迫っているのが分かる。
「よっ!」負けじと魔法を展開して迎撃を始める。視力が潰れた代わりにこいつは他の感覚が研ぎ澄まされている。少しでも他の事に意識を割くことをしなければ。
「ベータ!それは悪手だ!」クロの声が聞こえた。そして目の前が一瞬で暗くなる。暗黒魔法。そう気が付くときには遅かった。再び光を取り戻した時には完全に包囲されていた。
時間が遅く流れている。上空にはブレスを溜めている黒竜が。目線の高さには火炎魔法と風魔法が殺そうとしている。下には土魔法で構築された金属の槍が向かってきている。
死。
それだけが頭の中を支配する。体を動かしたいのに動かない。迫りくる死と絶望を受け入れることができない頭だけが動く。
クソが。こうやって思考している間にも魔法が、ブレスが近づいている。抵抗できる手立てはないか,,,,,,,無理だ。死ぬしかないみたいだ。抵抗者のクロに一縷の望みを託すしかない。そういや死人を生き返らせることは難しいとか言っていたな。
あれ?本当にくたばるのか?他の軸の俺は助けに来ないのか?見捨てられたか?あり得ない程の言葉、考えが浮かんでは消える。そして一つの答えに辿り着いた。
あぁ、そういうことか。まだ、死にかけじゃないのか。
視界を焼く魔法も、体を切り刻む魔法も、本能が警鐘を鳴らすほどのブレスも、俺を殺すことは出来ない。
「ぐっ!!」魔法が直撃しケープが壊れ、直にダメージを負う。それでも死なない。
「があぁっ!」金属の槍が太ももを貫くが死なない。
「あぁああ!!」風魔法で右腕が落とされても、右目が燃やされても死なない。まだ生きている。
「___!!!!」最大火力のブレスを喰らい、身を焦がされても俺は死なない。聴覚が消えても、網膜が焼き切れても、嗅覚が自分の肉が焼ける臭いで麻痺しても、五感が冷気と熱気で機能しなくても、まだ俺は前を見ている。
「こい,,,よ。俺,,,は,,,生きてるぞ?」無様で、惨めなファイティングポーズをとる。人間を構築する要素が見えなくても戦える。
「「!!」」俺の事を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、関係ない。今は目の前のこいつを殺すことだけを考えればいい。秘策を弱点に当てれば勝てる。
「ぎぃやぁあ!!」俺の思惑を見抜いたのか竜は間合いを完全に詰め噛んできた。ケープが無ければ、鎧も無い。焼け焦げた俺の身体は何よりも柔らかい。一撃で体の右側を持って行った竜の顔は勝利を確信している、馬鹿の表情が窺えた。
「お前の負けだ」魔法空間から俺の身体で作られた一本の槍を取り出す。秘策はこの呪いが込められた槍。弱点は甲殻で守られている首元。油断して丸見えだ。
「貫け」~愚者の槍~
空気を切り裂きながら飛んでいく五股の槍は竜の肉体に突き刺さり爆発した。竜殺しの呪いが付いた武器は傷が付くたびに威力が増す。この傷も布石。
特殊個体が門の周りを徘徊しているという情報はここに来る前から入手していた。だからここまでの用意ができた。死の淵を歩くなんて想定外だったが。
「回復魔法を,,,頼む,,,」地面に倒れ込みながら抵抗者に回復を求める。死んでないから五体満足のところまで治してくれるだろう。
「当たり前だ!」「ベータ、死なないで」途切れかける意識の中で二人の声が聞こえた。上を向きたいが、余力が残っていない。乗り越えた喜びを分かち合うのはこの暗闇から脱した時だ。
「死ぬわけないだろ」笑いながら意識を手放した。




