21.感染
自室に入って、与一は入り口に置いてあった蜻蛉切とフラッシュライトを掴んだ。
「塚本さんは部屋で待っていて。佐伯さんもよかったら一緒に。二人でいる方が安心だと思います」
それだけ言って与一は駆け出した。
「芹沢君!!」
由梨は叫んだが与一は振り向かずに階段を駆け下りていった。
二階までやってきて与一はスピードを緩めた。
ここからは慎重に行く予定だ。
足音を立てないようにゆっくりと進む。
全員ゾンビ化していれば敵は最大で六人だ。
ちらりとしか見えなかったが吉田はもう助からないだろう。
かなり出血していたようにみえた。
ゾンビ化するのは時間の問題だ。
助けられる人がいれば何とかしたいが、既に無理なら階段部分を閉鎖しなければなるまい。
戦闘をするにしても暗闇の中では危険なので太陽が昇るまでに覚悟を決めてから一階に乗り込むつもりでいた。
ドアノブをゆっくりと回し、鉄の扉を開いたが軋みはなかった。
隙間から覗くとか細い誘導灯の明かりに照らされて3体のゾンビが見える。
吉田夫妻と名前も知らない住人だった。
正面玄関が少しだけ開いていたので他の二人はそこから逃げたのかもしれない。
最初にゾンビになった金本の姿もない。
逃げた人を追いかけて外に行ったのだろう。
与一はそっと扉を閉めて声をたてないように泣いた。
つい数分前まで親しくしていた人がゾンビになってしまったのだ。
優しかった二人のことを思い出すと涙が止まらなかった。
すでに世界のどこにも吉田夫妻はいない。
あれはもう断じて吉田夫妻ではないと与一は考えた。
人の気配がした。
思わず身構える与一だったが、現れたのは長剣を両手に抱えた由梨だった。
「塚本さん」
与一は慌てて袖で涙をぬぐい、由梨は見ていないふりをした。
「芹沢君。他の人たちは?」
「多分だけど外へ逃げた人がいると思う。だけど、この状況下で外へ逃げてもゾンビの餌食になるだけだ……」
「助けにいくの?」
与一は絶望的な気持になる。
「外は街灯もついてない真っ暗闇だよ。無理だ……」
「うん……ごめんね。浅はかなことを聞いた」
二人はどちらともなく非常階段を上がりはじめた。
与一たちが七階の非常ドアを開けると、佐伯瑞穂は怯えた動物のように跳ね上がった。
「佐伯さん、部屋に帰っていたんじゃないんですか」
瑞穂は泣きそうになりながら声を絞り出した。
「わ、わた、私、お二人が心配で。も、も、もし、戻ってこなかったら……」
瑞穂はブルブルと震え出す。
精神に軽く変調をきたしているように見える。
昨晩からずっと一人でいたのだろう。
恐怖でどうにかなってもおかしくはない。
「佐伯さんも手伝ってください。七階の住人は自分たちだけですし、そこの非常階段のドアを封鎖してしまいましょう」
与一は身体を動かせば、瑞穂も少しは気が紛れるだろうと考えた。
三人がかりでソファーやテーブル、ベッドなどを非常扉の前へと積み上げていく。
廊下には物があふれ、そう簡単には出入りできなくなった。
「これでゾンビも入ってこられませんね」
「でもこちらから出るのも大変そうだけどね」
与一と由梨はつとめて明るく会話をした。
「さて、何か飲み物でもいれようか。あ、でも電気が使えないからお湯も沸かせないか」
電気ポットもIHも使えない。
「あの、家にお鍋をするときのガスコンロがあります」
瑞穂がおずおずと申し出た。
「じゃあ、それを貸してもらってお湯を沸かしましょう」
三人は与一の家に集まって一緒にお茶を飲むことにした。
瑞穂が趣味であるという緑茶を振舞ってくれた。
「今日は静岡県の本山のお茶です」
濃い緑のお茶で、香りが高く味わいも深い。
「美味しい。お茶ってこんなに美味しいんだ」
ペットボトルのお茶ばかり飲んでいた与一はかなり感動している。
「気に入って頂けて良かった。次は違う産地のお茶を持ってきますね」
先ほどまで情緒不安定な瑞穂だったが、少し落ち着きを取り戻していた。
「それにしても電気が使えないんじゃ料理ができないよね。冷蔵庫の食材もすぐに傷んでしまうだろうし」
由梨の心配は当然だ。
いくら迷宮内で食材が得られると言ってもそれは安定供給ではない。
今ある食材は大事にしなければならないのだ。
「物置にクーラーボックスがあったな。保冷剤と一緒に入れておけばしばらくは持つと思うよ」
与一はすぐに行動した。
クーラーボックスを引っ張り出して生ものを移していく。
瑞穂の家の食材も一緒に入れた。
「どれくらい持つのかな」
「一晩は大丈夫だと思う」
「一晩か、キツイね」
冷蔵食品はともかく冷凍されている肉類がどうなるかが問題だった。
与一はふと今朝見た光景を思い出した。
「そういえば、屋上にたくさんのソーラーパネルがあったんだよ。多分、このマンションのオーナーの部屋につながっていると思うんだよね」
「ということは、昼間なら電気が使えるってこと?」
「うん。問題は八階の部屋の鍵は管理人室にあるってことかな」
三人はもう一杯お茶を飲みながら今後の方針を話し合った。
現時点で絶対に必要なのは吉田が持っていたマンションの鍵束だ。
このマンションのあらゆる場所の鍵がついている。
屋上へ通じる扉の鍵はもちろん各部屋の合鍵もあった。
それさえ手に入れることが出来れば、住民のいない部屋から必要な物資を手に入れることができる。
ペントハウスならば期間限定とはいえ電化製品も使えるのだ。
「明日はゾンビを排除して鍵を見つけるよ」
与一はあえて吉田さんとは呼ばなかった。
電気のない状態で瑞穂は一人で寝るのを嫌がった。
外をゾンビが徘徊しているというのに、真っ暗な部屋での孤独に耐えられなかったのだ。
由梨も同じ気持ちだったので二人は一緒に寝ることにした。
部屋に戻る前に与一は由梨にそっと耳打ちをしておく。
「ルーチェに今日あったことを伝えてくるよ。俺がいない間に何かあった時はカバリアに来て」
「うん」
頼りないロウソクの明かりが、皆の期待を一身に背負って迷惑そうに揺れていた。
ゲートをくぐると、ルーチェの作っている家は更なる進捗を見せ、壁が出来ていた。
窓や扉はまだ取り付けられておらず、テーブルの上に光るランタンが外からも見えている。
「ルーチェ」
声をかけると戸口にルーチェが姿を現した。
「ひどい顔をしているわよ。何かあった?」
与一の表情を見れば、聞かなくても状況は察することができた。
それでもルーチェは与一を座らせて、話を聞いた。
「人生で最悪な日かもしれないよ。明日は今日を更新しそうなくらい、もっと最悪になるかもしれない」
マンションの住人がゾンビになってしまったこと、自分を可愛がってくれた吉田夫妻だったゾンビを倒さなければならないことをルーチェに説明していく。
「ルーチェはゾンビを倒したことある?」
「あるわ。人を斬ったこともね……」
与一の手が小刻みに震えていた。
ゾンビとなった吉田夫妻の顔面に蜻蛉切りを突き立てることをイメージして吐きそうになっているのだ。
新人の兵士や冒険者によくある状態だとルーチェにはわかっていた。
これを乗り越えなければ与一は生き延びることはできない。
「ごめん、みっともないところを見せて。だけど、どうしようもなく怖いんだ。だけど、塚本さんや佐伯さんの前でこんな姿は見せられないし……。本当にごめん。俺はルーチェに甘えているんだね」
ルーチェは立ち上がった。
初めて迷宮探索にでる前日の自分もこんな風だったのかしらと思い返してみるが、覚えていることはあまりなかった。
「大丈夫よ」
ルーチェは後ろから優しく与一を抱きしめた。
「ルーチェ……」
抱きしめながらルーチェは与一の髪を優しくなでる。
「俺、皆を見捨てたんだ。もしかしたら吉田の伯母さんだって助けられたかもしれない。だけど俺は……」
「そうだよね。与一の心の痛みは私にもよくわかるよ。私もパーティーを見捨てて逃げたんだから。そして私だけが生き残ってる……」
与一は身体から力を抜いてルーチェに身を任せた。
「本当は私も一緒に行ってあげたいんだけど、ゲートをくぐれないもんね……。その代わり与一に勇気をあげる……。こっちにきて」
ルーチェは与一を立たせた。
「だけど、俺――」
何かを言いかけた与一の口をルーチェの口が塞いでいた。
戸惑う与一を無視してルーチェはさらに深くキスを続ける。
やがてルーチェの気持ちは与一にも感染していく。
示し合わせたように二人は同時に服を脱ぎ去り、何かを埋めるように抱き合った。
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