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兄と弟

式典を一週間後に控えて、忙しくも充実した日々を送っていた。


次の目的地に向かって長い回廊をしずしず歩く。


今日は朝から。正確には昨夜からずっと。

ウキウキとソワソワが入り混じって、なんだか雲の上を歩いているような落ち着かなさだった。


昨夜ニコライが話してくれたこと。

明日一日、ニコライと私に丸一日のお休みが貰えるらしい。

式典準備を急ピッチで頑張っていたから、少し余裕が出来たらしい。


彼は二人でゆっくり過ごそうと言ってくれただけで、それ以上のことには触れなかった。

変にプレッシャーにならないように、本当にただのデートだけでも構わないというつもりでいるのは解っている。


だけど私はもう心を決めていた。


あの日、朝まで全く手を出してこなかった、彼の紳士的で誠実な対応を心から信頼していたからだ。


だから今夜。

私は本当の意味で大人になる。




「ローズ」


中庭を抜けようとして、呼び止められ足を止める。


声の方を向くと、そこにはニコライの弟である、第二王子のエイリスが笑顔で手を振っていた。


「こんにちは、エイリス」

「相変わらず忙しそうだね。これからスチュワート先生のとこ?」

「そうなの。近くラダバルト国の方がお祝いに来てくださるでしょう? あちらのマナーも覚えておきましょうって」


二つ年下の彼はいつも気さくで、もう家族なんだし、お互い面倒だから敬称はやめようと言ってくれていた。

王城内で孤立しないように気を遣ってくれているのか、入籍時のパーティで顔合わせして以来こうして見かけると声を掛けてくれる。


「覚えること多くて大変だね。俺なら絶対サボってる」


悪戯っぽく笑って肩を竦めながら近付いてくる。

この時間に中庭にいるということは、今ももしかしたら何かをサボっているところかもしれない。


「呼び止めてごめんね。歩きながらでいいから少し話さない?」

「ええ、喜んで」


微笑んで答えると、嬉しそうな笑みを返された。

マナー講師の部屋へ並んで歩き出す。


今年十八になる彼はすでに幼さも抜けて、一端の男性の顔をしていた。

誰が相手でも物怖じしない度胸があり、場慣れした立ち回りを見るたび感心したものだ。


この堂々たる態度を見るに、数多の女性と浮名を流し、こじれないように遊ぶのが上手だと言う噂はきっと本当なのだろう。


ニコライによく似た整った顔立ちに華やかさをプラスして、彼はとてもモテる。

本来なら自分からは絶対近寄りたくない人種だけど、軽薄な雰囲気にも関わらず不思議と苦手な感じではなかった。


自分からガツガツいく必要がないからだろう、彼にはいつも余裕のようなものがあって、私の警戒心を刺激するような言動が一切なかった。


「式典の準備は順調?」

「なんとか。明日はお休みしていいみた、い」


言った瞬間、先ほどの決意を思い出して頬に熱が昇る。


「ローズ?」

「ごっ、ごめんなさいなんでもないの」


挙動不審な私に怪訝な顔をして、エイリスが心配するように覗き込んで来た。


「なにか悩み事?」

「まさか。みんなによくしてもらっているもの」

「わかった。兄上のことでしょう」


ぎくりと足を止める。

悩んでいるわけではないが、挙動不審になった要因ではある。


「当たった」


にんまりと笑ってエイリスがこちらを向いた。

思わず不自然な笑みでたじろいでしまう。


「な、なんのことだか」


あまりに下手くそな誤魔化しに泣けてくる。

魔性の女ローズへの情事のお誘いは簡単に躱せるのに、ニコライに関する話は素の自分に踏み込み過ぎて動転してしまうのだと今理解した。


「兄上との結婚生活はどう? 不満だらけだったり?」

「えと、いいえ、そう、つつがなく。とても優しくしてくれるわ」

「ホント? ひどいことされてない?」

「ええ、もちろん」


楽しそうに詰め寄る表情に嫌味はなく、むしろ親し気で人懐こい。

エイリスがモテる理由は理解出来る。

整った容姿に、階級による壁を作らない性格。甘え上手で、人の懐に入り込むのが抜群に上手かった。


「そっかぁ。兄上って上手いらしいじゃない。実際のところどう?」

「っ、」


これくらいの猥談は正直日常茶飯事だ。

今までだったら意味深なことをにっこり笑って言ったり、逆に何も言わなかったりで深読みさせて適当に切り抜けられたのに。


今一番聞かれたくないところを、ズバッと無邪気に問われて思考が停止してしまった。


何かうまい切り抜け方はないか必死で考える。


どう、と聞かれても。

そんなこと、答えられるわけがない。

引き攣った笑みで首を傾げると、つられたようにエイリスも同じ方向に首を傾げた。


「あのローズ・ウィリアムズが寝室を蹴りださないってことはやっぱり相当上手いの? それとも次期国王だから下手くそでも我慢してるだけ?」

「……ええ、っと?」

「まあ兄上のテクニックもだけどさ。興味あるなぁローズとのセックス」


さらりと告げられた言葉に、浮かべた笑みが凍り付く。


「ローズも噂通りテクニシャンなの?」


一歩距離が近づいた。

つられて後退る。


「結婚してもスタンスは変えないなら、たまには俺と遊ばない? なんなら今からでもいいけど」


思わず引けそうになった腰を、エイリスの手が抱き寄せた。


「かなり上手いんでしょ? 君と寝たってやつらが言ってた」


そんなの嘘っぱちだ。


高慢女の演技で蹴散らしてきた男たち。さぞプライドを傷つけられたことだろう。

彼らが私を落とせなかったと知られるのが嫌で、周囲に言いふらした見栄の数々を私も知っている。

テクニックはすごいけどあまりの腰遣いに引いただの、食らいついて離さないだの、逆にあんな女大したことなかっただの。

傷付いたことはなかった。全部嘘の私に対する言葉だからだ。


「他の女と変わらないって言うやつもいたけどさ。俺はそっちが嘘だと思うな。だって兄上が手放さないんだもん、よっぽど大事なんでしょ? てことはものすごく相性がいいんだね。羨ましい」


言いながら顔が近付く。腕の力が強くて逃げられない。足を踏んづけて股間を蹴り上げて逃げ出すべきかもしれない。だけど相手は第二王子だ。簡単に逆らっていい人間ではなかった。


「ね。どうかな。俺とも寝てみない? 兄上ほどじゃないかもだけど、それなりに楽しい時間を提供できると思うな」


直接的な誘い文句を耳元で囁かれる。


ゾワッと鳥肌が立った。


「っ、やめっ……!」

「そこで何をしている!」


意を決して抵抗しようとした瞬間、鋭い声が割り込んでエイリスが離れた。

次の瞬間には殴られ倒れ伏すのが見えた。


ニコライが恐い顔で弟であるエイリスを見下ろしている。


「っ、いってぇ……うわっ、唇切れた」


どこか呑気に聞こえる感想を漏らしながらエイリスが身体を起こす。笑いを含んでいるようにも聞こえた。


「ローズには手を出すなと言ったはずだ」

「やだな出してないよ、まだ」


大してダメージもなさそうに軽い動作で立ち上がり、口許の血を拭う。


「出す気もなかったけど」


服についた埃を払いながら笑う。


さっきまでの演技がかった、下衆な男然とした雰囲気は一切ない。


そう、あれは演技だ。下世話な話になった瞬間から、スイッチが切り替わったのが分かった。

わかってはいたけれど、上手く躱せなかったのは。


「本当に大事なんだね。良かったじゃん。おめでとう。ああもちろん本気で言ってるよ? ずっと探してたもんね。運命の人」

「ああ」


少しからかう口調のエイリスに、ニコライが真顔のまま頷いた。


「何より大事だ。だから八つ当たりはやめろ」


照れた様子もなく言われてこっそり照れる。

頬が赤くなるのをエイリスに見られたくなくて、庇うように立ってくれているニコライの背中に隠れた。


「八つ当たりって……はぁ。わかったよ認める。今のは全部八つ当たりでしたごめんなさい」


ぺこっとあっさり頭を下げて、苦笑しながら短く嘆息する。

これで最後にする、と言って彼はニコライの胸をどんと叩いた。

それからニコライの肩越しにひょいと私の方を覗いてにこっと笑った。


「ローズもからかってごめんね。噂が嘘なのはすぐわかったよ。兄上とまだ寝てないのも、いたっ」


ニコライに無言で肩を拳で叩かれて呻く。

ヒルダも言っていたが、本当のプレイボーイには私の経験値の低さなんてお見通しだったらしい。


お幸せに~、と手をひらひら振りながら歌うように言って去っていく。

ニコライが呆れたため息をついた。


なんだか良く分からないが兄弟は和解したらしい。


「……また怖い目に遭わせてしまったな」


振り返り、ものすごく申し訳なさそうにニコライが言う。


「兄弟揃ってろくでなしで申し訳ない」

「いいえあの、冗談だったみたいだし、全然」

「強がらなくていい。本当にひどいことをした。もっと早く駆けつけていれば」


痛まし気な表情で私の頬にそっと触れる。

本当に私を心配してくれているのが良く分かった。


緩く抱きしめられ、背中をなでられてホッと息を吐く。

彼の腕の中は心地よく、いつの間にかなによりも安心できる場所になっていた。


この人の腕の中なら、この先何があっても大丈夫だと強く確信できた。


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