夢と現実の落差
強くて高級な女を演じるのは難しかった。
時にピンチもありつつ、なんとか学生時代を乗り切って十九になった。
そうしてさらなる転機が訪れたのは誕生日の翌日。
この国の第一王子との婚姻が決まったのだ。
同い年のニコライ・リントワース。
何度か王宮のパーティで顔を合わせたことがあったが、儀礼的な挨拶以外ほとんど会話をしたことがない。
公の場で見かける彼は、真面目で温厚な人だった。
稀代の色男と称される第二王子と違って浮いた噂もなく、国王の座を継ぐための勉強に公務にと忙しくて、女性に手を出す暇もないのだと聞いていた。
心無い令嬢方は、不能だの小指ほどの小ささだから恥ずかしがってるだの、火遊びをしないだけでひどい言いようだったが、私にはそんな彼がとても好ましく思えた。
一度きちんとお話しをしてみたいと思ってはいたが、こんな派手な女、真面目な彼からしたらお呼びでないだろう。
妙なところで生来の奥手さを発揮してしまい、話しかける勇気もなく憧れるだけの存在でしかなかった。
そんな彼との結婚が決まったと、前触れもなく父に告げられとても驚いた。
もちろん掛け値なしの政略結婚だが、それでも彼となら、と性懲りもなく胸が期待に躍った。
まだ一年も先のことだというのに、新婚生活に想いを馳せるのが忙しかった。
一体どんな新婚生活になるのだろう。
なにせ処女と童貞だ。初めはぎこちなく、緊張して、もしかしたら失敗するかもしれない。
けれど少しずつ距離を縮めて、互いを労わって、真っ当に愛を育んでいく。国王になるのだから、きっと浮気をするヒマもないだろう。
実際、現国王様は愛妻家だと聞いている。
二十歳になるのを待ってから籍を入れ、王城で暮らすことになるらしい。
国民へのお披露目はその三ヵ月後になる。
いずれ国王になる人間のもとに嫁ぐのだ、もちろん不安やプレッシャーは大きい。
けれどそれ以上に、密かに憧れを抱いていた彼と夫婦になれるのだと思うと喜びに胸が膨らんだ。
喜び勇んでヒルダに報告に行く。
「初めて同士だからなかなか上手く進まないかもしれないけど、歩調はきっと一緒だからなんとかなるよね。女性の扱いに慣れてなくたって全然気にならないわ。むしろそっちの方が絶対にいい。ああどうしよう。今から楽しみでたまらないの」
浮かれきった調子で捲し立てるように言えば、あまりのテンションの高さに引いたのか、ヒルダはなんとも言えない微妙な顔をした。
「ヒルダ……?」
「あ、ごめんごめん。すんごい期待値高いから大丈夫かなって心配になって」
返事がないのを不安に思って呼びかけると、彼女は気を取り直したようにへらりと笑った。
「心配?」
「いやほら、噂とちょっとでも違ったらがっかりするんじゃないかなって。あとは次期王妃としての重圧とかさ」
「違うって、たとえば?」
「すげーつまんない男かも。実は変態趣味があったり」
「そんなこと! もちろんちゃんとわかっているわ。見た目通り噂通りじゃないってこと。実際に話したこともないのに決めつけるのは良くないものね。私だって噂や見た目と中身は大違いだし。でもきっと大丈夫。じっくりと向き合って、お互いをしるところから始めるわ」
第一王子の元へ嫁ぐという環境を心配してくれているらしい。彼女らしい気遣いだ。
無責任に手放しで騒ぎ立てる周囲の人たちとは一味違う。
「そっか。まあでもいいんじゃない、たぶんお似合いだと思う」
「本当!?」
「うん。ま、いいやつだよ。ヤッたことないから、あっちの方はどうかわからないけど」
苦笑しながら冗談を言って、私の手を取った。
ヒルダも高位貴族だ、私なんかより王子との面識があるはずだ。王子の真面目さを直に知っているのだろう彼女が、そう言ってくれるなら心強い。
もっと詳しく彼のひととなりを聞きたい気持ちもあったが、それは結婚生活までの楽しみにとっておきたかった。
「よくここまで自分を見失わなかったね。えらいよ、ローズ」
言って艶やかに微笑む。
「あなたがいなければきっとダメだった。ありがとうヒルダ。大好きよ。心から」
涙ぐんで言うと、彼女はおめでとうと心からの祝福をくれて、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
* * *
心から浮かれていた。
本当に馬鹿だった。
待ち焦がれてようやく迎えた入籍の日。
王城内で主要貴族を集めたお披露目パーティーはつつがなく行われた。
夫となったニコライとは挨拶もそこそこに、目が回るような忙しさだった。
次期王妃に繋ぎを作ろうと我先に挨拶にくる人達に如才なく笑顔で対応するのは疲れる。
けれど時折ニコライの方を窺い見れば、優しい笑みを返されてそのたび胸がときめいた。
ああ今日からこの人が私の伴侶なのだ。
きっと上手くやっていける。
胸が熱くなって、早く彼と二人きりで話がしたいと切に思った。
私用に案内された部屋は綺麗に整えられて、気持ちの良い新鮮な空気と、邪魔にならない程度の香が焚かれていた。
調度品はどれも新しく、磨き上げられている。
歓迎されている。
そう感じて、やはりこの結婚は間違いではなかったのだと実感した。
一日の疲れを洗い流した身体に、最上級のナイトウェアを纏ってふかふかのベッドに飛び込んだ。
充実した一日だった。
満ち足りた気分だった。
隣の部屋には夫であるニコライ王子が休んでいるはず。
そう思うと心臓が少し速度を上げた。
幸せだったのはそこまでだった。
ノックの音が聞こえて返事をする。
ニコライの声に飛び上がりそうになって、慌ててドアを開けに行く。
風呂の後も最低限「強い女」バージョンのメイクをしていて良かった。
彼を待たせずに済む。
一体何の用だろう。二人の今後についてだろうか。
それとも今日一日よく頑張ってくれたねと労ってくれるのだろうか。
「どうぞ、お入りください」
笑顔で迎える私に彼は感情の読めない無表情を返し、戸惑うのに構いもせずに部屋に入り込んだ。
彼は躊躇いなくベッドの縁に腰掛けて、私が来るのを待っているようだった。
少し迷ったが、椅子は遠かったし自分で運ぶにはとても重そうで、仕方なく王子から少し距離を取ってベッドに座ることにした。
瞬間ぐるりと世界が反転して、気付けばベッドの天蓋が視界いっぱいに映っていた。
混乱して戸惑う私に彼がのしかかり、ひどく億劫そうに私の腕を縫い留めた。
「鍛え上げたテクニックを自慢げに披露されても萎えるだけだから、余計なことはしないでくれる?」
抑揚のない声が淡々と言う。
「全然好みじゃないから正直勃つ気がしないんだけどさ」
白けた顔と声で彼が続けた。
私に興味なんかないのだと。
王族の義務として世継ぎを産みさえすれば勝手に浮気すればいいと。
涙腺が決壊するまでに時間はかからなかった。
しゃくり上げながら泣き出した私に、王子の手が止まる。
さっきまではあんなに幸せな気持ちでいっぱいだったのに、今や恐怖と絶望しかない。
最低だ。これだから男なんて大嫌いなのだ。
誠実な人なんて一人も存在しない。
きっと国王様だってお妃様だけを愛しているなんて顔の裏で、何人もの愛人を囲っているのだ。
根拠もなくほぼ初対面の人を信じようとした私が馬鹿だった。
ごめんねヒルダ。私が間違っていた。
がっかりどころの騒ぎじゃない。
もはや目の前の夫こそ、世界で一番嫌いな人になりそうだ。
もうなんでもいい。抱きたければ勝手に抱けばいい。
どうせ逃げ道なんてどこにもない。王族との結婚を、小娘一人の我儘で覆せるはずなどないのだから。
投げやりな気持ちでそう思うのに、何故か王子の手は止まったままだ。
それはそうか。目の前でボロボロ泣き続ける女など抱く気にならないのだろう。
だけど全く好みではないらしい私を、義務と割り切ればなんとか出来ると判断してこの部屋にきたはずだ。
なら泣いていようがなんだろうが関係ないのではないか。
「……さっさと王族の義務とやらを果たしたらどうですか」
鼻を啜りながら身体中の力を抜く。
したいようにすればいい。私は一切抵抗しないから。
だけど絶対に心までは屈しない。
愛する人との結婚という夢はもう二度と叶わないし、もう恋に憧れる気持ちも失せた。
けれど不倫も火遊びもごめんだ。私はこのさき一生、義務でするセックスしか知らないまま死んでいくのだ。