本当の初夜 ※R15
「……あの、八つ当たりってなんだったの?」
ゆっくりと身体が離れて、ドギマギしながらそう聞いた。
ニコライは苦い顔をして、少し躊躇したあとで口を開いた。
「エイリスは遊び歩いているけど、本命の女性がいる」
「そうなの!?」
来る者は拒まず、去る者は追わないを地で行く人だと思っていた。
実際に彼と関係を持った女性の話によると、一夜限りのお相手ばかりだそうだし、相性が良くて逢瀬を重ねたとしても片手で足りるほどの回数程度で終わりになるらしい。
誰にも執着せず、誰からも本気になられないように遊ぶのが上手いのだという。
「その女性が、僕のことを好きだと思い込んでるんだ」
「えっ、……ニコライの、ことを……?」
「誤解だ」
エイリスほどの人が本気になる女性。それほどの人が、ニコライを。
ものすごいショックを受けた瞬間、ニコライが強く否定した。
「あいつの勘違いなんだ。確かにその人とは仲が良いけど、本当に全く一切何もない。あっちも全く僕に興味ない」
「でも、もしかしたらってことも」
「ない。だって彼女が好きなのはエイリスだ」
「ええ!? 両想いじゃない! じゃあなんでそんな……」
「いろいろ複雑でね……まぁお互い言葉が足りないんだよ。余計なことはべらべら喋るくせに」
二人の間で苦労しているのか、ニコライが遠い目をした。
「誤解を解いてはあげないの?」
「やだよ。向き合うことから逃げて遊びまくってる奴らが悪い」
「ということはお相手の方も……?」
「貴族の悪癖にどっぷり浸かってる」
「それじゃあ確かに難しいかもしれないわね」
納得して頷く。
ニコライが苦い顔をした。
「……けど、今反省した。ローズを巻き込むくらいなら面倒でも頑張るよ。見当違いの嫉妬でローズと結婚した僕を逆恨みしてるんだ。何故彼女と結婚してやらなかったんだって。あいつもローズを気に入ってくれたと思っていたんだが……」
「たぶん、その女性のために一矢報いてあげたかったんでしょうね」
「おそらく。本当に、兄弟のつまらない揉め事だと思って放置してごめん」
そっと手を取って、辛そうな顔で指先にキスをする。自責の念が伝わって、胸が締め付けられた。
私よりもニコライの方がよっぽどショックを受けているようだった。
「あのねニコライ。すごく謝ってくれるのに申し訳ないんだけど、私、全然怖くなかったの」
安心させるように微笑んで言うと、ニコライが傷付いた顔をした。
たぶん、変な誤解をしている。
「……エイリスを、気に入った?」
捨てられた子猫みたいな顔で言われて、そんな場合ではないのにものすごくときめいてしまう。
「ばかね。違うわ」
破顔して、今度は自分からニコライを抱きしめる。
腕の中で彼の身体が戸惑うように強張った。
「エイリスが揶揄ってるだけだってすぐにわかったの。でもね、もう嘘でも誘い文句に乗るフリができなかった」
今までなら平気だった。強引な男を躱すための手段。誘惑されたフリで距離を詰めて、脈があるように見せかけるために触れるのを許すのだ。そうして調子に乗った相手から、失言を引き出して気分を害したと言って逃げる。
手っ取り早くて簡単な方法だったから、触れられてもなんとも思わなかった。
彼の言葉通り私を揶揄っただけなら、ちょっといじけて見せればエイリスは簡単に解放してくれただろう。
「だってね、」
少し身体を離して、視線を合わせるように顔を上げる。
離れるのは惜しかったけれど、どうしても目を見て話したかった。
「私、あなたを愛しているから。もう他の人に、ううん、自分に。どうしても嘘をつけなかったの。もう自分の身を守るためだとしても、誰にも触られたくないって心から思った。あなたじゃなきゃダメなの」
「ローズ……」
「今夜、私あなたの部屋に行くわ。だから待っていて。本当の私を、あなただけのものにしてほしいの」
ニコライの目が潤んで、それを見られたくなかったのか強く抱きしめられた。
同じくらいの力で抱き返して、陶然と幸福に酔いしれた。
どこかで鐘の音がする。
まるで私達を祝福してくれているようだ。
そしてハッと気付く。
「大変! スチュワート先生に怒られる!」
鐘は午後五時をお知らせする合図だった。
* * *
「……ねぇ、本当にこれ、変じゃない?」
「ええ。大変お似合いです」
「でもこんなスケスケなのよ……痴女みたいじゃない?」
「これくらい普通です。大事なところはきちんと隠れているでしょう。世の中にはばっちり見えてたり肝心な場所に穴が開いているものもあるのです」
私の顔に薄化粧を施しながら、リサが淡々と言う。
はたして穴の開いたネグリジェに意味はあるのだろうか。
世の中には不思議なことがいっぱいだ。
「むしろちょっと地味なくらいです。私だったらもっとギリギリまで見えるものにします。ただ、清楚で可憐を体現したようなお嬢様にはこれくらいが丁度いいのです」
仕上げにミストスプレーを吹き付けて、髪の毛を整えてくれた。
「……お綺麗です」
「ありがとうリサ。本当に感謝してる。いつもあなたに勇気づけられているわ」
きゅっと手を握って感謝を伝える。
強い女のメイクも、今の自分らしいメイクも。全部リサが手伝ってくれて、全部心から褒めてくれて、自信をくれた。だから私の演技にも説得力を持たせることが出来たのだ。
ひっそりと笑みを交わし合って、ガウンを羽織る。
「では、いってらっしゃいませ」
「ええ。いってきます」
「下手くそだったら全力で愚痴を聞きますから」
笑いを含んだリサの声に苦笑しながら廊下を数歩歩く。
ニコライの部屋のドアで足を止め、大きく深呼吸をした。
小さくノックをする。
扉越しに「どうぞ」と聞こえた。
不安にさせないためだろう、柔らかい声だった。
ガウンの前を掻き合わせてドアを開ける。
ニコライはすぐ近くに立っていて、ゆっくりと両手を広げた。
誘われるようにふらりと足が動いて、その腕の中に吸い寄せられる。
背後でパタンとドアの閉まる音がした。
しばらく何も言わないまま抱き合って、そっと身体を離す。
「あなたのものになりにきました。今度こそちゃんと、あなたの妻として触れてほしい」
するりとガウンを落として、恥ずかしかったけれど薄着を晒す。
もちろん緊張はしている。
だけど彼に触れられたい気持ちが強かった。
ニコライの手が肩に触れる。
「……少しでも無理だと思ったら我慢せずに言って」
優しく言って、まだ少し迷うような目をしたまま私の額にキスをした。
「ええ。たぶん大丈夫だと思うけど、やめてと言ったらちゃんと聞いてくれるって信じてる」
微笑みながら言うと、ニコライが苦笑した。
「実は少し自信なかったけど、そこまで信頼されたら応えるしかないな」
そう言って唇にキスをした。
「……すごく綺麗だ」
「うれしい」
涙が滲む。声が震えた。
本当に。心から嬉しいと思えた。
今まで散々聞いた美辞麗句とは比べ物にならないほどに。
そのシンプルな言葉は、私の心の奥深くまで響き渡った。
ニコライの手が遠慮がちに私に触れる。
全てを見られているという恥ずかしさと、彼にだけ全てを見せられるという誇らしさに全身が熱くなる。
どこを触られても気持ちが良くて、愛する人とのセックスがこんなに心を満たすものなのだと感動する。
鍛えられた身体は私の中にも確かに存在していた欲望に火を灯し、彼に触れたいと強く思った。
ニコライは約束通り拙い私のペースに合わせてくれて、時に耐えるような表情を浮かべ、それでもとても幸せそうに微笑んでくれた。
私は一度も制止の言葉を発することなく、彼は最後まで優しかった。
力尽きた私の身体をニコライが清めてくれたあと、少しだけ明日の話をした。
そうして同じベッドで裸のまま抱き合って眠り、満ち足りた気持ちで朝を迎えたのだった。