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03 断罪




 ―――なんだかとても後味の悪い夢を見た、とアンはベッドから起き上がった。とてもふかふかのベッドだ。宿屋でもそれなりの対応を受けたが、このベッドはその質を遙か凌駕する。


 なにこのふっかふか。


 アンは突然自分が王侯貴族にでも転職してしまったのかと驚いて―――昨日の出来事を思い出した。


 そうだ、ここは〈Betrayal〉のギルドハウスだ。昨夜から部屋の一室を貸してもらい、ありがたくその部屋で寝たのだった。


 現実世界でもこんないいお布団に寝たことないです。


 なにせ昨夜は大変だった―――〈Betrayal〉のギルドハウスに集まったメンバー総出で騒ぎまくったのだ。ギルドマスターの行方を探るなんていうことはせず。彼らもこの状況に飽き飽きしていたらしい。アンが見つかったことで、きっと彼も見つかると希望が持てたのだろう。自分の存在一つでそれが購えるのなら安いものだ。


 夜更かししてしまったので、寝過してしまっただろうかと不安になる。もう、大神殿で目覚めては突撃を繰り返す必要はない―――むしろやったら怒られることに気づいて、なんだか泣きそうになった。


 〈Betrayal〉のギルドハウス。百人近くを抱える大所帯だからこそ為し得たことなのだろうが、アンたちシブヤに逗留している九人は、それぞれ部屋を貸し与えられ、設置されている家具などを有難く利用させてもらっていた。ギルドハウスはなかなかに大きく、部屋数も3LDK31部屋と普通にプレイする上では問題ない。今となっては若干手広いと感じるが、シブヤにギルメンが戻ってこればそれこそちょうどよく感じるだろう。


 大勢で生活することは問題ない。アンはもともと孤児院で暮らしていたし、そこにいるだけなら邪魔にはならないよう振る舞うことだってできる。

 ―――しかし、気配を消す、なんていう芸当は個性的すぎるメンバーの前に跳ね返されてしまうだけなのだが。


「おはよう、アンちゃん~~~❤」


 突然部屋に入ってきて、ぎゅむぅ、と抱きつく少女はあゆめだった。昨日からゲームの時より絡み方がねちっこい。嵐のようだが、その身のこなしはとても優雅でそよ風のようだ。


「……おはようございます、あゆめちゃん……」


 ふふっ、とこちらに笑いかけたお嬢様のような美少女。アンとは違いさらさらとした、つややかな紫がかった黒髪が肩から滑り落ちた。文句なく花のいいにおいがする。制服じみた洋服は彼女の可憐さを際立たせている。

 ―――くそぅ、〈娼姫〉のサブ職業は、同性まで効果があるのか。

 〈娼姫〉のサブ職業は、いわば恋愛ゲームと似たところがある。ただし、贈り物で親密度を上げ、それによって何らかの恩恵を受けたり―――させる、という側である。たしか、〈娼姫〉のメイン職業のレベルでは手に入りにくかったり、持っていない装備を贈ることによって〈娼姫〉の親密度を上げ、(ゲーム内のキャラがする)行為と好意を受けて一日ステータス上昇の恩寵を受けるというものだ。はっきり言って、あこぎな職業である。しかし、それゆえにステータス上昇の効果は絶大だし、一種装備の流通を担っている。そのために、〈娼姫〉の身分を受けた彼女の魅力は半端ないのだろう。

 アンは朝から与えられた熱烈な歓迎に役得だ、と受け取ってしまう。女子校ならではの感覚なのかもしれない。ほっそりとした体はしなやかで、抱きしめ返すと温かかった。


 それに気を良くしたのか、もにゅりと胸を揉まれた。


 いや、揉まれたのではない、掴まれた。


「ひゃあぁっ!?」


 乙女チックではないが、昨日のよりかは女子らしい悲鳴を上げられた。そのまま手のひらでもにもにと揉みしだかれた。

「う~ん、すごい、手に余るわ、肉まんより大きい……! E? F?」

「うぅ、Eで……って、何を言わせるでありますすか!」

 ここらへんもやはり女子校仕様だろうか。ちなみに、この世界にブラジャーなんてものはないので寝間着の下は素肌だ。ブラジャーはかなり最近に開発されたもののようで、アンはハンカチを繋ぎ合わせて作られたことを知ってはいたが、縫製方法など分からなかった。抵抗する間もなくしばらく揉まれ続けた。

「ひゃー、やわこーい」

「ううう、それよりあゆめちゃん、朝から起こしに来てくれたのはなぜでありますか……」

 そろそろ本題に入ってもらわないと胸が融けてしまう、と危機感があったので、あゆめの白い頬を突いて急かした。白く肉づきが薄いが、とても柔らかい赤ん坊のような手触りだ。


「アンちゃん、昨日装備のまま寝ちゃったでしょ? 皺になってるんじゃないかと思って」


 そういえば、まだスーツのような装備―――〈闇守りの黒服(ダークスーツ)〉を着たままだ。しかし、実のところ一週間ほどこの服だ。今さら皺になってようが気にしないのだが、やはりきれいな女の子にはにおうだろうか。もはやアンには感じ取れないほどなのかもしれないが。


「ええ―――まあ」

「だからね、」


 思わず視線をそらしたまま、返事の曖昧なアンをよそにあゆめは自分の鞄から一着の洋服を取りだした。


「これ、どうかなって!」


 彼女の手にあったのは、黒い布地のドレスだった。それも、肩が膨らみ、スカートもくるぶしまで長さのある、ひだがたっぷりとした作りだ。アクセントとばかりにフリルの付いたエプロンがついている。


 つまり、エプロンドレスだ。それもクラシックメイド服。


「……わたしが着てもそんなお得感はないと思うであります……」

「だいじょうぶ! 私が楽しいから」


 美人は笑顔になるととてつもない威力を発揮する。切れ長の大きな瞳はきらめきを増して、魔力を宿したように思えた。


 有無を言わせない顔だった。






「遅いよ?」

「ごめんなさい、着せるのにちょっと手間取っちゃって」


 アンが泊まった部屋のすぐ外で、詰め襟風の装備を身につけた少年が待っていた。アンはその少年があゆめと同じ紫がかった黒髪を頭の高い位置でポニーテイルに括っていることを知っていた。


 ケーマのサブ職業は〈騎士〉だ。職業通り「姫」を冠する姉についてまわっていたのだろう。学帽を浅く被った彼は、腰に細剣をつければ明治時代を彷彿とさせるきらびやかな魅力があった。貴族の子弟、といったところだろうか。麗人にさえ見えるのは、未発達な体とあゆめとそっくりな顔立ちのせいだろう。二人とも日本人のはずなのにとても豪華な美貌なので二人並ぶと壮観だ。妖しい雰囲気さえ漂ってくる。


 アンは開きかけた扉から顔だけを出してそんな二人の様子をうかがっていた。家政婦は見た、なんちゃって。眼福というものだが、さすがに今の格好で話に加わることは恥ずかしい。


 ケーマがポニーテイルを揺らしてアンの方に視線を遣った。反射的に扉を閉めて隠れようとするが、ケーマの素早い動きによって阻止された。さすがフットワーク重視の〈武闘家〉である。


「あーんーこーちゃーん?」


 にこぉ。


 そんな擬音が相応しい、ねっとりとした笑みだ。だからアンはケーマのことが少し苦手だ。ギギギ、と扉の蝶番が軋んで徐々に開く。レベル的にアンの方が筋力が弱いのだろうか。力一杯締めようとしているのにこじ開けられた。アンの姿はケーマの眼前に晒されてしまう。まるでコスプレのようなメイド姿だ。頭にはカチューシャまで装着済みだ。


「おやぁ、かンわいい」

「ヒッ」


 アンの喉が鳴ってしまう。至近距離で見つめられてしまった。不可抗力でアンもケーマのふし目がちな表情を見てしまう。それも、獲物を見る蛇の目だ。怖すぎてなにこれ、まつ毛バッサバサじゃないですかー、やだー、というように現実逃避した。宝塚のように化粧をしているわけではないのに美麗としかいうことができない。


(なんですかねー、人間離れとかしてないのになー、どっちかというと魔力で増幅した妖しい魅力みたいな気がしますねー……)


 現実逃避もここに極まれり、だ。アンに追い打ちを掛けようとするケーマの頭を、あゆめのほっそりとした手が窘めるように小突く。


「こら、女の子いじめないの。好きな子いじめる癖直さないと嫌われちゃうわよ?」

「んー、もうちょっとあんこちゃんのかわいい反応見てたかったんだけどなァ」


 二人の背はほぼ同じだ。あゆめの方が少しだけ高く見えるのは靴のかかとの高さが違うからだろう。


 あゆめとケーマは双子だ。アンたちと同じように姉弟だそうだ。


「アンちゃん? アンちゃーん?」


 目の前で白い手のひらがひらひらと振られ、アンはハッと意識を取り戻した。魂を異次元に飛ばしてしまっていたような気がする。


「ああ、はい、えーと、」

「だいじょうぶ、すごくかわいいわよ、そこらへんでくさくさしてる男なんてみぃんな惚れちゃうわ」


 あゆめによく分からないフォロー(?)をされ、アンは顔を歪ませた。愛想笑いをしようと思ったのか、苦々しい顔をしようと思ったのか自分でもよく分からない。もともと感情表現は苦手だ。自分がどんな心持ちでいるかさえ、はっきりとしない。


「いこ、朝ご飯だよ」

 メイド姿だけに給仕などをしなければいけないのかもしれないのだが、どうやら出遅れてしまっているらしい―――ケーマの白手袋をした手がアンの力ない手を握って導いた。


 三人連れだってダイニングまで出てくると、アンたち以外にはもうギルドハウスにいる、伊のチ以外の全員が揃っていた。総勢八人だ。五対の瞳が三人に向けられ、またすぐにいくつかの視線が外された。


 なんだろう、と思えば、アンはそういえば自分の姿がいつものものではなく、あゆめによって飾り立てられたものだということに気がつく。背が低く容姿に自信がないアンでもゲーム補正で少しはましになっていると思うのだが、反応から察するに見るに耐えないものなのだろう。横を素早く見れば、あゆめはうふふ、と口の端を歪めて妖艶な笑みを浮かべていた。真っ赤な唇はルージュを塗ったのかと思うほどあでやかだ。


 中学生がする顔じゃない。


 アンは朝からいろいろ容量オーバーな事態に気の遠くなるような感覚にくらりとする。


「あらぁ? 随分とお待たせしたはずなのだけれど、何か言うことはないのかしら? そうよね、アンちゃん可愛いものね? 見蕩れちゃって声も出ないでしょう?」


 疑問形でも否と言わせない脅しの口調。この場を支配するのはまさしく彼女で、逆らえない女帝のような振る舞いだった。問いかけられた朝食の席の面々は口々にはっきりしない答えを漏らした。微妙なのは当のアンがよく分かっているので、はっきり言ってほしい。


「あ、あのー、みなさん待ってることですしごはん、朝ごはん食べましょう……!」

「……そうやな、はよ座りぃ。朝飯冷めるで」

 金縛りからやっと解かれたかのように、金髪のエルフがため息をつきながら促す。この二十代半ばに見える青年は〈施療神官〉のA‐1だ。ギルメンからはエーチ、と呼ばれている。眼鏡越しの瞳まで金色で目に優しくないことこの上ない美形だ。本来の顔が反映されるはずなのだが、その顔も全くの外人顔だ。しかし喋っているのは関西弁というなんともミスマッチ。お茶をすする彼の首に、するりと白い腕が回された。

 あゆめが音も無くするりと近寄り、エーチの金髪をさらりと撫でた。A‐1は体をこわばらせ、悪寒に震えている。


「エーチぃ? 女の子に助けられて恥ずかしくないの? さすがヘタレ王子ね」


 ヘタレちゃうわ、となんとか口答えするものの、あら王子ってことは否定しないの? 自意識過剰なヘタレね、とあゆめの毒舌に黙らされてしまう。戦闘すらしていないのに全ての気力を奪われたようで、A‐1は首を抱かれたままがっくりとうなだれた。


 恐怖政治か。


 朝食の席の体感温度が下がったような気がする。


「姉さん、テンション上がり過ぎだよー、ホラ下げて下げて」

「うふふ、私ったら、つい」


 つい、で済まされることなのか……と虚ろな目で反論できない一同は手元を見た。人はなぜ困ると手元を見てしまうのだろうか。ケーマの姉に対する理解力は舌を巻くが、テンションが上がったくらいで空気を絶対零度にまで落とさないでほしかった。


 そこに、一杯のお茶の温かさのような、人をほっとさせる空気を持つ者が、バスケットにパンを山盛りにして現れた。


「みんな、どないしはったんどす? ほらほら、若いお人たちも座らはって」


 その声は低いのだが、人を威圧する要素を全く持たない、中年男性の朗らかな京都弁だ。おっとりとしていて、背の高いお坊さんを思い起こさせたが―――歩くたびにゆらゆらと金の尻尾が揺れる少年が、そこにいた。キッチンで調理をしていたのだろう、伊のチだ。


「イノチ老、もう少し早く出てきてくんねぇかな……」

「すまへんどすなぁ、あっためるのに時間がかかってしもうて、かんにんなぁ」


 そういうことじゃない、と笹紅はぐったりしている。その様子にまだ眠いん? と微笑む彼の方が微笑ましかった。


 伊のチは声とは真逆に背の小さな〈狐尾族〉の少女じみたキャラクターを使うおじさんである。声こそダンディーだが、性格は天然、見た目は金髪狐耳付き美少女。エーチ以上のギャップを叩きだす彼は、A‐1のリアル父親だ。やはり、血は争えないのだろうか。

 たぶん、この場にいるみんなが伊のチのことを好ましく思っているとアンは感じている。キャラクターと声のギャップが酷いのはゲーム時代のころからなので、今ではもう不意をつかれない限りびくりとするだけだ。


 アンは席につき、ポットから湯気の立つお茶を注いだ。香りを嗅ぐと紅茶だった。独特の味わいを楽しんでほっと一息つき、にわかに騒がしくなったテーブルをぼんやり見た。


 伊のチがキッチンから出てきた気配を察知し、あゆめは彼が自分の息子が少女に抱きつかれているという一種誤解しかねない光景を見る前に離れ、伊のチの抱えていたバスケットを受け取った。

「あゆめはん、おーきになぁ」

「イノチさん、朝食にしましょう」

 にこ、とあゆめは邪なところがない完璧な笑顔を向け伊のチを促す。すごい猫かぶりである。花が飛びそうな笑顔で伊のチが同意し、やっと場の空気が緩んだところでようやく朝食とあいなったのだった。








「では、〈Betrayal〉恒例会議を開始する。議長は俺、笹紅。参加者九名。今回の議題は現状確認、その対応と、絶賛行方不明、指名手配中のギルドマスター、リョシュ捜索についてだ。意見のある者は挙手ののち発言してくれ」


 ああー、やっぱりそう来るよね、とテーブルを囲んだ面々はこの会議が長くなるだろうということを予測した。先ほどから会議室に集まり、今後どうするかを話し合うことになったのだ。テーブルを囲んだ面々の前に伊のチがお茶を運んで回っている。


「まずは今のギルメンの所在地報告な。〈Betrayal〉メンバーのログイン状況は六割の六十二人。その半分がアキバにいることが判明。六人がススキノ、一四人がミナミ、三人がナカス、そんで俺ら九人がここ、シブヤだ。連絡がとれてないのが残り一―――リーダーのリョシュ」


「あんのアホゥが……」


 会議室に集まったギルドメンバーは頭を抱えた。唸ったのはA‐1だ。金髪碧眼のエルフで、怒りに釣り上げた鋭すぎる眼光がなければ王子様のようなのだが―――いかんせん癖の強い関西弁で少し笑いを誘う。向かいに座っていた双子がくすくすと笑った。

「じぶんら気楽でええな……」

「だってー」

「エーチ、面白いんだもの」

 ねーっ、と指を合わせる男女の双子は楽しそうだ。この二人は何が何でも楽しんでしまう性質(たち)のようで、真面目なA‐1をからかっては遊んでいる。


「まあ、とにかくこうして一応安否も確認できたところですし―――」

「リーダー以外はな」

「……生活基盤を整えるのがいいと思いますよ」

 苦々しく注釈を入れたのは笹紅に苦笑気味の籠目の意見はごもっともだ。―――リーダー不在の今、この二人がギルドの中心人物になることは見て取れた。


「まーまー、そないに難しう顔しはって考えへんの。眉毛の間のここんとこにしわが寄ってとれへんようになりますえ」

 とんとん、と眉間を指で差し示す伊のチはまだまだ笑顔だ。これが大人の余裕なのだろうか。そう思っていたら、頭上の狐耳は元気なく落ち込んでいた。耳としっぽは嘘がつけないらしい。


 アンも軽くため息をついた。はっきり言って〈Betrayal〉はギルドマスターを欠いた現状、散り散りばらばらで誰かがまとめようとしない限り各地で協力することは難しい。ごたごたは仕方ないということだろう。


「そんなわけで、事前に相談して各都市で代表者を出してもらった。いずれはどっかに集まると思うが、ここの指揮は俺が取ろうと思う。異論はないか」


 笹紅が異論があるならお前がやれ、という目で確認してくる。異議がある者はなく、ある意味穏やかに決まった。


「んでもって、シブヤはギルドハウスがあるからいいものの、他の都市に潜伏場所は作ってなかったからな……。とくにアキバが深刻で、三十一人なんて宿屋で集まるのも無理だからギルドホールを借りたそうだ」

 ちなみに出資はギルドの金庫からだ、と付け加える。そのくらいの出資はこの非常時に文句の言えるものでもないので、特段反応することはない。


「あとはとりあえず宿屋とかでなんとかなってるらしい。確認したんだが、食料アイテムには味がないらしいな。こっちにきたらちゃんとした料理が食べれるってネタで引っ張ってこようと思う。イノチ老」


「はいな?」


 報告を聞きながら喉をうるおしていた伊のチが反応する。ぴくぴくと狐耳が動き、笹紅の声を拾った。


「味のある料理については他言無用だ。他の連中にもだ、いいな」


 その言葉に周囲は当然だ、という反応を示したが、伊のチだけは狐耳をペタンと倒し、戸惑った声を上げた。


「えぇ、そない、ご無体なぁ……」

「……や、奥さんの井戸端会議みてぇなレベルの話じゃねぇから、これ」

「うち、一回屋台とか開いてみたかったんに……大学祭のとかで見て憧れて……「へいらっしゃい!」とかゆーてみたかったんどすけど」


 伊のチさん、それだと江戸前寿司です。


 アンは突っ込みを心の中にとどめた。


「この状況でよくそんな発想が浮かぶな。そういうのはふっつーに混乱になるからやめてくれ、頼む」


 結局笹紅に拝み倒され、息子に呆れられ、しょんもり耳が垂れた伊のチは不謹慎だがかわいらしかった。具体的にはなでなでして慰めたい衝動に駆られる。ジュウイチや籠目がうずうずしているのを見ると、どうやらそう思うのはアンだけではなさそうだ。


「―――とにかく、みんなが気付いていない以上、〈Betrayal〉から情報開示することは避けるぞ。余計な面倒はないほうがいい。

 ……それと、シブヤからアキバに抜けた奴が出たと情報を得た」


「!」


 席に座った面々がざわつく。やはり、この世界でもアキバ・シブヤ間くらいならトランスポート・ゲートなしでも移動可能ということが証明された。アンが臨時で組んだパーティは全滅したが、よほどうまくやったのだろう。慣れれば時間の問題であった。


「―――これで移動が可能ということが証明されましたし、残る問題は、リーダー捜索だけですね」


 籠目が持ちだしたその議題に、びしりと空気が凍る。一週間以上探しても連絡を取ろうとしても一向に行方が分からないリーダー。どこへ行ってしまったのか、今何をしているのか全くわからない状態だが、これは早めに手をつけた方がいい問題だ。


「この世界に飛ばされる直前まで、私、笹紅さん、ケーマくん、あゆめさん、エーチさん、そしてリーダーでダンジョンに行っていました。おそらく最初に飛ばされた都市はここ、シブヤでしょう」


 籠目が冷静に分析するが、それは一週間経った今では有効な手掛かりになるとはどうしても思えなかった。


「念話がとれない状況ってのが怪しすぎるな。整理してみようぜ。①、戦闘中。②が死んで復活中……とかか?」


 笹紅が出した場合はどちらもシブヤやその他の都市にはいないか、立ち寄ったとしてもすぐにどこかに行ってしまうだろうということが考えられた。


「③として、他の念話とれへん状況……んーと、寝とるとか切羽詰まった状況……監禁されとるとか」

「監禁!?」

「なんか近衛兵に捕まったとか……?」


 ざわざわと険呑な妄想が繰り広げられるが、アンだけが四つ目の可能性を思いついたようだった。言うべきか、言わないべきか、正直迷った。たぶん、ケーマの一言がなければ言えなかっただろう。


「アンちゃん、言っちゃえばぁ?」

「ケー……マ、くん?」


「可能性は思いつく限り言ったほうがいいよぉ? だって何してるかわっかんないリーダー追いかけんの、そんくらいしないとできないもん」


 アンの方を見ないケーマは軽く言う。しかし、その瞳は冷え切っていた。ただの中学生ができるような目ではない。その表情に寒いものを感じながら、アンは悪魔にそそのかされるように言葉を紡ぐ。


「四つ目の可能性……、それは」


 口にした途端、凍りついた空気はさらに温度を下げ、アンの言葉を瞬間冷凍してそのまま残したかのように思われた。



「リーダー……リョシュが、わざと念話をとっていない場合……です」



 一瞬の沈黙の後、冗談だろ、という空気が流れる。リョシュは人情に篤く、ギルドの面倒をよく見ていたように思う。ゲームの話題でなくても興味深そうに乗り、面倒事も相談事も朗らかに励ましながら請け負っていた印象が強く残っている。―――わざと連絡をとらない、というのはつまり、リョシュがギルドを見捨てたか、あるいは連絡を取るとギルドに迷惑がかかる状況―――ということである。


「う―――うそでしょ? あのリーダーだよ? あたしたちを避けるはずが―――」


 アナスタシアが困ったように笑いながら明るい声で言うが、それを否定したのはA‐1だ。眼鏡の奥に光る鋭い目が、エルフというよりはネコ科の狩人だ。


「考えたぁないんは分かるけど、そういうこともありうる、ってことや。割り切って考え?」

「でもっ」


 食い下がるアナスタシアは泣きそうだ。それでも、可能性は変わらない。むしろ―――その可能性は強まっていく一方だ。


「リョシュは〈付与術師〉やから、単独でダンジョンに行くんは難しい。自分らもそうやけど、一人で行く勇気あるか? しかも実際にモンスターわいとるんやで? 怖くて無理や思わへん?」


 リョシュの〈付与術師〉は魔法を使うクラスだが、その攻撃力は著しく低く、仲間の能力を底上げするのが主な仕事だ。ダメージディーラーになれない実情から言うと、アンの提示した可能性に現実味が出てきてしまう。


 理性的な反論を最初にあげたのは笹紅だった。しかし彼もまた、情に駆られているようだった。


「まてよ―――リョシュのやつ、ビルドでもスプリンクラーかじってたろ? 疲れるけどできないことはないっつってたぞ」


 スプリンクラー、とは〈付与術師〉が攻撃に転じるスタイルで、連続攻撃が可能な魔法を連射する、というビルドだ。開発グループのブログに動画のリンクが張られて一躍話題になった新進気鋭のビルドである。ねだられてリョシュも真似事をしてみたことがあるらしい。「いるだけ職」と軽視風潮の強い〈付与術師〉が唯一敵を倒すことを重視したビルドだと言っていい。それは〈付与術師〉が一人身で戦闘を行うたったひとつの可能性だ。


「けどな? それはゲームやったころの話や。今こんな状況でリョシュがそんな真似できると思うか? うちらまともに戦えへんのやぞ」


 モンスターに追っかけまわされて大神殿行きがオチや、とA‐1の冷たい声が響いた。彼は現実でも医者らしい理論派で、リョシュがいないときには参謀を務めるキレ者だ。まともに反論できる理屈を持つものはいなかった。


 黙ってしまった一同に、一石を投じたのは意外にも、先ほどから固まってしまていたジュウイチだった。


「リョシュだったら……ないこともない、かも、しれない……」


 アンは彼の異様な行動に目を見張った。こんな場で発言するのはコミュ障と言える彼にとって相当な重責だったのだろう。端整な顔立ちの額に汗を浮かべて、反論というよりは願いのような言葉を口にしていた。


「リョシュは……僕に言ったことがある……。〈エルダー・テイル〉で遊んでると、まるで実際に旅してるみたい、って……それだけ、なんだけど」


 その言葉はまるで子供のようであったけれど、それだけに説得力があった。〈守護戦士〉で体も大きな彼が、身をちぢこめて語る。精悍そうに見えて対人関係に恐怖を抱く彼は、リョシュに友達になってもらったのだという。だからこそ、信じたかったのだろう。


「だから……〈エルダー・テイル〉の世界に来ても、すぐに、対応しちゃう……かも。特技出すとき、意識してないって言ってた、し」


 つまり、リョシュはアナスタシアと同じように特技を意識しただけで使えた可能性がある、ということが言いたいのだろう。それだけを言うために、口をもごもごさせながら苦手な大勢の前でありったけの言葉を出す彼は、どうしようもなく大事なものを守ろうとしていた。


「私も……あり得ると思います」


 ジュウイチの意見に同意したのは籠目だ。彼もまた何事かを考えていたらしい。その声は戸惑いを禁じえないようだったが、芯を持ってきちんと届いた。


「彼、熱中しすぎると周りが見えなくなるって言ってくれたことがあります。彼はこの世界に飛ばされたのを自分が熱中し過ぎていると勘違いして、私たちが行っていたダンジョンにあわてて戻った……なんて、とってもリョシュらしくないですか?」


 お人よしな彼は、なにかの問題で自分が街に戻ってしまったと勘違いして、まだ戦っているだろう仲間のもとへと駆け出す。それは一緒にプレイをしたことのあるメンバーには容易すぎる想像で、それが一番彼に合っていると思えた。先ほどまでわざと酷い場合を想定して論を進めていたA‐1でさえ、「せやな」と気を抜くものだった。


 よし、と笹紅が太ももを叩いて立ち上がる。


「念話を入れつつ、捜索班を編成して探すぞ! それなりの用意とギルドで留守を守る体制も整える。まず捜索班と情報収集・生活基盤の獲得だ。戦闘訓練もするからな、ハードなのは覚悟しとけよ」


 笹紅の指示に自分の持ち場を決めつつあるギルドメンバーの結託力に、アンは唇をぎゅうと結ぶ。それは、弟に関して疚しい思いがあったからだが、いまいち必死になれない自分への情けないという落胆の思いでもいっぱいだった。実の弟が行方不明だというのに、自分は何を思っていたのだろうか。ただやみくもに突進しただけで、何も成してはいない。現実でも、ここでも。


「ねえ笹紅、あたしたちロール系ギルドだよね? ロールしなくていいのかな……っていうか、これって何ロールになるのかな?」


 ロール、とはRoleplay、つまり役になりきって遊ぶ、ということだ。アナスタシアの疑問はこんな時に何を言っているのか、と反感を買うものだったが、ここにはそれで集まった人間しかいないのだ。


 このギルド、〈Betrayal〉の意味は「裏切り」という意味だ。何かを裏切って逃亡、追放された人間としてキャラを設定し、なりきって遊んでいる。主人を裏切った騎士だったり、追放された姫君とその護衛だったり、はたまた安田講堂の乱で焼け出されたなんていう適当な設定もあったり……、それぞれだったが、それぞれに真剣だった。


「ま、いんじゃね? 俺ら逃亡中って設定だけど、行方不明のリーダー探すロールってことで」


 適当に返すのは適当に設定を作った笹紅だ。それに、と続ける。


「それにリョシュも言ってたぜ。『なにを裏切っても、自分の想いだけは裏切らないように』ってな」


 そうだよね! 助けていいんだよね! とアナスタシアは笑顔になる。


 ――――その範疇で言うのなら、アンが一番裏切り者だった。あまり乗り気でない弟の捜索に参加しようとしている。実動隊にいなくても、それに関わろうとしていた。腹に重い鉛が落とされたようだった。


 それを見たのか見てないのか、笹紅が付け加える。


「なお、探索部隊の指示、戦闘の全体指揮はアンが行うものとする! 自分の持ち場を決めたあと、リーダー代行のアンに従うこと!」


 ―――なんの嫌味ですか、それ。


 アンは頭の血がさあっと下がる音を聞いたような気がした。

 これでギルド名よろしく、〈裏切り者〉の立場が確定してしまった。


連日投稿はここまでとなります。

キャラが多くて混乱していないでしょうか? そこだけが心配です←

一話一話が長いのは……もう、諦めてます(あきらめんな)

分けたほうがいいですかね?

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