出来事
翌日、夜桜高校最寄、桜木駅前。
「すまない、待たせた」
「問題ねぇよ、まだ時間前だ」
黒斗と竜胆が待ち合わせていた。
一見デートっぽいが、内容はあまり明るいものではない。
「では行くか」
「貴様の事情を教えてくれる約束だからな」
黒斗が魔法を嫌う、その理由を聞きにいくための集まりなのだ。
「おい、まだだぞ?」
「ぬ?」
竜胆としては、こういうのは早い方がいいと思って急かしたのだが、黒斗は動こうとしない。
「あいつらのことだから、そろそろ……」
「あいつら?」
呟くように言った一言に思い当たる人物。まぁ、間違いない。
「黒斗く~ん!お待たせー!」
「やぁ、待たせたかい?」
絢芽と悠司。予想通りの二人だ。そして、想定外の二人でもあった。
「えっ、なっ。ゆゆゆ、悠司っ!?」
「お?なんだ悠司、進展したのか?」
「進展ってなにさ……ただちょっと仲良くなっただけだよ」
からかう黒斗にため息で返す。ちなみに、竜胆はすでに赤くなっていた。
「ほ~ぅ。へぇ~?」
「……何かな?」
「べっつにぃ」
ニヨニヨ笑う黒斗に居心地の悪さを感じながら改札の方へ向かう。
「ほら、早く行こう!黒斗くん、どこまで買えばいいんだい?」
「柳葉駅だ」
「え、柳葉?」
絢芽が目を丸くする。
なにせ柳葉駅の近くにあるものと言えば、一つしか思い浮かばない。
「そら、竜胆も赤くなってねぇで行くぞ」
そう言って、さっさと構内に入っていく。
電車が来る間、いや来た後も四人は一言も発さなかった。
柳葉駅に着き、改札を出る。
西口から出て数分。
「ここだ」
目的地が見えた。
三人とも、驚きはしなかったが気まずそうにしていた。
黒斗が向かっていたのは病院だった。
しかも、柳葉病院は魔法による怪我や病気に関する専門治療の最前線を行く病院である。
「ほら、こっちだ」
受付を軽く済ませて特別病棟へ向かう。
(特別病棟?)
確か、よほど特殊な魔が関係する病気――魔病にかかった患者の対応をするための場所だ。
こんなところに誰がいると言うのか。
「入るぞ」
305号室のドアを開けて中へ。そこで三人の視界に入ってきたのは、
見たこともない、茨のゆりかごの様な生命維持装置に繋がれた少女の姿だった。
「……………っ!」
「これ、は……!」
「黒斗くん……」
その異常な様子に言葉を失くす面々。悠司と竜胆はショックを隠せない。絢芽にいたってはもうすでに涙を零しているほどだ。
「皆、紹介する」
「妹の真奈だ」
黒斗の目には悲しさ以上に絶望の色を帯びていた。
「黒斗くん、君……ご家族は?」
真奈のあんまりな現状に悠司が質問をする。
「……両親は、死んだ」
「殺されたんだよ、魔術攻撃でな」
っ!!
あまりに酷い返答に、どう答えてよいか分からなくなる。
「妹の容体は、どうなっている?」
「呪い、だとよ」
「呪い?」
聞いたことのない魔病に、首を傾げる。
呪い。解かない限りその効力がずっと続く、起源も派生も全く知られていない不可解な魔術なのだという。
「魔術、なのか?」
「あぁ、ただ詳しいことは何も分からないらしい」
「でも魔術なら……」
解けるのではないか?という竜胆の問いに、黒斗は首を横に振る。
「出来ないんだ……」
「呪いってのは、ディスペル出来ないほど反則級な代物なのかい?」
それにも首を振る。魔術にそこそこ詳しい悠司と竜胆は疑問を深める。
「よく『視』りゃ分かる。竜胆、真奈の魔力の流れを分析してみろ」
言われた竜胆はじっ、と見つめる。
魔術の構造を分析するのはキャプチャージュエリーでは基本の能力だ。大抵の術式は、組む解くは別にして理解することはできる。
だが、
「うっ……」
急に竜胆がふらついた。
「リンちゃん、大丈夫?」
絢芽が声をかけるが、竜胆は信じられないものを見たような表情で真奈を見る。
「黒、斗……」
「分かったか?」
「何だあのとんでもなく複雑怪奇な術式構成は!?見たのは十数秒とはいえ、1%も理解出来なかったぞ!!」
そう。呪いも魔術。であれば解くことは絶対に出来る。
だがこの呪いは、その構成がありえないほど理解に苦しむ複雑さなのだ。
理論上は解けるが、その解き方を本当にちゃんと分かる時は来るのか、それを断言できない。
「でも、黒斗くんなら分かるんじゃないの?」
絢芽が尋ねる。黒斗の分析力は竜胆の遥か上を行っている。
しかし、それも否定する。
「俺も半年入院してたから、一年半か……」
「一年半?」
「あぁ」
「一年半の間ずっと分析を続けて、まだ四割も理解出来てねぇ」
「なっ!貴様が一年半で四割だと!?」
本気で信じられない竜胆。それはそうだ。何せ最も黒斗の技術力を目の当たりにしているのだ。あれだけの力を持ってそれでも足元にも及ばない魔術が、目の前に存在する。
背筋に寒いものが走った。
「魔術を解くのってそんなに難しいの?」
よく知らない絢芽がそんな質問をしてきた。
「そりゃな、組むのに三ヶ月、解くのに一年って言われてるくらいだ」
「単純計算で四倍難しいってことだね」
「でも、それだけならあと数年で解けるってことじゃないの?」
「!そうだ、そう言えば確かに。それなら――」
「いや、このままじゃ……今のままの俺じゃあ十年かかってもこの呪いを解けねぇ」
「どういうことだい?」
一瞬希望を見出したかに見えたが、その意見を遮って否定してくる。
「俺が何千回全体を見たと思ってるんだよ?その辺りの予想を立てられないわけがねぇ」
逐一理解出来ないところで躓いたのではなく、分かる箇所から崩していく。キャプチャージュエリーでのセオリーでもある方法だ。それに、ただ難しいだけなら解ける確信を持てる。それを否定的に断言出来る、出来てしまう最大の要因であり難関。それが、
「この構成式の一部、見る度に変化してるとこがいくつかあんだよ」
「まさか!?」
「そんなこと、ありえるのか……!?」
悠司と竜胆が驚愕に目を見開く。聞いたことも考えたこともない、そもそもそのような発想をする意味が分からない。
構築した術式の内容が勝手に変わるということは、作った本人にも完全に把握することが困難になるということ。言うなれば、制御化に置いた暴走状態という意味不明な状態で魔術を操っているということだ。
「一体何のメリットがあって……」
「さぁな、けどセキュリティってことなら優秀かもしれねぇぞ?」
「馬鹿を言うものではない。中身が必要な時に自身の手で取り出せないセキュリティなど欠陥でしかない」
「だね……」
うんうんと悩む三人だが、解決に向かう考えは一向に出てこなかった。
「ねぇ、黒斗くん?」
十分ほどああでもないこうでもないと意見を交わしていると、絢芽が声を掛けてくる。
「なんだ?」
「そもそもなんで、妹さんに呪いとか両親に魔術攻撃なんてされたの?」
「………」
その質問に少しの間があって、
「あれは二年前だ……」
静かに語り始めた。
二年前。黒斗は親主導の下キャプチャージュエリーの選手として日夜練習や試合に励んでいた。
「あの時は油断出来ない生活だったなぁ」
「何があったの?」
「いや、うちの親魔法使うことには厳しくてよ」
当時の白門家では魔術的な仕掛けがいたるところにあって、黒斗はそれを解かなければまともに生活出来なかった。
朝起きれば目覚ましを止めるのにセキュリティを解き、家を出ようとすればドアに掛けられた結界を解き、家から帰って手を洗おうとすれば蛇口に張られた攻性結界に対処しなければならなかった。当然、対処できなければ怪我をするし、ドアのセキュリティを解けなければ遅刻もする。
そんな環境の中で育った黒斗のディスペル技術が上がるのも、仕方ないとすら言えよう。
だがそんな生活を続けていただけあって、魔力コントロールは目を見張るものを習得できた。
修行のような期間を経て、三年半前。地域のキャプチャージュエリー大会に参加したところ見事に圧勝。さらに厳しい一年間を過ごし、地区予選から参加した全国大会で。
「俺は、まぁ無名だったからさ。あんまり注目されなかったんだよ」
「そりゃ、大会に参加してなきゃねぇ」
しかし黒斗は強かった。
名の知れた選手も、優勝候補も等しく圧倒的に勝利する黒斗はいい意味でも悪い意味でも注目されていった。
「出る杭は打たれる、ということか?」
「いや、俺のはもっと単純でくだらない……逆恨みだ」
全国大会の予選。ここでも圧勝を重ねた黒斗は誰彼かまわず尊敬と反感を買った。相手選手には、握手を求める者も唾を吐き掛ける者もいた。
決勝で戦ったのも、後者寄りの選手だった。
「くっそがぁ!!」
試合に負けた途端、そう言って殴りかかってきたのだ。
その場は周囲に抑えつけられたが、最後まで悪態をついていた。
「事件が起こったのは、その数日後だ」
予選から一週間近く経った日曜日。
突然ベランダの窓が割れて、男が入ってきた。
「本物の魔法ってやつを教えてやる!」
予選決勝で戦った男がそんなことを言って暴れだした。
両親も妹も、当然ながら黒斗も巻き込んで。
両親を殺し、黒斗を動けなくするまで殴り、真奈の足を折ったところで男が見せつけるようにリビングに黒斗と真奈を引きずり出した。
「てめぇに地獄を見せてやるよぉ」
不吉に笑いながら真愛に手をかざす。
(やめろ……やめて、くれぇ!)
「ざまぁみやがれ!!」
言葉は紡げず指は一本すら動かせない中、黒斗は妹に呪いを掛けられる一部始終を見せられた。
「……まっ、こんなとこだ。俺の事情は」
気楽に言って終わった話だが、三人は口を開けなかった。
重かった。
「黒斗くん…あの――」
ガラッ
絢芽が何かを言おうとしたところで扉が開く。
「お?んだよ黒斗かぁ」
「よう、一週間ぶりだな。だり公?」
「おめぇ、休日くらいは家事やってけよ。だりぃ」
「おいこら、まさかもうゴミ屋敷にしてるんじゃねぇだろうな?」
「まさか、んなだりぃことしねぇよぉ」
「それもそうか……」
ため息を吐く黒斗に皆が顔を見合わせる。
それだけでお互いが何を考えているか分かった。
(この人、誰?)
「あ~、皆悪りぃな。この人は樽川翼、書類上は俺の保護者だ」
「いっつも、だりぃだりぃ言ってるから、だり公って呼んでる」
雰囲気で伝わったのだろう。黒斗が紹介する。
「適当に呼んでくれや」
「は、はぁ……」
「でも、樽川さんはなんで黒斗くんの保護者を?」
「そりゃ、だり公が世界警察だからな」
えぇええええええ!!!?
「予想通りだけど、だりぃ反応だな」
「世界警察ってあの!?」
頷く二人に唖然とする三人。
それもそうだろう。こんな疲れきった雰囲気の青年がエリートで成り立つ世界警察に所属しているなんて想像しろと言う方が酷である。
世界警察。連合が立ち上げた世界規模のテロに対する自治組織である。当然ながら求められる能力も一流から超一級のものだ。
それを、もう一度言うがこの疲れきったダメ中年でも通じそうな男が組織の一員だという。信じられなくても仕方がない。
「んで、何の用だ?」
「んぁ?まぁ大したこっちゃぁねぇ」
「嘘吐け、あんたがそう言って動いてないはずがないだろ」
「言っとくけど、真奈のことで勝手しやがったら許さねぇからな」
「はいはい、分かってるよ……だりぃな」
心底面倒臭そうに言う翼。
「まぁいいや。皆、行こうぜ?」
そんな翼に、仕方ないという様子でドアに向かう。
「いいのかい?」
「いいよ、元々話すことはあんまりないしな」
「あっ、待ってよ~」
「では失礼いたす」
「おぉぅ、じゃあなガキども」
手を振る翼を背に部屋を出て行く。
「ふぅ、お疲れさん。悪かったな、辛気臭い話聞かせちまってよ」
ロビーまで戻ってから、黒斗が申し訳なさそうに頭を下げる。
「そ、そんなことないよ」
「うむ、そうだ」
否定する悠司と竜胆だが、実際重かったためか強く否定し切れてない。
「ねぇ、黒斗くん」
「なんだ?絢芽も悪かったな」
また謝ろうとした黒斗を首を振って止める絢芽。
「ううん、いいの。そんなことはどうでもいいの」
「?ならどうした?」
本気で分からない顔をする黒斗に、少しイラッとくる。
さっきの部屋での翼とのやり取り、そして説明の後。
黒斗は何も言わなかった。
「なんで、私たちに話したの?」
「なんでって……」
「お前らになら話してもいいかなって思ったし、竜胆はちゃんと話さねぇと納得しなそうだったしな」
「む!わたしは昨日の試合で充分貴様を認めている」
心外だ、と頬を膨らます竜胆に笑って謝る。
「本当にそれだけなの?」
「むしろ他に何があるんだよ?」
笑ながら軽く言う黒斗。
それだけ聞くと大したことないような、深く関わらなくても何とかなるような感じがする。しかし、そんなわけないのだ。
(私と同じか、それ以上のもの抱えてるのに!)
実際、絢芽の時は周りも対応してくれた。人一人いなくなったのだ。協力がないはずはない。だが、いつまでもは続かなかった。今、絢芽の姉は行方不明として処理されている。本腰を入れられなくなったのだ。
だが、諦めたくない。認めるなんて出来ない。姉を諦めるなんて絶対に嫌だった。
だから絢芽は親の反対を押し切ってこの学校に来た。姉を探すために。
黒斗だってそれは同じだろう。
妹を諦めるくらいなら魔法科のある学校になど来るはずがない。
絢芽は人探しだ。人に聞けば充分助けになるし、最悪一人で全て解決出来る。
だが、黒斗は例え協力しても進展すらしないかもしれないのだ。
なのに、何も言わない。言ってくれない。
しかもそれを当然と、むしろ周囲の干渉の方が邪魔だと拒絶する。
それを何でもないように言って笑う姿に。
プツン
絢芽の何かが、切れた。
パァンッ!!!
ロビーに頬叩く音が響く。
「え……?」
一瞬何が起きたのか分からずポカン、とする。
「いい加減にしなさい、って私言ったよね!?なんでいっつも黒斗くんはそうなの!?」
顔を真っ赤にして烈火のごとく怒る絢芽にただたじろぐ。
「そうやって一人で何でも出来るとでも思ってるの!?周りとのいざこざも、人間関係も、妹さんのことも全部自分で解決出来るって?」
「舐めないでよ!!」
「周りが攻撃するなら先輩に相談しようよ!人間関係で躓いたら私を頼ってよ!」
「妹さんのことで進展出来ないなら、樽川さんでも先生でも力を借りなよ!!」
「じゃないといつか……ううん、すぐにでも黒斗くん、潰れちゃうよ?」
「そうなったら、妹さんはどうなるの?」
「そんな状態で目が覚めた時、笑っていられると思ってるの?」
「分かってるんだよね?黒斗くん一人じゃ何にも進まないって」
「だったらもっと周りの人を、友達を、私を受け入れて、もっと頼ってよ!!」
言い切った絢芽は肩で息をしながら涙目で睨む。
「…………あり、がとう」
少々呆然としながらもそれだけ伝える。
「俺……」
何かを言おうとして、言葉にならない呟きが漏れる。
それに、今度は優しい笑みを浮かべて首を振る。
「諦めたく、なかったんだよね?だから必死だったんだよね?黒斗くんはただ、それだけ」
自分と一緒で、ただ現実に抗おうとしただけなのだ。
「だから悪くないの。悪くなんてない」
たとえ何でも背負い込むことを指摘しても、妹のことを諦めないことを非難なんて誰にもできはしない。ボロボロになろうとも大切な家族を想うことを、咎められなど絶対しない。だから一人で頑張ることも仕方ないと言えば仕方ないのだ。
だが、黒斗のように認められない現実を抱えた者がここにもいる。
「でも、もう少しこっちに寄り掛かって休もう?」
黒斗は決して一人ではない。
「ね?」
「………っ!」
優しく言われた瞬間、黒斗は脱兎のごとく病院の外へ走り去ってしまった。
「く、黒斗くん!?」
「黒斗!」
追いかけようとする悠司と竜胆に、
「待って!」
絢芽がストップをかける。
「大丈夫、ちゃんと伝わったから」
病院の外を見つめ、どこかすっきりした、ホッとした表情で笑った。
逃げ出した黒斗は、病院の裏手で涙を流していた。
緊張の糸が切れたように、涙が止まらない。
悲しくて情けなくて、でもそれ以上に嬉しかった。
(俺……俺………)
思考がぐちゃぐちゃでまとまらない。
あんなことを言われるなんて、いや考えてくれるだなんて思ってもみなかった。
他人を拒絶するつもりなんてなかった。
だって嫌いなのは魔法という力なのだから。
だが、いつの間にか人と距離を取るようになっていた。深く関わらないように。これ以上傷付けられないように。
気付かないうちに、他者という存在を嫌っていたのだ。
その上で付き合う人間関係はとても楽で。だからこのままでも何も問題ないと思っていた。
けど、そんなことはなく、そして、またそんなことはなかった。
竜胆とは喧嘩した。
真奈のことは何も進展していない。
しかし、仲間が出来た。
上辺だけのものではない、友達が出来た。
(世界ってのは……ままならねぇな)
涙を流しながら小さく笑う。
世界を拒絶していた白門黒斗が、少しだけ変わった瞬間だった。