第一話:高らかにスリザ○ンと叫ばれるような気持ちでした
かつて、この大陸には巨大な迷宮と謎があった。
いや、かつてと言うのには語弊があるかもしれない。その迷宮と謎は、発見から千年以上が経った今もなお、それぞれが最大のものとして残っているからだ。
その迷宮には知識が有った。
生活を楽にする知識が、人の生命を救う医療の知識が、強力な武器の作り方が。様々な知識があった。
その迷宮には宝物が有った。
眼を潰さんばかりにまばゆく輝く宝飾が、死者をも生き返らせる妙薬が、砲撃をも防ぐ強固な鎧が。あらゆる宝物があった。
──そして、その迷宮には危険が有った。
命をも奪うトラップが、強力な魔法を使う魔物が、あきれ返るほど巨大な生物が──
有史以来、人は常にこの迷宮に挑み続けてきた。
しかしそこがどれだけ深く続いているか、どんな宝が眠っているか、人々はまだ全貌を知らない。
故に危険を承知で人はこの迷宮に挑む。
魔物の危険さを学び、トラップの回避方法を学び、迷宮の踏破を悲願する。
人々はかつて小さな寺院で知識を学び、知識を欲する人は学び舎を建てて──やがて、迷宮の隣には大きな学園が出来ていた。
「──これが、ケイリオスの学園の起こり。迷宮が『ケイリオスの学園迷宮』と呼ばれるに至った経緯です」
……頭に写した教科書の内容を読み上げ、俺は静かに席へと付いた。
引かれる椅子が床を搔き、少し不快に感じる音を断続的に立てる。
静けさの中、俺が体重を椅子に預けると、教室中の視線を集める女性が満足げに頷いた。
「その通りだ。よく勉強しているようだなレーゼ。
……そう、有史以来挑み続けてきた迷宮が『学園迷宮』と呼ばれるには、そういった理由があるのだ。
迷宮を探索する上で、迷宮に対しての知識を蓄えることで、迫る危険を回避する。
情報の組み合わせは時として未知の危機にも対応する力を得るだろう。
わかったなお前たち、迷宮の隣に学園があるのは、それだけ学ぶということが大切だからでもあるのだぞ」
教室に集まる生徒達よりもほんの一回りだけ年齢を重ねたこの女性は、迷宮史の授業の講師を務める、フィオ=リングズ教諭だ。
彼女だけではないが、学園の講師を務める教師は現役の探索者であることが多い。
その例に漏れず、鋭い瞳を持つフィオ先生もまた、凄腕の探索者だ。
そうであるためか、自分の命が掛かっているためか、はたまたその両方か。教室の空気は勉強するためには非常に丁度いい緊張感を保っていた。
「さて、と。一年次の復習が澄んだ所で、二年次の勉強に入るとしようか。
人類が迷宮への挑戦を始めてから、今年で千と五百十二年が経過した。
その中で、最も大きな発見といわれているものが──誰か、わかるかね?」
教本を目の前に動かしたフィオ先生が、教本の奥の鋭い瞳を輝かせる。
答えてみろ、と言っているのだろう。俺は、その問いかけに高く手を挙げた。
「ふむ、イレインとレーゼか。レーゼには先ほど答えてもらったばかりだ、ここはイレインに答えてもらおうか」
「はいっ」
だが、呼ばれたのは俺ではなく、隣に座る少女──このクラスの委員長……イレイン=ウェターエストであった。
言うとおり、俺は答えたばかりだったからな。他に挙手する人がいれば、其方が当てられるのも当然か。
静かに手を下げた俺とは対照的に、委員長が立ち上がる。
「迷宮を探索する上で、最大の発見と呼ばれているものは『潜命石』と呼ばれる魔石及びその生成法と、潜命石によって得られる『ジョブ』と呼ばれる加護でしょう」
委員長は、俺の浮かべていた考えと同じものを口にした。
まだ詳しく習っていない部分ではあるが、潜命石は探索者ならば必ず手にしたことのある魔石だ。
二年次が始まって探索者になったばかりの俺たちでも、その詳細を答えられる者は多いだろう。
「潜命石は迷宮の比較的浅い階層で発見された魔石で、手に取ることで『ジョブ』と呼ばれるその者の可能性を目覚めさせることが出来るというものです。
『ジョブ』は全部で前衛の戦士・剣士・レンジャーの三つ、後衛の魔術師・治癒術士、そして……呪術師の三つ。
合計六つからなり、それぞれが違う加護を与えてくれます」
呪術師の部分で、僅かな視線を送ってきた委員長と眼が合い、なんとなくばつの悪さのようなものを感じる。
だが完璧とも言っていい答えに、フィオ先生は満足げだ。
「うむ、素晴らしい回答だな。その通りだ。それぞれのジョブは潜命石を使用したものに様々な加護を与える。
戦士ならば力や体力、魔術師ならば魔法攻撃魔法抵抗等により強力な加護を与えるとされているな。
そしてこの潜命石の効果は迷宮にいる魔物を倒すことで、魔物の体を構成する経験値という魔力を吸収し、より強くなっていく。
これが、私達がレベルアップと読んでいる現象だな。
また、前衛職ならば『技』、後衛職ならば『呪文』という『スキル』を使用できるようにもなるという。
基本的にスキルを発動するためには『技』ならば動作で、『呪文』ならば詠唱で準備をする必要があると思っておけ。
スキルは非常に多様で、様々なものが存在するが……まあ、この辺りはジョブごとに専門の講義で学んでもらおうか。
……その、呪術師に関しては、私もよくわからんしな……」
基礎的なことを答えた委員長に引継ぎ、フィオ先生が詳しい説明を引き継いだ。
そう、『潜命石』が最大の発見といわれている由縁は、それを使うことによって得られる加護の多さだ。
潜命石を使うとまず、ステータスと呼ばれる各種の能力が大幅にアップする。
その能力の上がり幅はジョブによって様々だが、魔術師でさえ、加護を受けているものと居ないものではどんなに鍛錬を積んでも追いつけないほどの差が生まれる。
筋肉モリモリマッチョマンの男性でさえ、華奢な魔術師の少女と腕相撲で勝負できるかわからない。それくらいの差である。
さらに言えば、その効力は魔物を倒すほどに上がっていく。
迷宮の魔物達は強靭で、生息地の階層を深くしていく程に強くなっていく。いまや潜命石を使うことが、迷宮探索のスタートラインと言ってもいいだろう。
スキルもそうだ。俺たち探索者が迷宮を探索する上でなくてはならないものの一つである。
スキルを使うことによって魔術師ならば火を起こしたり、雷を放ったり──治癒術士ならば傷を癒したり、毒を消したりといったことが出来る。
また、剣士や戦士の『技』スキルだって強力だ。素早く強力な攻撃を放てる彼らもまた、迷宮の探索では非常に心強い仲間となるだろう。
ともかく、軽く挙げただけでこれだ。潜命石が迷宮史上最大の発見と呼ばれているのには、それに裏づけされた効果があるという事。
もう一つ付け足すと、この潜命石は非常に安価に量産出来ると言うオマケまである。
これが無かったら、人類の最深到達記録はもっとずっと上の階層で止まっていただろうな。
……しかし、そう。
これだけ言えば、ジョブの有用性と言うのはどれだけのものかわかっただろう。
それを踏まえて考えてみよう、呪術師というジョブの特異性を。
火を出す? 傷を治す? なんと素敵な事だろうか。離れた位置を攻撃し、味方の傷を癒す。聞いただけでも強力だ。
……一方、呪術師は毒沼を作っていた。飛行タイプの敵には意味が無く、味方が毒になる危険性もある。
長い歴史で致死率が下がってきた迷宮探索とは言えど、誰がそんな何の役に立つかもわからないジョブをパーティに入れるというのだろうか。
俺だったら、入れないね……いや、今の俺だったら呪術師一人でも欲しいけどさ……
俺が眉間に熱い何かを感じていると、教室に──いや、学園中に鐘の音が鳴り響いた。
どうやら授業の終わりが来たようだ。
「時間切れだな。続きはまた来週のこの時間に行うとしよう。
それでは、これにて迷宮史の授業を終える。
午後は探索するなり、パーティメンバーと交友を深めるなり、ゆっくり休むなりと各々の好きな方法で学園生活を満喫するように」
教本を閉じる柔らかな音を教室に響かせると、フィオ先生は教室のドアを開けて去っていった。
同時に、教室の中に話し声が起こり始める。
「んー……っと、終わったね、レーゼ君」
「ああ、お疲れさま委員長」
それは俺達も例外ではない。
隣に座っている委員長が腕を伸ばして、心地良さそうに声を上げた。
俺と委員長は、一年次の頃からの友人だ。一年を共に過ごし、二年目になるこのクラスでも、委員長とは特に仲のいい友人同士だった。
「レーゼ君は、この後どうするの?」
「ん、俺は探索。委員長はどうなんだ?」
「私も探索だよ。……うーん、そろそろ委員長はやめて欲しいんだけどなあ。イレインって呼んでよ」
委員長、という呼称にイレインは頬を膨らませた。
少女特有の柔らかそうな頬を膨らませるさまは、普段真面目で大人びたイメージの委員長とはまた違い、年齢相応な可愛らしさを見せた。
凛とした瞳に、艶やかな銀の髪。それだけで人気が出てしまうような可愛らしさと、総合成績トップという文武両道。
完璧と言っても良いイレインが俺なんかと友人をやってるのは何故だろう、とたまに考えることがある。
その辺りは一年次に色々と有ったからなのだが、それでも妙なもやもやを抱えてしまうときもあるというものだ。
「ん、まあ選抜パーティだと午後は大体探索だよな。
名前については、しょうがないさ。委員長は委員長だろ?」
「うー……なんだよそれ。こんなことなら一年次に無理に委員長なんてならなきゃよかったな」
「あのころは委員長も大分キツかったからな」
「む、昔のことは禁止! 今思うと本当に恥ずかしいんだから!」
弁当を出しつつ、委員長は珍しく本当に怒っているようだった。
怒っているとは言っても、言動を咎めることを目的としたそれは感情としてはあまり強いものではない。
それよりも本気なのは、恥ずかしいという感情だろう。今の朗らかな委員長からすると、去年の委員長はそりゃもう別人のようだったからな。
「……まあ、いいけどね。レーゼ君と友達なのも、去年のことがあったからだし。
午後の探索まではまだ時間があるよね、お弁当だったら一緒に食べない?」
「ああ、そのつもりだよ。……どうせソロだしな、約束するヤツもいないさ……」
「あー……うん、ごめん……本当は私が組みたかったんだけどな」
半ば自嘲的に力なく笑うと、反面委員長は申し訳なさそうに俯いてしまった。
ああ、やっちまった。委員長も明るくなったとはいえ、まだ真面目すぎるところがあるからなあ。
「大丈夫だって、気にすんなよ。委員長は選抜パーティに選ばれたんだからしょうがないさ」
「……うん、でも一年次の成績は君がトップだったのにさ。今でも少し納得いかない」
そう言って委員長は、今度は僅かな怒りを声に込めた。
委員長が成績トップとは言ったが、それは今年の話。一年次はこれでも俺は総合の成績でトップだったのだ。
この学園には成績が特に優秀なものを育成するため、学年ごとに成績上位から数名を選んでパーティを組ませる『選抜パーティ』という制度がある。
本来であれば、俺もこの制度の範囲内だったのだが──
「呪術師にしかなれなかったんだ、しょうがないさ。それよりメシはもっと楽しく食わなきゃ。だろ?」
……『潜命石』でジョブを選択する際、何故か俺の持つ『可能性』は呪術師だけだった。
可能性を選択──と言うだけあって、普通はどんな人でも選べるジョブは二つ以上あるとされている。だが何故だか俺には選択をする権利が無かったのだ。
呪術師は非常にピーキーな能力を持つジョブだ。役立つ場面もあるが、それは非常に限定的である。
さきほども言ったが、迷宮を探索する上でジョブは最も大切な要素の一つだ。
迷宮をパーティで探索するには特別な道具が必要で、それを使っても組めるパーティは最大四人まで。限られたメンバーに呪術師なんていうジョブが入るスペースは無い。
基本的に前衛職二人、魔術師と治癒術士が一人と言う組み合わせで結成される選抜パーティには、俺の居場所は無いのだ。
それは委員長もわかっているはずだ。それでも、彼女は納得していないようだった。
「そうだね……うん、ごめん。少し暗かった。
……さ! ご飯食べよっ!」
だが、彼女も頭ではわかっている。
空気を悪くしないため、彼女は努めて明るく振舞った。
苦いようでもあり、ありがたくもあるその心遣いに気付かぬ振りをして、俺も弁当を広げる。
「いただきます」
食前の挨拶をし、弁当に手を付け始める。
二人とも、軽いサンドイッチだ。同じ屋台で買ったのかも知れないな。
「あ、それ気になってたんだよね。これとちょっと交換しない?」
「いいぞ、それじゃあどれをくれる?」
「えっとね……」
こうして、俺たちは午後の探索に向けて英気を養っていく。
大して高価な食材の挟まれていないサンドイッチは、二人で食べたからか、値段の割には美味かった。