漂流
潮騒が聞こえる。
暑い。
喉が渇いた。
そして、むせ返るような、血の匂い。
そこまで認識したフレイフレイは、急速に意識を取り戻していった。
死力を尽くして男を倒したまま、気を失ってしまったのだ。
もう動かない男を横目でチラリと見やると、フレイフレイはむくりと起き上がった。
島を脱出したのは夜だったが、既に日が高く昇り、強烈な日差しが降り注いでいた。
日差しも暑いが、猛烈に喉がひりつく。
渇き過ぎて、はりついたようだ。
フレイフレイは辺りを見まわし、水の入っている樽を見つけると、蛇口を捻って浴びるように水を飲んだ。
「ンゴッ、ンゴッ、ンゴッ、プハァッ!」
渇いた水が砂地に沁み込んでいくかのように、あっという間に水が吸い込まれていく。
息をするのも忘れて夢中になり、ひとしきり水を飲み込んだフレイフレイは、むせ返ってしまう。
「ウッ、ゲホッ、ゲホッ! はぁ、はぁ……はぁ……」
床に両手をつき、呼吸を整える。
水音が聞こえてそちらを見ると、開けっ放しにしたままの蛇口から、水が流れ落ちて音を立てていた。
フレイフレイは、慌てて蛇口を閉めた。
辺りは果物やロープ、その他様々なものが散らばっていて、酷い有様だった。
フレイフレイはそれらをかき分け、木製のコップを見つけると、今度は慎重に蛇口を捻ってコップを満たし、ゆっくりと口に含んだ。
味わうように水を飲みながら、ここでようやく、フレイフレイは小舟の周りを見渡した。
――見渡す限りの水平線。
海賊船も、討伐隊の艦隊も、海賊島も。
その他、小島のひとつさえも。
何も見えなかった。
やはり、水は貴重だ。
あまりの喉の渇きに耐え兼ねて、もったいないことをしてしまった。
フレイフレイは、男の方に顔を向けた。
腹から剣を生やしている。
他の船に、こんな状況を見られなかったのは良かったが、
しかし、何もない、誰もいないのでは、果たして本当に良かったと言えるのかどうか。
フレイフレイは、足元に転がっていたりんごを拾い、齧りながら考える。
何かの偶然で船が通りかかったとする。
そこには、一人の少女と、腹から剣を生やして息絶えた男。
どう考えてもまずい。
あるいは、どこかの島に流れ着き、漁師やら村人やらに発見されたとする。
やっぱりまずい。
フレイフレイは、芯だけになったりんごを海に放り投げ、どうすべきかさらに考える。
考えながらも腹は減っているので、2つ目のえいんごを拾い上げ、かぶりつく。
どうすべきか。
まず、剣は抜いたほうが良いだろう。
この状態では、明らかに刺されているし、小舟にはフレイフレイしかいない。
ならば、第三者に刺された、というのはどうだろうか。
刺してきた襲撃者は、あたしには気づかず去って行った、とか。
ちょっと無理がある。
食べ終えた2つ目のりんごの芯を海に放り投げたフレイフレイは、ぽちゃん、と水音を立て、波紋を作った水面を見つめて、しばし固まった。
「捨てよう」
死体などなかった。
これがいい。
この先、いつまで漂流するか分からない。
ずっとこのまま、死を待つのみかも知れなければ、今日中にも島が見えるか、船に発見されるかもしれない。
ならば、行動するのは早い方がいいに決まっている。
チラリ、と頭の片隅に、食糧、という言葉がよぎったが、フレイフレイは即座にそれを打ち消した。
積んである食糧が切れたら、それが運命とあきらめよう。
この男を、食糧として残しておくだけの覚悟は、フレイフレイにはなかった。
剣を引き抜き、剣に付着した血は、男の服を切り取って拭う。
この男自身が海賊でやっていたことだ。
恨みはしないだろう。
それに水は貴重だ。
死んだ男はフレイフレイには重たかったが、脇の下に手を差し入れて、小舟の縁にどうにか乗せ、最後は蹴り落とした。
全身から汗をかき、倒れるようにして休憩したフレイフレイは、次にぼろ布を海水に浸して、血を拭いていった。
死体がなくても、血の跡と臭いが残っていては、同じことだ。
次に、フレイフレイは散らばったものを拾い集め、整理しながら物資を確認していった。
元冒険者の男との戦闘で多少荒れてしまったものの、水も食糧も、さほど減ってはいなかったし、食い扶持も減ったので20日ほどは持ちそうだった。
整理を終えても、まだ日は高く、照りつけていた。
フレイフレイは水を飲んで一息入れてから、今度は木箱の間に割れた板を渡し、布を被せて日除けを作った。
自分がくるまる布も持ってきて、寝床のできあがりだ。
ひと通りやるべきことを終えたフレイフレイは、倒れ込むように眠りに就いた。
肌寒さに目覚めると、夜になっていた。
フレイフレイは、さらに布を集めてきてひっかぶり、そういえば腹が空いた、と思った。
なんだかんだで、りんごを二個齧っただけだ。
小舟の上で、特にやることもない。
フレイフレイは、ゆっくりと噛みしめるように食事をした。
食べ終え、布を引き寄せてくるまりながら、考える。
辺りは暗いし、どうすれば良いのだろうか。
少しでも食糧の足しにする為に、釣り道具でも作るべきか。
いや。
舟を漕がなくては。
男は、最初からフレイフレイを殺すつもりだったからか、一人で舟を漕いでいた。
自分にもできる筈、いや、やらなくては。
このままここ通りかかるかも分からない船をただ待っていてはダメだ。
どこでもいい、島を目指さなくては。
こうして、フレイフレイは、寝る時以外は舟を漕いで過ごすことにした。
最初は重たくてうまく行かなかったが、段々とそれなりに漕げるようになっていった。
そして、12日後。
フレイフレイは、砂浜に辿り着いていた。