第五話:迷宮大乱闘
「うーむ、どうしようかな」
ケイリオスの学園迷宮、第6階層。
俺は顎に手を添え、唸っていた。
悩む俺の前には階段がある。
毒沼の張られていない、降りるための階段だ。
……そう、俺は第7階層の階段を前に、それに足を掛けるかどうかを悩んでいたのだ。
「最大深度更新、か?」
既に今いる第6階層も初めて来る場所だと言うのに、この上さらに1階層を更新していいものか。
俺の悩みはそういうものだった。
最大到達深度はステータスカードにも表示される、探索者にとって一つのステータスとなっている。
この最大到達深度は学園での成績の評価の一部となるほか、いくつかの資格の習得条件ともなっている。
基本的に深ければ深いほど良く、浅い事によるメリットはない。
ついでに言うのなら、レベル7の俺だと、適正到達階層は推奨レベルが同じ第7階層。
降りない意味がないと言えばそれまでではあるのだが──
「なーんか、ズルしてる様な気もするんだよな……」
この階層を下りる事に、妙なばつの悪さを感じていたのだ。
もともとはこの階層でレベル上げをする事が、今日の目的だった。
にもかかわらず、俺はこの階層で殆んど戦うことなく、今こうして階段を目の前にしている。
普段であればただ運がいいとして第7階層の下見でもすると思うのだが──
マッチング。
その事実が俺の脚を止めさせていた。
敵と出会っていないのは、この階層にいるであろう他の探索者の影響が大きい。
魔物と言う魔物を牽引するような探索をしているのだろう、そのおかげで俺は殆んど無傷でこの場所にいる。
パーティを組んでいるのならばまだしも、偶然同じ迷宮を探索している探索者のおかげで7階層に到達と言うのは、なんとなくモヤモヤした気持ちがあるんだよなあ。
それに、ここからは推奨レベルが7になる。ソロの俺では戦力的にもキツくなってくるだろう。
様々な考えが頭を巡っては消えていく。
はたして、俺の出した答えとは──
「うん、やっぱり降りるか」
割り切って、先へと進む事だった。
迷宮探索で妙な意地を張っても、馬鹿を見るだけだ。こういうアクシデントも幸運としてポジティブに捉えていく事が大切だろう。
近況のせいか、俺はついつい物事をネガティブに捉えがちだからな。少しくらいポジティブになるのもいいだろう。
戦闘がつらくなるのも、いつか通る道だ。勝てなさそうなら回収できるだけアイテムを回収して、転移で帰ればいい。
それに、この機会を逃したら次はいつ第7階層まで来れるかも分からないからな。好奇心もあり、下見だけでもしておきたい。
じゃあ、行くか。
気合いを入れるため頬を張り、階段へと足を延ばす。
見慣れた階段を一段一段降りて行くと、そこはやはり変わらぬ見た目の新世界だ。
こうなったら、行けるところまで行ってやるぜ。
目指すは──第9階層くらい? いや、推奨レベルすら足りてないボスをソロとか無理ですし。
当初の目標を高く、それでも控えめに設定した俺は勇んで歩き始めた。
……もちろん、生命探知と警戒心をフルに使って。
良く考えれば勇んでない気がするが、これが迷宮の正しい歩き方なのだ。
……流石に多いな。
魔物が屯する道の前で、俺は心中で舌を打った。
ケイリオスの学園迷宮第7階層は、まだマッチング中の探索者が到達していないせいか、厄介な魔物であふれかえっていた。
群れで行動するユニゾンエイプ、種族中最弱とはいえど強力な亜人種のレッサーゴブリン。そして生命探知に引っかからないリザードスタチューと、俺が相手にしたくない魔物のオンパレードだ。
第7階層を探索し始めてから暫く時間が経ったが、俺はまだ大した成果を上げられていなかった。
群れは絶対相手にしたくないし、リザードスタチューは単独でいる事が多いが、石で出来た魔物であるため剣が通りづらい。
レッサーゴブリンが単独で行動してくれているのが一番なのだが、これも中々見つからない。
中々チャンスが来ないんだよなあ。
今も俺は、魔物がふさぐ通路から離れる最中だった。
先ほど通ることをあきらめた道にはユニゾンエイプが四体、ひょっとしたらリザードスタチューも近くにいるかもしれない。
そんな状況は、流石にソロでは厳しい。
極力音を立てないよう、ゆっくりと壁を背に通路を離れていく。
気配の移動は無いので追ってきてはいないだろう。
少しばかり安全な場所に移動して、俺は小さく息を吐いた。
「(やっぱおとなしく第6階層でレベル上げするべきだったかな。そろそろ帰るか? でもなあ)」
なんとなく悔しいんだよな。
そう続け、俺は迷宮の壁に背を降ろした。
生命探知は続けているため、完全に気を休めたわけではないが、こうして体を休めるのは大切な事だ。
幸いリザードスタチューは探索者を発見するまで動くことはない。気配にさえ気を配っていれば、いきなり戦闘と言う事はないだろう。
「……はあ」
仲間が欲しいな。吐きだしたため息の代わりにお決まりの愚痴を思い浮かべる。
しっかりとしたパーティメンバーさえ揃っていれば、群れだって相手にできるのに。
とかなんとか言っても、同年代は殆どパーティ組んじゃってるしな。
呪術師に出遅れと言う二重苦、取り戻すのはつらい。
何処かに俺と組んでくれる奇特な探索者はいないかな。
慎重に迷宮を歩く疲れから、何気なく殺風景な天井を見上げたその時だった。
「……ん?」
何処か遠く……とはいっても、それほどの距離でもない位置から、迷宮では聞きなれない音が響いた様な気がした。
……いや、違うな。音じゃない、それは声と表すべきものだ。
魔物の鳴き声でも断末魔でもない、甲高い声。
つい先ほど聞いた叫びに似た声だ。
その声は、だんだんと此方に近づいてくる。
……おいおい、冗談じゃねえぞ。この方向って……
「いやあああっ! 助けてえぇぇぇっ!?」
声はもう、はっきりと俺の耳に届いていた。
冷たい汗が流れる。
生命探知に引っかかる数は六つ。それはパーティの最大数を超えていた。
畜生、今まで楽させてもらってきたとはいえ──魔物を引き連れてきやがった!
歩くとは言えない速度で近づいてくる気配に立ちあがり、剣を抜く。
死角から現れたのは──長い水色の髪を揺らす、キツイ目をした華奢な少女。
「ひ、人っ!? あんた、レーゼ=ゼフィス!」
「やっぱりお前か、シア=ウィーアディ!」
先ほど迷宮の前でもめ事を起こしていた問題児、シア=ウィーアディと──
その後ろを走る魔物たち。7階層の魔物で結成された、五体からなる混成パーティであった。
魔術師が一人で何してるんだこの馬鹿。
自分が呪術師のソロ探索である事も忘れ、俺は剣を抜いたままに走ってくるシアとすれ違った。
「時間は稼ぐ、あとは分かれ!」
「えっ!? あ、うん、分かった!」
これも楽してここまで来たツケと割り切ろう。
生粋の後衛職が一人に、前衛をこなしてきた呪術師が一人。この場で採用する戦法は、これが一番だ。
「せェのッ!」
駆けてくる魔物たち、そのうち先行するユニゾンエイプの頭に向けて、ショートソードを走らせる。
突然の加勢に怯んだのだろうか、ユニゾンエイプのうち一体は頭の上半分をするりと分かち、走る勢いを崩して地面を滑っていった。
先ず一体、あとはユニゾンエイプが二匹と、レッサーゴブリンにリザードスタチューが一体ずつ!
仲間意識があるかどうかは分からないが、群れの一匹が突然殺された事で、残りのユニゾンエイプが同時に襲いかかる。
その名の通り、こいつらは群れで行動しての連携攻撃を得意とする魔物だ。俺は剣を横にして構え、振り下ろされる爪を受け止める。
二匹同時だと流石に重いな……! このままじゃあ体勢を崩される。単純な力での負けを感じた俺は、一瞬の隙をついて一匹のユニゾンエイプの腹を蹴り飛ばした。
一匹分の力が無くなると同時に、ショートソードを跳ね上げる。
体勢を崩した所に、やはり前蹴りを見舞う。
とりあえずの危機を脱しても、油断は出来ない。敏捷性でユニゾンエイプに劣るリザードスタチューとレッサーゴブリンが戦列に参加したからだ。
正直リザードスタチューは俺じゃ分が悪い。倒せない事は無いが、時間も体力も消費してしまうだろう。乱戦でそれは致命的だ。
だから、リザードスタチューは無視する。突き出される石の爪を避けて、足場にする目的で蹴りつけた。
石の身体が揺れ、俺の体は跳ねる。しかし、そこにはレッサーゴブリンが待っていた。
ヤバい、と頭が思う前には、行動を開始する。とっさに動けるように訓練するのも、探索者の基本の一つだ。
俺が持つ自由の中で、何よりも速く動く無手の左手で、振り下ろされる棍棒をガードする。
骨を擦る鈍い音が顔に渋みを含ませる。防具もなしでは、痛みもダメージもさほど軽減できなかったようだ。
骨はイっていないが、頭を守るだけの行為はガードとは言いづらい。
「痛っ……てぇな!」
しかし、頭を殴られなければ行動は出来る。
鈍器で頭を殴られると、どうしても意識があやしくなるからな、動けるだけ今の状況はマシだ。
悪態を吐きながら、空いた右手のショートソードを走らせるが、レッサーゴブリンは機敏な動きで後ろへと飛び退いた。
胴体を分かつつもりだったショートソードは、その身体に傷を残すのみで終わった。
……流石に、群れ相手はつらい。
そうこうとしているうち、蹴り飛ばしたユニゾンエイプとリザードスタチューも追いついてきたからだ。
普段であれば、大ピンチ。なんとか逃げ出して、転移符を破るような場面だが──
俺はこの戦闘中、とある合図を待って常に警戒していた。
「『エナジーボム』っ!」
後ろに聞こえてくる少女の叫び。
待ち構えていた魔術師第二のスキルの名が叫ばれると同時、俺は何をおいても回避を優先した。左足で地面を蹴って、身体を跳ね飛ばす。
俺が離脱した直後──俺の居た場所を光の玉が通過し、俺に群がる魔物たち、そのうち動きの遅いリザードスタチューを捉えた。
光が爆ぜ、爆音が響き、爆発の威力で俺の体が煽られる。
魔術師第二のスキル『エナジーボール』。長めの詠唱を持つとはいえ、これほどの威力を持っているとは……!
「痛でっ!」
爆発に吹き飛ばされ、俺は迷宮の壁に頭をぶつけた。鈍い痛みが一瞬だけ判断力と視界を奪う。
……が、それらの症状はすぐに収まって──後に残ったのは、魔物たちの残骸だった。
毒殺もえぐいが、爆殺も十分にえぐいな……
ぶつけた頭を摩りながら立ち上がると、足元に身体のあちこちを欠損させたユニゾンエイプが転がっていた。
まだ生きているようなので、右手のショートソードで頭を一突き。
「カッ」
短い断末魔を上げて、ユニゾンエイプの身体は魔力へと還っていった。
リザードスタチューは砕け、レッサーゴブリンはもう魔力になったのか、跡形すらない。リザードスタチューの破片も、もう消えかかっていた。
……こりゃあ、戦術の中心にもなるわけだ。魔術師の火力ってのは恐ろしい殲滅力だな。
何気なく足元に視線を送ると、ユニゾンエイプの毛皮が落ちていた。それを袋に突っ込んで、杖を構える魔術師の方へと歩いていく。
「……よう、お疲れ」
「……お疲れ」
爆風に煽られて俺はボロボロなんだけどな。一言くらい謝罪が欲しいモンだ。
とはいっても、数々の悪名を持つこの問題児にそれを言っても揉めるだけだろう。
俺は素直に諦めて迷宮の壁に腰を下ろす。
袋から回復薬を取り出して、一気に呷る。
マスカットの様なさわやかなフレーバーは、傷を治すと共に穏やかな甘みで癒しを提供してくれた。
「っぷは、美味い……」
いやー……なんとか生きてるんだな。
先ほど見た圧倒的な威力の呪文に背を冷やし、回復した事実に生きている実感を得た。
呪術師も後衛職だけあって魔法抵抗は割と高いが、アレを直撃したら死ぬかもわからんね。
呪文の威力は大したモンだが、そりゃ仲間としては気を付けてほしいよな。
初めての多数戦に魔術師の有用性と恐ろしさを再確認していると、何を思ったのかシアが隣に腰を降ろしてくる。
……な、なんだ? 俺が何かしたか?
予想外の出来ごとに混乱し、そんな事を思い浮かべると、すぐに『何か』が浮かんできた。
そういえば、マッチングしてたのはこいつだったんだな。
……なら、俺も『何か』してたわ。冷たい汗が一つ二つと、頬を伝っていく。
「……もしかしたらマッチングしてるかも、と思ったけど。
アンタよね、あの毒沼」
はい、その通りです。
口には出さず、暴れる心臓を押さえつける。冷淡な口調が、逆に怖かった。
「あの解毒剤と回復薬がなかったら、さっきのエナジーボールは当ててたわよ……本当に気持ち悪いのね、毒状態って」
物騒な事を口にするシアだが、それを実行していない分だけ、怒りも抑えられたのだろうか。
先ほど置いて言った回復セットが自分の命を救った事を理解し、俺は胸をなでおろす。
「あれは本当にすまなかった。ソロだとどうしても群れ相手がキツくてな、階段ハメにポイズンプールを使っちまったんだ」
「呆れた、階段ハメってことは、あんた自分であの毒沼に掛かったの?」
本当に驚いた様子で言ってくるシアに、今度はその通りだよ馬鹿野郎と思い浮かべた。
……しばし沈黙が続く。
少し面識があるくらいで、こいつとは別に仲が良いわけじゃないんだよな。
用が済んだならもう行けばいいのに。
居心地の悪さに理不尽な事を考えつつ、沈黙に耐えかねてステータスカードを取り出す。
……おお、やっぱりか。
取り出したカードの、レベルを表す欄に書かれた数字は、ひとつ大きくなっていた。
レベルアップ。さっき戦闘が終わった時に感じていた感覚は、間違いじゃなかったわけだ。
……しかも、新しいスキルまで覚えている。
「ゴーストタッチ」か、出来れば攻撃技だと良いんだけどな。
明確に一つ迎えた成長に、思わず顔がほころぶ。
特に新しいスキルを覚えるってのは初めてだが、わくわくせざるを得ない。
呪術師は本当に情報が少なく、ポイズンプールの厄介さだけが独り歩きしているからな。情報すらないスキルというのは、好奇心旺盛な俺の心をくすぐるには十分だ。
「なに、レベル上がったの? その分だと、新スキルでもあった?」
……と、一人でにやにやしていると、隣に座るシアが話しかけてきた。
明らかに作りものと分かる固い笑顔を浮かべて、おずおずとだ。
その様子に一瞬だけ怪訝な顔を浮かべるが、俺は毒沼を作成した負い目もあり、なるべく有効的に返す。
「ああ、ゴーストタッチって言うみたいだな。これが攻撃スキルだったら、もう少し呪術師の立場も代わりそうなんだけど」
「へ、へえ……そうだといいわね……」
なんだろうな、苦手な世間話を無理して続けられているような、そんな感覚だ。
眼を泳がせ、汗を浮かべながらも固い笑顔は崩さない。
……なんだってんだ、一体。
しかし、本当にキツかったな……こんなのが続くんじゃ、最初のボスを突破するのは何時になる事やら。
急がば回れって言葉を理解したぜ。深層に行くのは、もう少しレベルを上げてからだな。
……正直、この微妙な空気もつらくなってきた所だ。
今日の所はキリも良いし、帰ろうかな。
そう思い、転移符を取り出すため、道具袋に手を突っ込む。
「そ、そういえば! さっきは助けてくれてありがとうね。
悔しいけど、私一人じゃどうにもならなかったわ」
「え? お、おう……どういたしまして」
だがその瞬間、シアは焦った様子で話しかけてきた。
誰が見ても不自然な話題転換だ。……俺を引き留めようとしているようにも見える。
再び訪れる沈黙。
ああもう、なんだってんだよ。
あちこちに眼をやる落ち着かないシアに、溜息を吐く。
俺のため息に気がついたシアは、びくりと肩を震わせた。
その挙動不審な様子に、俺は一つの想いあたりを口に出してみる事にする。
「……さっきの魔法の事なら気にしてねぇよ。
むしろ凄かったぜ、四体の魔物が一気にバラバラってのは驚いた」
「……あ、ありがとう」
もしかしたら、さっきのエナジーボムの爆発に巻き込んだ事を気にしているんじゃないか?
しかしその推察は外れていたようだ。
微妙な表情を浮かべるシアの顔には、見て分かるほどの疑問符が浮かんでいた。
……んー、わからん。
でもまあ、言いたい事は言ったし、そろそろ帰るか。
放していた手を再び道具袋に掛ける。
すると、今度は隣からシアの手が伸びてきて、俺の服の袖を掴んだ。
……やっぱ引き留めたいみたいだな。
はあ、なんなんだ一体……
「……ああもう、言いたい事があるならなんか言えよ……」
その言葉に再び肩を震わせたシアは、小刻みに震え始めた。
……正直おかしいとは思うんだよな。
魔術師がこんな所にたった一人。高レベルの魔術師であれば問題ないだろうが、俺達は迷宮探索が解禁されたばかりのひよっこだ。
魔術師は強力な呪文を多く持つが、それを発動するには詠唱が必要だ。
全ジョブの中で最低クラスのATKとDEFを持つ魔術師は、ソロと言う条件であれば呪術師よりも下だろう。
それが何故、こんな階層まで降りてきたのか。逃げまどうくらいなら何故転移符を使わないのか。
俺は沈黙を持ってシアの言を待った。あれこれと親切に聞き出してやる事はしない。俺ももう、そろそろ帰るつもりだし。
やがて、俺のスタンスを感じ取ったのだろう。袖を掴んだまま震えるシアは、俯いたままに何かを喋り始めた。
呟き以下のぼそぼそとした声に、少しだけ苛立ちが募る。だが、なんとか聞き取れた言葉の一部に、そんな怒りも吹っ飛んだ。
「転移符、何処かに、なくしちゃったの」
それでも俺はシアが何を言っているか理解に時間を要した。
なんだって? 無くした? 何を。転移符?
「馬鹿じゃねぇの!?」
気がつけば反射的に叫んでいた俺を誰が咎められようか。
迷宮内で叫ぶなんて、魔物狩りを目的としていなければ馬鹿のやる事だ。
だがそれ以上に馬鹿な言葉に、思わず叫んでしまった。
多分大多数の冒険者が同じ事をするだろう。転移符を無くすっていうのは、そういう事だ。
「ば、バカって! ば……バカ……だけど……」
突然の放言にシアも食ってかかろうとするが、その語尾はだんだんと弱くなっていく。
それはそうだ、反論すら出来んよこんなの……
隠す事もせずため息を吐きだし、頭を押さえた。
怒りも吹っ飛んだ。代わりに押し寄せてきたのは表す例えすら浮かばないほど大きな呆れだ。
冗談じゃねぇぞ、魔術師一人でこの階層から地上に戻るのは、正直言って無理だ。
よほどのレベルならまだしもMATが高いだけの、極普通の魔術師がそれを行うのは相当な無理を要求する。
「お前さ……迷宮に自殺でもしに来たのか?」
「そ、そんな訳ないじゃない! ただ、ちょっとその……憂さ晴らしに来たら、思いのほかソロって大変で……
逃げまどっているうちに、こんなとこまで……」
なんの憂さを晴らしに来たのかは、聞かなくても分かる。
……呆れてモノも言えなかった。
代わりに、大きなため息を吐きだす。
このままこいつを放って迷宮を出たら、間違いなくこいつは死ぬだろう。
消耗した魔術師がここから一人で地上までたどり着けるとは思えないし、ボスを倒すのはもっと無理だ。
いけすかない奴ではあるが、関わってしまった以上見捨てるのは後味が悪い。
「無理なお願いだって分かってるけど……お願い! 迷宮を出るのを手伝ってっ!
このままじゃどうしようもなくて、それで……っ!」
押し寄せる不安に耐えきれなくなったか、シアは目に涙を溜めてすがりついてきた。
そりゃあ、命が掛かってりゃこうもなるよな……
「はあ……お前、本ッッ当に馬鹿だな……」
「……はい」
傍若無人で知られる天才魔術師は、呪術師の前で年齢相応の少女のように怯え、縮こまっていた。
いけすかない奴でもなんでも、流石にこれは見捨てられんよなあ。
覚悟を決めるしかないか。
俺は最後に一つ、大きなため息を吐きだした。もう暫くため息を吐かなくてもいいようにだ。
「ドロップアイテムは俺のもの。どうしようもなくなったら俺は転移符を使う、フレンドリーファイアは即刻パーティ解消。
それで良いなら、迷宮を出るまでは臨時で組んでやるよ……」
「え……あっ、い、いいの!?」
普段なら笑いが出る様な不平等な条件を提示すると、シアはそれでも顔を明るく笑みに染めた。
よっぽど切羽詰まってるんだな、こいつ。
まあ当たり前か。死ぬか生きるかだったら、普通の人間は生きる方を選ぶだろう。
「見捨てるのも後味悪いしな……はっきり言うけど、このままじゃ確実に死ぬだろお前……」
「……はい」
出来る限り見捨てるつもりはないが、俺だって命は惜しい。
正直この条件でも俺にメリットは殆どないのだが──生き死にが関わるとどうにもビビリなのは良いのか悪いのか。
コイツの自業自得とは言え、俺の判断で命が一つ消える。それは何故だか、死ぬかもしれない探索をするよりも怖かった。
「今から一階層まで戻るのは、俺はともかくお前の体力的にムリだろ? だから極力戦闘を避け、ボスの撃破を狙う。
分かったらついてこい、チンタラしてても疲労がかさむばかりだ」
降ろしていた荷物を担ぎ、立ち上がる。
ここから先は今まで以上に慎重に行動する必要があるから、今は時間が惜しかった。
「わ、分かったわ」
焦りながらも冷静を努めている様は少しばかり滑稽だったが、同時にほんの少しだけ可愛い所もあるなと思う。
……レベル上げ目的が、いつの間にかボスアタックか。気が重いぜ。
「で、でも結構ちゃっかりしてるのね、あんた……」
「これでもまだ慈善事業のつもりだけどな。……文句があるなら帰るぞ、俺は」
「う、うそうそ! ……うぅ、まさか呪術師なんかに生殺与奪を握られるなんて……」
つい、封印したはずのため息が漏れてしまう。
しかしそれでも見捨てるわけにはいかない。自分の知らない所でならいざ知らず、助けられるかもしれない奴を見捨てる事は、俺には出来なかった。
先を思いやり、俺はもう一つため息を吐きだすのであった。
地味な用語辞典
『種族』
魔物の大まかな分類の事。
犬やその他の動物を模した『獣種』
実態を持たない『精霊種』
石や鉱物などで身体を構成する『魔法生物種』
二足歩行で道具や魔術も扱える『亜人種』などがある。
魔物によっては二つ以上の分類を持つものもいるらしい。
今回の話ではユニゾンエイプが獣種、レッサーゴブリンが亜人種、リザードスタチューが魔法生物種に分類される。