絡み酒の泣き上戸(2)
東海林湊は永夢が担当する小説家だ。前職は警視庁のキャリア組だったという異色の経歴を持つ。
経験を生かした警察ものを得意とし、二年前人気シリーズを終わらせていた。それをきっかけに担当がベテラン編集者から永夢に変わっている。
以降は永夢の勧めもあって作風をがらりと変え、ユーモアのあるライトミステリーを執筆していた。どの作品も評判がよく順調に版を重ねている。
「天野さんではありませんか。なぜこんなところに?」
「そ、それは……」
ちらりと横を見ると先ほどのロリコンナンパ男が目を瞬かせていた。
東海林は永夢と男の仕草で大体の事情を察したらしい。さり気なく永夢の前に立ち塞がった。
「この子は私の連れですが、一体なんの用ですか?」
「せ、先生って、あんた、この子の先生か?」
男はどうやら永夢が先ほど口走った「先生」を教師だと勘違いしている。
今日の東海林の服装はダークグレーのスーツなのだが、さすが前職が警視庁のキャリア組だっただけあり、特有のシャープで落ち着きのある雰囲気を演出している。
丁寧に整えた黒髪と切れ長の目、鋭利な頬の知的な顔立ちは、元警察官だと思い至らなければ、教師にも見えるのかもしれなかった。おまけに、一八四センチの長身である。
男はあからさまに狼狽えた。
東海林が不良生徒の永夢を探しに来たとでも取ったのか、目が泳いで「まずい」と言っている。未成年を口説いてしまったので、咎められると焦っているのだろう。東海林は抵抗して勝てそうな相手でもない。
「……生徒の指導くらいしっかりしろよ。ったく」
捨てゼリフを吐いて身を縮めてそそくさと席を立つ。
アルコールでぶれる視界の中でその背を見送り、永夢はほっと胸を撫で下ろした。
「はあ、助かった~。先生、ありがとうございますう」
勢いに任せて三十度どころかほぼ百八十度の角度でお辞儀をする。トレードマークの頭のてっぺんのお団子が揺れた。
「それは構いませんが、何があったんですか? 天野さんは飲みにいらしたのですか?」
東海林は次回作の殺人現場がダイニングバーなので、みずから客を装って取材に訪れたのだとか。
「天野さん?」
永夢は東海林に促されガバと顔を上げた。恐怖から解放された反動で涙が込み上げてくる。
「先生、聞いてくださいよ~! あのロリコン親父ったら~!」
東海林が宥めるように永夢の背を叩く。
「天野さん、落ち着いてください。とにかく座りましょう」
「……」
永夢は無言でスツールに腰を下ろした。東海林もその隣に座る。
「ところで、一体何が……」
「お兄さん、私にピンクレディをもう一杯! それと、こちらの売れっ子小説家の大先生にもなんかこう、まあ適当なものを」
「天野さん、ピンクレディのアルコール度数はワインよりも強いですが」
「構いません!」
酔いとは恐ろしいもので、永夢はよりによって担当の小説家を、錦戸と三上の身代わり──つまり愚痴の吐き口にしようとしていた。
ピンク色と琥珀色のカクテルの注がれた、二つのグラスがそれぞれの席の前に置かれる。
「どうぞ、ピンクレディーとアドニスです」
永夢はグラスの脚を掴むが早いか、ピンクレディーを一気に飲み干した。
「お兄さん、次はカルーアミルク!」
「天野さん、ピンクレディーのアルコール度数はビールの約三倍ですよ。女性はアルコールの許容量が男性よりも──」
「──さっきのロリコン親父も悠人君もひどくありませんか!?」
止めようとする東海林の言葉を無視し、粉々にならんばかりの力でグラスをカウンターに叩き付ける。
「"別れよう"ってたった四文字ですよ!? スマホで打って送信するのに一分もかかりません。予測変換だったら一瞬ですよ。悠人君はそんな手間すら惜しかったんでしょうか。そんなに私が嫌いになったんでしょうか!?」
「……」
東海林は「そういうことですか」と苦笑した。カウンターの上に手を組み永夢を見つめる。
「天野さんの恋人は悠人さんとおっしゃるのですね」
永夢は鼻を啜りつつカウンターに突っ伏した。
「……もう元カレです。サークル勧誘されて一目惚れして、そのまま入部して……」
悠人は他大学の二学年上で、インカレサークルのテニス部の先輩だった。ダークブラウンのサラサラの髪と屈託のない笑顔に心を奪われたのだ。
ガバと起き上がりGジャンのポケットからスマホを取り出す。
「大学時代の悠人君、すっごくかっこよかったんですよ。見てください!」
クラウドに保存しておいた学生時代の悠人の写真を表示し、水戸黄門の印籠よろしく東海林の目の前に突き出した。
「テニスがすごくうまくて王子様みたいで……。あっ、これはスマッシュ決めたところです」
「なるほど、テニスの王子様ですか」
東海林はスマホを受け取り画面を見下ろした。
「これは……天野さんは結構わかりやすい面食いだったのですね」