第七十五話 獣世界 2
「長老様!助けて助けられた人間を連れてきたよ!」あの後一時間もしないうちにもう一つの大樹に辿り着いた。どうやらこの世界は沢山の木が張り巡らされていて、その上で生活しているようだ。
長老の家はその大樹のど真ん中をぶち抜いて作られた神殿のようになっている。細部までこだわり抜かれた装飾に、煌びやかな家具。その奥には圧倒的なオーラを持つ人物が座っていた。
長い時を経て生まれたであろう黒と白の髪。宝石を埋め込んだような綺麗な青と緑の瞳。細身には合っていないように見える藍色の大きな鎧。赤と金で構成された外套は風もないのに靡いている。
右手には七色に光る爪が、左手には目が表紙になっている禍々しい本を持っている。恐らくは杖と同じ役割を持つものだろう。
中性的で端正な顔立ちからは性別が判別できない。ただ、獣人と同じような猫の耳が頭の上に生えていて、時折動いて、音を拾っている。同様に人間と同じような位置に長い耳が生えている。
「メイ!恩人と一緒ということは話をしたのか?」嬉しそうな顔をしながらその獣人は立ち上がり駆け寄ってきた。素振りからは長老と言うよりかは、親しみやすい老人という印象を受ける。というか全然老けていない。十代後半の感じがする。
「まだだけど,,,アクセルは多分了承してくれるよ」メイは少しだけバツが悪そうな顔をした。
「何かあるんですか?」
「その話は私がしよう」メイさんが口に出す前に長老の獣人が割って入った。
「端的に言えば獣人という概念を取り戻してほしい」
「どういうことですか?」失われた概念は誰も覚えていない。いや、正確に言えば関わりの無い人間からの記憶からは消える。
エルフ語がいい例だろう。二人に教えられるまで俺は知らなかった。そして知らなかったら取り戻されたということも分からなかっただろう。
だから獣人という概念を取り戻すということはありえない。目の前に存在しているのだから。それに獣人は俺が生まれる前からいたし、王国にも奴隷としていた。その時の俺は何もできず傍観していた。これは思い出さなくてもいいな。
「獣人は人間界,,,いや人界と言った方が良いな。神を模して生まれた亜人たちが住む世界。今は人間が大きな顔をして支配しているだろう?それを元に戻すんだ」周囲に漂うオーブが一瞬で霧散した。そして雪のようにひらひらと舞い落ち、木を蝕むように消えていく。
「元に、というのは?」その光景に怯えながらも質問する。見たことも無い不気味な能力。頭の中にある膨大な知識量でも処理することができない。
「全ての種族の上下関係がないところまで」長老はそう言い、不敵に笑った。この顔は本気だ。自分の考えだけを信じ、目的を達成するためならどんな犠牲も厭わないという覚悟を決めた表情。
「世界の願いは手を取り合うこと。君も気が付いているだろう?」
「はい。ですが現実的に不可能です」所詮願いは願いで夢は夢。人が関わった時点で儚く散るのが命運だ。生まれてきた意味を知っても抵抗できずに生涯を終える。
「でも、君は概念を取り戻した。不可能だと言われたエルフ語をね」長老はそう言うと本を開き、とある一ページを見せてくれた。内容は消えた概念は取り戻すことができない。たとえ神であっても、というものだ。
「不可能は諦めた人間の言葉だ。,,,でここまでの話を踏まえてもう一度聞こう。共に世界を取り戻さないか?」手を差し出されながら聞かれた。手には無数の傷が刻まれていた。鞭、火傷、刀傷、見ているだけで痛い。この人も___そういうことなのだろう。
「諦めだけなら誰にでもできますからね。その話、受けましょう」手を握り、目を見る。覚悟には覚悟を。失敗したって笑われたって俺にはエルザがいるから大丈夫だ。
「本当にありがとう。それじゃ、自己紹介でもしようか。私の名前はテトリア・ゼクス・ルディクリア。ルディクリアは猫系獣人の固有名だよ。君の名前は?」
「アクセル・オーバー。オーバーはとある王国の貴族の名です」頭を下げて、本名を名乗る。セカンドネームを出そうか渋ったが、猫系と犬系獣人の固有名を聞いた以上はこちらも手の内を明かさないとな。
「オーバー家の人間か。だが、特有の赤い髪に金のメッシュが無いようだが?」痛いところを突かれる。生まれはオーバー家で間違いないが、俺は突然変異と言うべきか、受け継がれるものが受け継がれなかった。この漆黒の髪の色に何度も悩まされ続けた。別の家の人間は特徴をまんま反映しているのが気に食わない。
「これを見せれば納得しますか?」魔法空間から家紋が入ったメダルを取りだし見せる。
「確かに間違いがないが,,,まぁ、人には踏み込んではいけない領域がある。これ以上は聞かないでおこう」彼女はメダルを見ると少し考えるように目を瞑り、自分の中で解決したといった顔を見せた。
「話の続きをしたいところだが、もう日が沈み始めている。明日またここに来てくれ」長老はそう言うと大樹に空いた穴を塞ぎ始めた。
「宿泊するところはどこに?」俺はこの世界の勝手が分からない。野営をしても良いのか、それとも決められた場所で夜を越さないといけないのか。
「それは僕についてきて」話を黙って聞いていたメイさんが声を上げた。
「分かりました」彼女に言われるがまま後を追う。木の中から出ると外は昼とは違った世界を見せていた。
光る虫たちが空を飛び、どこからから寂しげな虫の音が聞こえる。下からは水が流れる音が聞こえ、涼しいと感じることができる。
木が燃えないよう灯りには工夫がされていて、光る苔を道の端に置いている。風で飛ばされないかと不安に思ったが、しっかりとくっ付いている様で踏んでもびくともしなかった。
「獣世界は人界と同じで昼夜があって、太陽と月があるんだ。満ち欠けはしないけど、僕たちの事を明るく照らして元気にしてくれるんだよ」彼女の目線の先には青みを帯びた三日月が浮かんでいた。
「獣世界は人界を基に?」疑問になったことを口にする。
「多分ね。それはゼロにしか分からないことだよ」少しだけ悲しそうな表情を見せる彼女を見て、悪いことを聞いたと思った。気が付いた時には胸が締め付けられるような痛みに襲われていた。
「それよりも、泊まる場所に着いたよ」罪悪感で胸がはち切れそうな時に終わりが見えた。自分のことしか考えない内は手を取り合うことは不可能なのかもしれない。
「ここですか」大樹を長い時間を掛けて中からくり抜いた大型の宿泊施設。中には淡い明かりが灯っていて人影が動いているのが見える。
「違うよ。こっちこっち」手を引っ張られ、大樹の下にある隠し通路のような場所に連れて行かれた。草木が多い茂り、僅かな月の明かりだけが俺達の足元を照らしてくれている。
「ここが私の家で泊まる場所だよ」メイさんはフフッと笑うと中に入っていった。
「本当ですか?」聞こえていないだろうが、声を出して確認する。生まれてこの方、女性と一緒に寝たことが無い。と言うか部屋に入ったことすらない。野営の時はテントを離していたし、宿泊施設は必ず別の部屋にしていた。
理由は簡単で女性に滅法弱いから。外にいるときは他人がいるからまだ体裁が保てる。でも家とか部屋とか外部から遮断された視線が無くなった途端、頭がショートする。
トラウマと言うべきか、忘れたい過去が現在に至るまで頭にこびりついて忘れることができない。これだけは今でも夢に見ることがある。そのたびに吐いて、絶望する。
「どうしたの?風邪ひいちゃうよ?」すっかり部屋着に着替えていた彼女は少しだけ震える俺の手を引っ張って中に連れ込んだ。
「お邪魔します」中は綺麗に整頓されていて、汚れが見当たらない。生活する場所、仕事をする場所など区画分けされていて、どれも調和がとれていて美しいと感じるほどだ。
「体が震えてるけど寒い?これで温まって」メイさんは自分が着ていた服を脱いで俺に羽織るように被せた。柔らかな匂いと、女性特有の優しさが籠っていた。
「ありがとう,,,ございます」礼を言った後俺は意識を手放した。次に目を覚ましたのはソファの上だった。




