小舟の上で
フレイフレイは、ゆらゆらと揺れる小舟の上から、遠く聞こえる剣戟の音や、何かが燃え上がる火の光に意識を向けていた。
小舟とはいっても、大人が10人ほど手を繋いで円を作れるほどの広さはあり、二人で10日程度はしのげる程の食糧と水が積んであった。
侮られていた分、用意するのも容易かった、と元冒険者の男は呟くように言っていた。
生まれてからずっと暮らした海賊島を離れながら、フレイフレイは運命の皮肉に思いを巡らせる。
今、自らと小舟を共にしているのは母でもなく、手下の海賊でもなく、名前も知らない元冒険者の男だ。
母は、どうなっただろうか。
逃げることはできたのだろうか。
つかまってしまっただろうか。
それとも、戦いの果てに命を散らせてしまっただろうか。
母を想い、強く、弱く、ゆらゆらと揺れる遠くの火を見つめていると、ふと、背後に気配を感じた。
振り向いたフレイフレイが目にしたのは、剣を振りかぶり、今にも振り下ろそうとしている、男の姿だった。
「――――――――!」
声にならない声を上げて、夢中で転がった。
近くに置いてあった木箱にぶち当たり、中身がこぼれる。
貴重な食糧だが、今はそれどころではない。
男は容赦なく剣を振り下ろしてくる。
フレイフレイは、剣を構えることも、立ち上がることもできず、必死で右に左に転げてかわし続けた。
「どう――してっ!」
「ハッ! 決まってんだろ。ここまでくれば、もう邪魔が入ることはねえ。てめえの親さえいなけりゃ、俺はこんなところに連れてこられることもなかったんだ。あんなバカどもになめられたり、ひでえ目に遭わされるようなことも、なあ!」
男は、話しているうちに思い出したのか、剣に怒りが込められていく。
フレイフレイは、力任せに振り下ろされる剣から逃れながら、段々と勢いがなくなってきていることに気付いた。
生き延びるために必死なフレイフレイは、海賊に裏切られたこともあり、冷静に、もっとこの男を怒らせた方が良いと考えた。
命を助けられた男にまで裏切られたショックは、既にない。
「それ――で、あたしを殺すの? アンタが斬り殺した3人だって、あたしを犯して、殺そうとした。
母さんじゃ、なくて、あたし。分かって、るんでしょ?
アンタは、母さんに、勝てっこない。だから、逃げてる。
アンタだって、あの3人と、同じ!」
「うるっせえぞお! くそ生意気なガキが! ぶっ殺してやるああ!」
一層激しく、男は攻め立ててくる。
フレイフレイも無理に無理を重ねて避けているが、ここまでの逃走劇で疲れ切っていた。
避け損ねた攻撃で、ひとつ、またひとつと、裂傷が刻まれていく。
(まだだ。まだ動けっ。あたしの身体!)
フレイフレイは、もう過信していなかった。
自分が手も足も出なかった海賊3人を、易々と斬り捨てたこの男に正面から向かっても、きっと勝てない。
例え、逆上し、疲れを見せていたとしても。
「うらああああ!」
今ではそこら中に転がっている食糧を、フレイフレイは手当たり次第投げつけた。
「うざってえんだよ!」
男は、それらを剣や腕で弾きながら、距離を詰めてくる。
フレイフレイは、破壊された木箱に気が付くと、手を痛めることも構わず、割れた板をひっつかんで、男に投げつけた。
ザクッと音がして、男の頬が裂ける。
「この、アマ!」
ブチ切れた男が、大きく一歩を踏み出してくる。
よけられない!
そう思ったフレイフレイは、目を大きく見開いて、男を睨みつけた。
絶対に目を閉じたりしない。
最後の最後まで戦い抜く。
その強い意志が。
冷静な挑発が。
必死の抵抗が。
チャンスを作った。
「うっ、お?」
男が怒りに任せて踏み込んだ、その大きな一歩の足もとに、散々壊してまわった木箱から転がり出た果物が、落ちていた。
それを踏みつぶした男は、バランスを崩して倒れかける。
しかし、腐ってもCランクの男は、わずかな隙を作っただけで、持ち直した。
だが。
そのわずかな隙で、充分だった。
目を閉じることなく、しっかりと見据えていたフレイフレイにとっては。
「うおおらああああっ!」
勢い良く振り上げた剣はきれいな弧を描き、男の腹を下から斬り裂いていく。
「かっ……くっ、このお!」
男は剣を振り下ろすが、フレイフレイは剣を手元に引き寄せ、渾身の力を込めて突進した。
「うぐぉっ。ぐっ! こ、こんな……」
フレイフレイの剣は男を貫き、男の剣は、フレイフレイの背中を浅く傷つけるに留まった。
男の身体から急速に力が抜け、だらりと垂れた手から剣が滑り落ちる。
フレイフレイも、もう限界だった。
そのまま男を押していく形で、前のめりに倒れていく。
男は腹に剣を突き立てたまま仰向けに倒れ、フレイフレイは、その横に倒れ込む。
そして、そのまま意識を失った。