表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/85

絡み酒の泣き上戸(1)

 錦戸指定のダイニングバーには水族館を思わせる巨大な水槽が設置されており、大小さまざま、色とりどりの魚の泳ぐ姿を楽しめる。海中を演出しているのか水槽は青く光るように塗られ、薄暗い店内に幻想的な景色を生み出していた。


 だが、今の永夢にとっては最悪の環境だった。気分がますますブルーになるからだ。


 更に当初は予約されていたテーブル席にいたものの、周囲がいちゃつくカップルだらけである上に、錦戸は約束の時間を過ぎても現れない。次第にいたたまれない気持ちになり、途中、ウェイターに声を掛けてカウンター席に移動した。


 バーテンダーが永夢を目にするなり怪訝な表情になる。


「お客様、失礼ですが、身分証明書はございますか?」


 悲しいことに、この手の質問には慣れっこであり、写真付きの身分証明書を忘れる日はない。


「はい、この通り。もう立派に二十四歳です。成人して四年過ぎています」


 運転免許証を財布から取り出して提示する。バーテンダーは生年月日と顔写真を確認し、「申し訳ございませんでした」と軽く頭を下げた。


「お若く見えましたので」


 お若くというよりは幼くだろうと心の中で突っ込む。どうせ身長は一四六センチしかないし、子どもにしか見えない顔ですよといじけた。


 以前見かけた悠人の新たな恋人は、年相応に大人の女性らしく可愛かった。一方の自分はこんな容姿だから振られたのかとまた落ち込む。


 バーテンダーがそんな永夢の前にメニューをすっと差し出した。


「失礼をしてしまいましたので、一杯ご自由にどうぞ」


 つまり、サービスなのだろう。


 初めは軽いものをと思ったのだが、重く鈍く痛み続ける胸を手っ取り早くなんとかしたかった。


「甘くて飲みやすくて、だけどちょっと強いカクテルはありますか」


「では、グラスホッパーはいかがですか。アルコール度数は十五度ほどでチョコミント風味です」


「じゃあ、それで」


 十五度というアルコール度数の強さをろくに検討もせずに注文する。


 グラスホッパーはバーテンダーの説明した通りの風味で、生クリームの滑らかな口当たりと甘さでするする喉を通った。


 ところが、飲み干した直後にカッと胃が熱くなり、思わず腹に手を当てる。その熱さを堪えているうちに、今度は熱が血流に乗って頭に回った。


 視界が揺れ動くようになった頃になって、カウンターに置いたスマホが揺れる。画面には「錦戸さん@お洒落メガネ」と表示されていた。


「はい、もしもし~?」


 飲む前とは打って変わって気分が上向きになっている。だから、錦戸から「今日は行けない」と告げられても腹も立たなかった。


『天野、悪い。桜川先生から呼び出しが入ってさ』


「へえ~」


 桜川アゲハは女性に人気の恋愛小説家だ。どうも錦戸に気があるらしく、相談や打ち合わせの名目で、しょっちゅう呼び出していた。


『埋め合わせは必ずするから』


 永夢はヘラヘラと笑いつつ、グラスホッパーをもう一杯注文した。


「あ、いやいや。いいですよ~。代わりに、ここに錦戸さん名義でツケておきますから、今度払っておいてください」


『……天野、お前酔っているのか? そんなに強くなかっただろ?』


「まっさか~。一杯で酔うなんて有り得ませんって。あ、二杯か。お仕事頑張ってくださいね~」


『おい、天野!』


 鬱陶しくなったので電話を切り、バーテンダーに声を掛ける。


「お兄さん、もう一杯いいですか? 次はえっと……なんでもいいのでピンク色のお酒ください。甘いもので」


 隣のスツールに見知らぬ中年男が腰掛けたのは、永夢が五杯目のカクテルのグラスを空にした直後。


「いい飲みっぷりだねえ」


 なんの前触れもなく耳に酒臭い息を吐きかけられぎょっとした。


「だ、誰!?」


 四十前後のスーツを着た男だった。


 男も相当酔っているのか、ヘラヘラと笑ってカウンターに頬杖をつく。


「でもさあ、君、まだ未成年でしょ? こんなところにいてもいいの?」


「いいえ、私はもう二十四歳です」


「嘘はいけないよ。ねえ、黙っていてあげるからさ、ちょっと付き合ってくれない? 俺、君みたいな子好みなんだよね」


「君みたいな子」とは、十代の軽く、馬鹿に見える娘を意味するのだろう。ロリコンの気のある男に口説かれるのはこれが初めてではなかった。そして、大体相手はしつこく諦めが悪い。


「私、本当にもう大人なんです」


「だからさ、黙っておいてあげるっていったでしょ」


 背に手を回され肌が粟立つ。反射的に立ち上がろうとしたのだが、足にも酔いが回ってぐらりと体が後ろに傾いた。


「あっ」


 倒れる──痛みを覚悟する間もかたく瞼を閉じる時間もなかった。


 ところが、永夢を受け止めたのは格子模様のフロアではない。それよりずっと柔らかく温かい、だが自分よりはずっと硬く厚い男性の胸だった。


「すっ……すみません」


 慌てて振り返ってぎょっとする。すぐそばにある端整な顔立ちには見覚えがあった。


「しょっ……東海林先生!?」

続きは明日朝7時更新します。しばらく毎日更新です!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ