第八十二話 魔界2
~ベータ視点~
山を登り始めてから二ヶ月が過ぎた。始めは順調だったが、山頂まで残り千と数百メートルの所で段々雲行きが怪しくなってきた。標高が高いせいで起きる高山病。慣れるには数日から一ヶ月は必要だ。俺たちは回復魔法で無理やり克服している。
また五千メートルを超えた辺りから叩きつける様な強い風に、体温を確実に奪う白い雪が戦意を喪失させようと試みている。現に俺とアミスは二度滑落したし、低体温症で命を落としかけている。クロがいなければ全滅していただろう。その時はルートを変えているから問題はないだろうが。
こんな過酷な環境に追い打ちをかけるように昼夜問わず、無数の竜が襲撃を仕掛けてくる。統率が取れた竜の群れは王国の軍よりも恐ろしい。赤竜ならまだしも、上位である青竜や白竜が姿を出し始めている。
「ベータ!範囲外に!!」今も野営をしようとしたところを狙われている。落ち着いて火を焚くことすらできない。
「分かってる!!」バックラーで不純物が混ぜ込まれたブレスを弾きながらアミスの攻撃範囲の外に出る。戦闘経験が乏しい俺はここでは足手纏いだ。出来ても後方からの援護。
「ついでにくれてやるよ!!」魔法空間から氷属性が籠った瓶を竜の足元に投げる。割れれば足元が凍り、動きが鈍くなる。避けられても、冷気が体力を奪ってくれる。効果は一瞬だが、アミスはその隙を見逃さないで殺してくれるだろう。
「流石」赤い雷を纏った少女が全身を回転させながら竜に突き刺さり、ため込んでいた雷を一気に開放した。耳が劈く程の落雷が数十回同じ場所に降り注ぎ、竜の形を完全に消し去った。
空を旋回していた竜の群れはその光景に戦慄したのか、どこかに飛び立っていった。
「今回も私の番は来なかったな」魔法の詠唱をしていたクロはメイスをしまい、不発に終わった魔法を空に向かって撃ちだした。放物線を描いて飛んでいった金属の塊は竜の心臓を貫き、空をも割った。
「魔界で生きるためには力がないとな」俺達の目標は力を付け、世界図書館に行くこと。助けてもらってばかりじゃ強くはならない。だから最強のクロは後方で観察し、危ないと感じたら助けるという方式を取っている。
「ベータ、腰、引けてる」一回り以上も小さい体格の少女に腰を蹴られる。大幹が鍛えられていない俺は大きく体がブレ、地面に倒れた。
「仕方ないだろ。前衛で戦ってこなかったんだから」現地に行かず、参謀として戦況を動かしてきた俺に、血と肉が飛び散るこの世界は非日常すぎる。調子に乗ることもあるが、雑魚限定だ。ここの相手は竜ばかり。少しでも油断したら死んでしまう。
「だから、戦闘、教える」空を切る音を奏でながら槍を振り回す彼女はさながら凶戦士。こんなのに変な癖が付きそうだし、何か壊れるかもしれないから教わりたくない。
「勘弁してくれ。俺は地道に強くなりたいんだ」服に付いた土埃を落としながら立ち上がる。
「こうなるんだったらブレイクに教わっておけばよかったな」大剣を振り回しながら戦場を駆ける蒼い髪の仲間を思い出す。戦況を瞬時に判断して戦うあいつは今まで見てきた中でもダントツで強い。
隙が多くなる大剣による攻撃も魔法とスキル、飛び道具でカバーし牽制し、そして生まれた隙に特大の攻撃をお見舞いする。状況に応じて弓や、槍、短剣に長剣も使っていた。あそこまでのオールラウンダーは見たことが無い。
「ブレイク?何で?」アミスは自分が選ばれなかったことを不服に思っている様で、頬を少しだけ膨らませた。
「臨機応変に戦うからだよ。アミスは一点突破型だろ?」俺の言葉に納得したのか、目を少しだけ開いて、頷いた。彼女は聡明だ。学が無いと自虐することが多々あるが、戦闘に関しては群を抜いている。俺の発言の真意を理解し一歩引いた。
自分だけにしか扱えない槍の型。圧倒的な自信から生まれる苛烈な攻撃は並大抵の人間じゃ防げない。モンスターも然り。本当なら彼女を見習いたいんだが、生まれながらのビビりな俺は自身が持てない。
「なら私が教えようか?」俺達の話を聞いていたクロが名乗り出た。
「お前って前衛できるっけ?」記憶の限りでは魔法だけを使い戦っていた。あーでも、近寄ってきたモンスターには厳ついメイスを振り下ろしていたな。
「出来ない」俺の思考を馬鹿にするようにクロは笑いながら言った。
「なら言うなよ!!」鎧で覆われている胸部めがけてパンチする。が、俺みたいなへなちょこが繰り出す正拳突きの威力なんてたかが知れている。いともたやすく弾かれ、送った衝撃がそのまま帰ってきた。
「痛って!」直に衝撃を受け、腫れ始めている俺の大事な大事な右こぶしに息を吹きかけて冷ます。
「ベータ、馬鹿」
「本当に情報屋か?」俺の姿を見て二人は次々と罵ってきた。こいつら、本当は人の皮を被った悪魔かなんかじゃないのか?優しい人間だったら心配の一言位あるんと思うんだけどな。
「うっせ。魔界に行くまでに鍛えてるからな」捨てセリフを吐いて乾ききっていない薪に火を付ける。零勝一敗。俺の旅はまだ始まったばかり。すぐに覆るはずだ。そう思わないと涙が出てしまう。
「頑張って」
「応援している」感情の籠っていない言葉をプレゼントされた。
「そんなの貰っても嬉しくねーよ!!」虚しい叫び声が響いた後、笑い声に包まれた。油断すれば死ぬ場所だというのに俺達はいつまでも能天気だ。
ひとしきり準備が終わった後は、各々が自分の時間を過ごす。アミスは読書か、魔法の練習。クロは本を読むか、空を見上げている。たまにアミスに魔法を教えている。仲がいいのは素晴らしいことだ。いざこざが起きにくいからな。
俺の時間は殆ど無い。このパーティーのブレインである俺は常に最善、最良の行動を皆に指示しなくてはいけなくて、大きなミスは許されない。
「この道は竜が多いのか,,,でもこの情報では少ないって言っているな」テントの中で魔法空間から取り出した大量の紙を見ながら欲しいものをピックアップしていく。今欲しいのは安全な道とモンスターの生態。時間があれば魔界についても調べていきたいところだが、今日は無理だろう。
「統計を見るか」照らし合わせても合わない時は過去のデータを持ってくる。過去は過去なんて言葉があるが、案外馬鹿には出来ない。必要だから残っているんだ。必要のない物は消されていく。不都合な物も。
俺達は失いたくないから歴史の追跡者として追っている。先人たちが残してくれたこの世界を無くさないためにも、藻掻いて足搔いて、抵抗しないといけない。
「今日の眺めは圧巻だ」テントについている小窓から外を見る。霧が晴れ、下の景色から頂上まで、はっきりと見える。下には俺達が歩いてきた軌跡が。さらに奥には町の明かりが煌々と輝いている。観光名所は大変そうだ。
上には絶壁とも思える急傾斜。至る所に武器や防具が散乱している。雪が解けたり、固まったりしてできる結晶の中には挑戦者たちが眠っている。
掘り出して、安らかな眠りを届けてやりたいが俺達の命まで危うくなる。それにここまで来たということは相応の覚悟があるのだろう。名誉の有る死。それを邪魔することなどできやしない。
「俺は辿り着けるかな」跡形も無くなった死体を見ながら呟く。もしかしたら俺も志半ばでくたばるかもしれない。二人を残して俺だけあの世に,,,
「弱気になったら駄目だ」怖気づいている自分に言い聞かし、明日の道を作っていく。まだ何も始まっていない。歴史を追うことも、魔界に辿り着くこともまだだ。やり残したことばかりで、得たものが無い。そんなので一生を終える?あり得ない。
「絶対に手に入れてやるからな」拳を強く握り、再び決意を固める。終わりなき交差点はターニングポイント。ここからはやりたいようにやる。馬鹿にされても、指を差されても良い。心の底から望んだことを貫き通せば笑っていられる。




