第七十六話 獣世界 3
「っ!頭が痛い,,,」暖かな日差しを浴びながら目を覚ました俺は、激しい頭の痛みに襲われていた。頭を手で押さえてみるが止むことはない。
「水が,,,欲しい」口の中はカラカラに乾いていて喉が痛い。脱水の症状が出ているのか体がとてつもなくだるい。全身が融解した金属で覆われているみたいだ。ソファから落ちるように出る。
見慣れない木材で出来た廊下を這いながら水を求める。重い体は重力に逆らうことができず持ち上げることができない。でも生きるということを本能が選んでいて、必死に打開策を探している。
「魔法が使えたらな,,,」俺は生まれたときから魔法障害を持っていて、魔力の流れを上手く掴むことができない。簡単な魔法を使うことができるが、創造するという魔法は無理だ。水を作ったり、炎を作ったり。後者はスキルでどうとでもなるが、前者だけは無理だ。こんな時になって自分の力不足を実感する。
「今は出来ることをしないと」片手を前に出して這ってを繰り返す。一回で数センチしか進まないが何もしないよりはましだ。
水を求めて数時間。いや、本当はもっと短いかもしれない。苦しい時間は長く感じる。飢えと渇きだけが早く満たしてくれと騒いでいる。
「マジでやばい」魔法空間から水を取り出そうとしているが見当たらない。貯蓄が無くなったのか、それとも極限の状態で上手く使えていないのか。恐らくは両方だろう。
「誰かいないのか?」掠れた声を上げ助けを求める。メイさんについて行ったことは覚えている。そして中に入ったことも。そうだ、ここにはメイさんがいる。
「うえぇぇ,,,」そのことを思い出した俺はその場に嘔吐した。しかし中身の無い吐瀉物は透明で量は少ない。臭いは強烈で顔をしかめたくなる。
「メイさんは出かけているのか?俺以外に人はいないのか?教えてくれよ」この状況を助けてくれる人ならだれでもいい。いや、女性以外なら誰でもいい。
少しの間藻掻きながら進んでいると一枚の紙が目についた。内容は昼の間は防衛をしなくてはいけないので家を留守にします。なので家の物を自由に使ってくださいと言うものだった。
それを見た瞬間極限まで追い詰められた俺の身体はありえない変化を起こし始めた。抑えないといけないのに抑えることができない。
ビキビキッ!!嫌な音と共に感じた事の無い感触が爪を通して脳に送られる。驚いた俺は更に前へと進む。
ガリガリッ!!何かを削るような音が耳に届く。
ドクンッ!ドクンッ!自分の鼓動がはっきりと分かる。
ポタポタと音を立てながら液体が床に落ち、ゆっくりと木目に沿って染み込んでいく。
今になって気が付く。俺はあの時と同じように獣になっている。そしてそれはあの時よりも強大な力に支配されていて、どうにもできないということを。
「があぁぁあ!!」咆哮し俺は駆けだす。先程まで感じていた飢えや渇きは消え失せた。代わりに飽くなき闘争が本能に訴え、理性では止められなくなった。
「また吼えてんのか?」樹々の上を四足で疾走していると目の前に黒い男が現れた。俺と同じ容姿。違うのは纏う覇気、運命、能力だ。それに装備も違う。漆黒を織り造られたライトアーマーに魔獣の皮と思われるマントを靡かせていた。
手には夜空に星を散りばめた様な装飾が施された短剣が二つあった。そしてその刃には灰が付着していた。
「またお前を助けなきゃいけないのか?」男はそう呟き、俺を持っていた二振りの短剣で細切れにした。見えない超高速の連撃。救いなのはまた、生命を維持するのに必要な部分だけ残っているということだ。すぐに体を再生した俺は戦闘の姿勢を取っていた。
「あ、ああ,,,」潰れた喉から空気を出しながら手を伸ばす。俺はまだ、敗けていない。肉の塊になっても、この命が消えても魂が敗けを認めない。
「おいおい、運命とやらに抗ってみたらどうだ?今よりかは幾分ましな世界が見せるぜ?」男の黒い目が紫色に光る。すると俺の体が元の姿に戻った。戻っていないのは闘争運命のみ。今は戦いたくて仕方ない。
「止めてくれ,,,」腰に携えていた短剣を振りぬき攻撃を開始する。もう抑えられない。俺は俺じゃない。
「止める?自分でどうにかしな」ダストは俺の攻撃が退屈なのか欠伸をしながら最小限の動きで避けている。それどころか昔のことを語り始めた。
「あの時のお前は頼りだったんだ。安定した軸で話せる俺がいるなんて心が躍った」
「能力の使い方は拙いが、伸びしろと思えば期待できた。それに呪いである餓狼も使いこなせていた」餓狼が呪いであるということはオーバー家のごく一部の奴らしか知らない。そして血統魔法が誰に行ったかを知っているのは一人だけだ。
誰が何のために使ったのかは分からない。でもそのせいで俺は拗れた。世界を歪んでみるようになった。だけど自殺は選ぶことはなかった。この糞みたいな世界を見返すまではと。
「でも今のお前は運命に逆らうこともしない操り人形。舞台で踊るのには十分かもしれないがそれじゃ駄目だ。そろそろ目を覚まさないか?」~~大神召喚・マーナガルム~~
ダストが少しだけため息を吐くと影から一体の狼が現れた。銀の体毛に金の瞳。鍛え上げられた肉体。敬意を、いや畏怖を持たなければならない存在がいる。
「どうしたダスト?」銀狼の声が響く。鐘の様に透き通った声は獣世界全域に届くのではないかと思えるものだった。
「この軸の俺の頭を叩いてやれ。呪いから解放されるくらい強力に」
「酷なことをするのだな」狼が大きく口を開き中に隠していた凶悪な牙を剥き出しにした。次の瞬間には俺の頭は喰われていた。再び開いた口の中から俺の身体が見える。
「この狼の腹の中で今一度自分を見つめ直せ」飲み込まれる直前、ダストが少しだけ寂しそうな表情をしながら助言をくれた。
視界が暗転すると乾燥した地面の上に立っていた。どこか見覚えがあるような気がして、記憶を辿っていると八咫烏の試練と同じような状況だということが分かった。
「餓狼が解除されている,,,飢えも渇きも無いし衝動に駆れることも無い,,,また自分と対話しないといけないのか」手のひらを見ながらダストの言葉の大事な部分を探す。
呪いを更にうまく活用すればいいのか、それとも加速をもっと上手く使うというものか。いや、何が欠けているのか自分が一番理解している。
運命に縛られている。それに甘えて怠慢に生きているということも。この闘争と言う運命に抗わなければ俺は一生二人の隣を歩くことができない。世界樹で分かったこの世の理不尽さも乗り越えられない。
「なんでブレイクに惹かれたのか思い出したよ」刀身が真っ黒な短剣を腰から取り出し、地面に突き刺す。そして自分の指を軽く切り血を垂らし呪いを発動させる。ここまで追い込んだ元凶を真っ向から破壊しないとな。
影から黒い靄が立ち込め人の形を取る。しかし黒く塗られ場部分に色が付くことはなく、どういった表情をしているのか見ることができないが、想像することは出来る。
醜く歪んだ笑みに、他人の苦痛でしか得られない快感を味わうクズの顔。こいつとはここでおさらばだ。
「来いよ『束縛』お前を今日こそ殺してやるよ」俺の中には二つの呪いが存在する。一つは血統魔法が使えなくなると言うもの。これは餓狼に置き換わっているだけでさほど問題ではない。影響があるのはもう一つの方。
生き方を完全に束縛されるもの。これは法を規範を正義として道を引く。意志なんて尊重しない。女性が無理なのはこいつがいるから。それを今日乗り越える。
「お前が私を越えられるとでも?」束縛が少しだけ波を打つように揺れた。それに合わせて周囲に黒い盾が現れ高速回転を始めた。
「自由を教えてやる」金属同士が擦れ合う音が戦いの合図になった。




