誤解はとけたようですが
投げやりな気持ちのまま身体を投げ出す。
けれど王子は依然固まったまま、動こうとしない。
すっかり萎えたのだろうか。手を止めなにやら熟考しているようだ。
「……まさかとは思うが……いや、ありえないこと……だがしかし……」
ぶつぶつと呟く表情は険しく、眉間にはくっきりとシワが刻まれていた。
ひとしきり考えあぐねた挙句、ふーっと深く息を吐いて私に覆いかぶさっていた身体を起こす。
そしておそるおそるといった仕草で頭を抱え、ようやく口を開いた。
「……あー、もしかしてその、……未経験?」
処女、と直球を投げないのは彼なりの配慮なのか。
同じように起き上がって、どうせ信じないだろうと思いつつ、ボタボタ涙を落としたまま頷いた。
沈黙が落ちる。
はだけた服を無言でかき抱き、うつむいて続く言葉を待った。
もう一度深く息を吐く音が聞こえ、ごそごそと動く気配がしたあとで私の身体に何かが巻き付けられた。
ほんのり暖かいそれは、目の前の男が羽織っていたカーディガンだった。
気付いて思わず顔を上げると、逆に相手は深々と頭を下げていて目を丸くする。
「すまない」
「……え?」
「本当に。心から申し訳ない。誤解があったようだ」
ゆっくりと頭を上げたその表情には、本当に申し訳なさそうな色がありありと滲んでいる。
その目は真剣で、不思議と恐怖は薄らいだ。
「遊び歩いているのだと聞いていた。軽薄で、不実で、男を弄ぶのを楽しんでいると」
「……それは」
「そんな噂ばかり聞いて正直軽蔑していた。だが、違うのだな」
見極めたいのだろう、私の目を見て王子が問う。
そういう噂が流れるように仕向けたのは私とヒルダだ。
だから王子が聞いたその噂はある意味正しいと言える。
けれど中身が真実なのかと聞かれれば、それは確実に違うと言える。
少し迷ったが、全て正直に白状することに決めた。
夫婦となった人だ。恋にならなくとも、この先私にはこの人しかいない。隠したって仕方ない気がする。
それに、なんだか聞いて欲しくなったのだ。
王子は真剣に私の話を聞いてくれようとしている。そんな気がしたから。
意を決して口を開く。
これまでのこと。
浮気も火遊びも嫌いなこと。
一途に一人だけを愛したいこと。
友人と結託して派手な女を演じたこと。
自分たちで噂を流したこと。
それに誰とも寝ていないが、完膚なきまでに撃退するために取った手段次第では、ある意味男を弄んだと言えなくもないということも。
「そんな、ことが……」
「真実はただの処女で重い女なのです。がっかりさせてしまい申し訳ありません」
自分で説明をしつつ、我ながら幼稚なことをしていたなと気づく。
もう二十歳なのだ。本来ならば現実に折り合いをつけて、少しは経験値を積むべきだったのだろう。
だからこんなふうに、いざ本番を目の前にして取り乱してしまうのだ。
「いや、がっかりどころか……」
にわかには信じがたいのか、彼はその先を言い淀んだ。
「……すまない、これまでの印象とあまりにも違って少し混乱しているみたいだ」
眉尻を下げて小さく苦笑する。
それから枕元に備え付けてあるティッシュを取って、涙にまみれた私の顔を拭ってくれた。
メイクが落ちてひどい顔になっているだろう。だけどニコライは何も言わなかった。
自分でやりますと言おうとしたが、ニコライは迷うような表情をしていて、黙ったまま丁寧に拭ってくれる。
もしかしたら己の混乱を落ち着けるために必要な作業なのかもしれない。
そう気付いて抵抗をやめた。
さっきまでが嘘のように優しい手つきは、私の心までも落ち着けていった。
それにしても、よくよく人に涙を拭われる人生だ。
ヒルダの方がよほど乱暴だったな、なんて考えて、こんな状況だというのに少し笑いそうになった。
「……見た目と根拠のない噂だけで判断して君を軽んじてしまった。本当に恥ずかしいことをした」
ようやくマシな顔になったのだろう、手を止めてニコライが再び口を開く。
「いえでもあの、それは自分で仕向けたことなので……根も葉もない噂が進化していくのが面白くてさらに尾ひれ背びれつけて再放流してみたり……」
その辺は完全なる自業自得だ。
あれだけ公然と流れていた噂を、信じない人間なんて事情を知るヒルダと両親くらいのものだ。
「だが君の事情も知ろうともせず、怖い思いをさせてすまなかった」
「いえ! そんな!」
改めて深々と頭を下げられて慌てる。
確かに怖かったし絶望したけれど、今はもうなんともない。
だってニコライはちゃんと私の話を聞いてくれたし、信じてくれたし、笑わないでくれたのだ。
「……いいの、もう。違うとわかってくれたなら、それで」
言って自然と笑みが浮かぶ。
きちんと話せて良かった。
心からそう思えた。
ニコライが顔を上げて、眩しいものでも見たように目を細める。
「…………僕の、」
少し迷うような間があったあと、彼が姿勢を正す。
そうして苦しそうな表情で切り出した。
「僕の話も聞いてもらえるだろうか」
重い口調にごくりと息を呑んで頷く。
そこから聞かされた話は、想像していた以上にひどいものだった。