第七十四話 獣世界 1
「ここはどこだ,,,」見慣れない天井に嗅いだことのあるようなないような木の香り。寝ころんでいたらいつかは体を痛めてしまいそうな質素な毛布。部屋を照らす一つの明かりは暖かな炎を立ち上がらせていた。
「生きているのか?」体を起こし調べていく。能力を使用し、挙句の果てには瀕死の状態。極級の魔法以外では息を吹き返すのか怪しいくらいのレベル。
「とりあえず外に出るか」扉を開けて外に向かう。ここにいてもやることが無い。瞑想するのでもいいが、今は助けてくれた人に感謝したい。
「大樹の,,,上!?」扉の先には神秘的な光景が広がっていた。入り組んだ木の枝。そしてその上には手すりが設けられている。幹となる部分には穴があけられていて部屋のようになっている。
葉の影から太陽の光が降り注ぎ、成長を促している。花から花へと蝶々が舞い踊り、枝から枝へと齧歯類が奔走している。地面は遥か彼方。霞んでいて下が全く見えない。
遠くの道には獣人らしき人影が見える。向こうを目指すのが良いのかもしれない。
「でも、どうやって行くのか、が問題か」迷路の様な樹上を思うがままに歩くことは、住み慣れた人間しかできない芸当だろう。
「とりあえず歩いてみるか」自分が休んでいた場所にマークをして歩き始める。万が一場所が分からなくなったときはここを目指せば何とかなる、はずだ。
「神秘的な場所だ」懐かしい雰囲気に優しい風。そして揺られて音を立てる葉。来たことが無いのに訪れたことがあるような感覚に陥る。
鳥たちの歌を聞きながら上へ下へと歩いて行く。苔むして歩きにくい木もあれば、皮が剥がされ歩きやすいようになっているところもある。
恐らくは後者の道が当たりの道だろう。整っているということはそれだけ人が往来しているからな。
「ま、俺は自分の道を歩くんだが」決められたところを歩くということは退屈だ。貴族の時からこうしろああしろと俺は縛られてきた。
計画された道に意志なんてない。ただただ生き残るための生存戦略に組み込まれる虚しさ。綺麗な世界も汚く見えて、汚い世界は綺麗に見えた。そんな自分が死ぬほど嫌いだった。だから王国を出て俺は旅を始めることにした。
そして自由という生き方が相応しい二人にあった。今でも思い出しては歓喜で体が打ち震える。囚われないことはこういうことかと。
「昔を思い出すと涙が,,,」木から落ちないように気を付けながら座る。足がぶらぶらと振れる感覚は空を掴んでいるような感じがして心地が良い。
「あ!起きたの!?」感傷に浸っていると向こう側の木の枝から声をかけられた。犬のような耳に凛々しい目。体を守るように生えている毛は白く、美しい。キマイラと一緒に戦った獣人で間違いない。
少しだけ引っかかるのは胸があるということだ。男だと思っていたんだが,,,聞いてみればいいか。
「今行くから!」彼女?はそう言うと発達した脚で軽々と飛び跳ねながら俺のところまで来た。
「体は大丈夫?」心配するような目で俺の体をじっくりと見てくる。
「ええ、大丈夫です」安心させるように体を動かす。その様子を見て彼女はほっと息をついた。
「それよりもここはどこですか?」
「ここは獣世界。名前の通り獣人が住んでる世界だよ。国としてはこの大樹全てが国だね。名前は決まっていないから好きに呼んでいいよ。ついでにこの世界のことを少し」両手を広げながら彼女はここがどういうところなのかを話し始めた。
「ここに来たのは数百年も前の話になるのかな。エルフよりも人間性が薄かった僕たちは狩りの対象として狙われ続けていた。戦争なんて大きなことは出来なかった。武器の性能もあるし、統率も取れていなかった」
「このまま獣人は死んでいくのかって皆が考えていたんだけど、神様が現れた。名前は確か、ゼロ・ワールド。この時に僕が生まれた。今の歳は二百と少しくらい」
「その見た目で,,,?」見た目は人間の二十台に届くかどうかの幼さ。身長もまだまだ成長するのではないかと思うくらいには小さい。
「そうだよ。獣人は長寿で肉体的に強いからね」彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。でもそれは数舜の事で瞬きをすると笑顔に戻っていた。
「話を戻すよ?ゼロという神様は世界を取り戻すために獣人と人間と獣人が手を取り合わなければならないと語ったんだけど人間が攻撃を止めることは無くて、やむを得ず、獣人が安心して住める世界を作り出した。それがここ獣世界。でも完全に安全と言うわけじゃないんだ」
「彼が姿を突然消したことによって、境界が曖昧になっちゃって、たまに人間がここを見つけては侵略をしてくる。それを追い返すのが僕みたいな戦士の役目。今回はドジって助けてもらったけど」口角を少しだけ上げて笑う彼女を見ていると胸が痛くなる。
俺が生まれるよりも前に痛みを背負って、あるかどうかわからない光を目指して生きている。少しの事で死にたくなるような俺を殴りたい。
「辛気臭い話をしちゃってごめんね。でも人間が来たらこの話をするのが掟だから」
「謝る必要なんてありません。悪いのは人間ですので」自分で言っていても心が痛くない。心底人間と言う種族が悪意で満ちているということが分かる。
「人間側なのにそんなこと言うんだね」彼女はそういって隣に座った。獣特有の臭いがするが、それを上書きするような樹液や花の香りがする。ずっと嗅いでいたい。ちなみに俺はケモナーではない。
「たまたま人間だったってだけですよ」
「達観してるんだ。でも辛いときは泣いてもいいと思うよ」そう言って彼女は俺の頬に手を当てた。肉球が暖かくて柔らかい。そして少し湿っている。
「辛いときなんてありません」見栄を張って嘘を吐く。本当は辛いことの連続の人生なのに。意地になって素直になれないところも人間の悪い所だ。
「感情は正直だけどね」彼女は笑いながら肉球を舐めた。
本当に俺は___苦手みたいだ。
「さてと、この世界を話したし長老のところに行かないとね」話に一段落ついたところで彼女が立ち上がった。
「長老ですか」どこの世界にも統治する統率者がいる。そしてその統率者の度量で国がどのくらいなのかが分かる。グロリア王国は最低だな。戦争の事しか頭にない過去の栄光に縋る愚かな王国。
「そんなに緊張しなくていいよ。優しい人だから」少しだけ力が入っている俺の体を見て彼女は緊張を解くような言葉をかけてくれた。
「ならいいんですが」乗り気にはならない。話を聞く限り人間は悪と言う感じがする。俺の事を見た瞬間に斬りかかるかもしれない。少しでも抵抗できるようにスキルを発動させながら歩くか,,,って考えているうちは人間の枠にいるな。
「行こう」手を引っ張られ樹上の上を歩き始める。綺麗に見えた道が少し汚れて見えてしまう。この世界がどうやってできたか知ったからだろうか。それとも俺の魂がそう見せているのかもしれない。
沈黙の中、奥に奥にと進んでいく。鳥たちの歌は聞こえない。華やかに舞う蝶も姿をくらました。食料を求めて奔走する齧歯類は警戒するように動くのを止め、俺の動きを見ている。
「どこまで行くんですか?」太陽が傾き始めていて茜色に染まっている。歩いてから数時間は経過しているだろう。あそこにいたときはまだ太陽が上にあった。
「もう少し先。少し休憩していく?」
「そうですね」彼女の額にはうっすらだが汗が滲んでいる。無理をしているのだろう。俺はスキルを沢山使って歩いているからそこまで疲労は無い。
「分かった。飲み物は何がいい?」彼女が魔法空間に手を入れながら聞いてきた。
「貴女と同じもので」そう言うと木のコップにはちみつを水で薄めたようなものが、並々と注がれて渡された。匂いがとてもいい。
「これはこの世界で採れる樹液だよ。ユグドラ・ソーマって名前。飲むだけで数日飲まず食わずで過ごせるから重宝してるんだ」説明を終わると彼女はゴクゴクと音を立てながら飲み干した。
それに倣うようにソーマを飲む。のど越しが良く、爽快感がある。甘味と辛みが双方を良さを引き立てていて、思わずもう一杯と頼みたくなるほどだ。
「ところで君の名前は?」彼女は倒木と言っても差し支えの無い巨大な枝に腰かけて聞いてきた。
「僕の名前はアクセル,,,です」セカンドネームを言おうとしたが途中で息を殺した。もし俺の祖先が___いやこの話は今は別にする必要もない。思い出したくない過去なんて誰にでもある。
「アクセルって名前なんだ。かっこよくていいね。僕の名前はメイ・フーレシア。セカンドネームは僕たち犬系の獣人の固有名だよ」耳をピコピコと動かしながら自己紹介をしてくれた。
「メイさんも可愛くていいですね」
「ほんと?ありがとっ!」満面の笑みを見せる彼女に俺の心は揺さぶられた。人間、いやそれ以上の感情と考えを見せる獣人やエルフたちがこんな仕打ちを受けていいのかと。
否。世界は全てに平等であるべきだ。是。弱き者は淘汰されるべきだ。否。淘汰すべきは世界の構造だ。是。世界の構造を知るのは強き者だけで十分だ。
二つの考えが頭の中に浮かび、思考を止める。悪である俺と、善である俺。どちらが正しいのかは分からない。全ては結果論だ。でも、もしもの世界が存在するのなら俺達は手を取り、笑って過ごすだろう。ゼロと言う神もこんな感情だったに違いない。
「行きましょうか」前を向きながら立ち上がる。下を見ないと転ぶ。上を見ないと零れ落ちる。だから俺は前だけを見る。真に見る世界は今日ではなく明日の世界。
今を生きる俺達に与えられた宿命。争いが消えるという不合理な考え。一生を使っても叶えられない皆の想い。それを解決するために産み落とされた。




