01 ANN
どうしてこんなことになってしまったんだろうと思う。
アンは硬い大理石の寝台の上で膝を抱えた。ぎゅっと身をちぢこめると、本当に自分が小さい無力な塊になってしまったのだと感じる。事実、それは肯定するしかないものだった。
シブヤの大神殿に並ぶ寝台や床には力なくうなだれる〈冒険者〉の姿が見えた。おおよそ3桁に近い数いるだろう―――そこからわずかにも動かない者がほとんどだ。
アンの耳に聞こえてくるのはすすり泣きだ。顔を伏せ視界を遮った聴覚は死んだように静まっている大神殿の音をよく拾った。
「なんで……っ、なんでログアウトできないの……なんで……」
きっとメニュー画面のボタンを押し続けているのだろう、女性の声がただただ静寂に飲まれていく。アンだって何度も試した。しかしその操作は拒絶されて、〈エルダー・テイル〉の世界は完全にアンたち〈冒険者〉を放置した。
MMORPG、〈エルダー・テイル〉―――20年の歴史を誇る、世界中に2000万を超える熱烈なファンを持つ老舗ゲーム。ハーフガイア・プロジェクトという、1/2スケールで地球を再現するという計画があり、家にいながらにして世界中を回ることも可能という仕組みだ。ともすれば世界中の人間と遊ぶことができるというオンラインゲームの特色を最大限に生かしたとても出来のいいゲームだ。ゲーム、だった。
―――しかし今、アンたちがいるのは現実となった〈エルダー・テイル〉の世界だった。ゲームの画面そのままのメニューから、『特技』を選べば剣技や魔法を、サブ職業が生産職であれば10秒足らずでアイテムを作りだすことさえできる。そして、この都市―――ゲームのままのシブヤの街から一歩でも外へ踏み出せば、見慣れたフィールドでモンスターに襲われることとなった。それが、たった一週間前のことだ。
ここ、〈シブヤの街〉に送られたプレイヤー―――〈冒険者〉は、たぶんヤマトの五大都市の中で、死亡にともなう復活と絶望を最速で思い知らされていた。
〈シブヤの街〉という場所は、ヤマトの中でも新しい街だ。〈アキバの街〉の人口飽和状態を緩和させるために設置された。結局ベッドタウン化しているものの、アキバよりは賃料や物価が安いなどという利点もあり、この街に拠点を置く者も少なくはない。今現在も、シブヤの街には千人弱のプレイヤーたちが居た。しかしこの中で、シブヤの街に安心して腰を落ち着かせることのできる人間はいったい何割いるのだろうか。アンはとっくにその割合がとても低いことに気がついていた。
そして、アンも安心できない(高い割合の)一人だ。
できることなら、一刻も早くアキバへと渡りたい。
―――それほどまでに、シブヤの街の空気はよどんでいた。黄砂よりも目に見えて、大気汚染よりも息苦しい。街を歩けば力なくうなだれたり自棄になったりしている〈冒険者〉が望んでもいないのに視界に入ってくる。〈大地人〉も商売がやりにくいのか、アンたちが来た当初よりも数が減ってしまっている。
帰りたい。
じゃなきゃ、シブヤなんかではなくて、話が通じる人間が多く、数の庇護を受けやすいアキバに行きたい。
そう考えるのは自然で、知り合いの半分ほどはアキバにいるという始末だ。関心はアキバに向き、日々この薄暗い空気の中から脱出しようと試みる者がほとんどだった。しかし、都市間を繋ぐ転移装置―――トランスポート・ゲートは機能を停止し、実際にその間の距離を移動せねばならなかった。だが、それでも心の安寧を求めて皆、アキバの街を目指した。その動きは誰も悪くないとアンは思う。しかし、より楽な方へ、安心できる所へ行きたいという思いは虚しく、アンたちの考えを打ち砕いた。
考えが甘かった。
直視しないようにしていた現実を、ことさら強く突きつけられた。
誰かがきっとなんとかしてくれる。だから人の多いアキバの街へ行こう。そう考えたプレイヤーは、ゲームのメニュー画面が開けたことにやや希望を見出した。〈エルダー・テイル〉のゲームでプレイしていたキャラクターそのままのステータスが確認できたのだ。それはまるで悪い冗談のようであったけれど、それを信じて縋りつくしかなかった。
―――やったぁ。ゲームの通りなら、アキバへなら二十分もかからず行けるぞ。
そう思ったのは何もアンだけのことではない。低レベルゾーンを選べば徒歩で移動することもできる。少なくともゲームの中では、だが。あまりにもゲームの画面そのままで、そしてスキルも問題なく使え、体が半ば自動的に戦闘を行ってくれるような感覚にうぬぼれてしまったのだ。
そんな楽観的な状況把握では、アンたちはこの世界に対応することさえできなかった。
たしかに、ゲームのキャラクターはアンたち現実世界の生身の人間よりも高い能力や体力を保有していたが、中の人は危険にさらされる機会などほとんどない、現代日本の住人だった。たとえ画面の前で見慣れたモンスターであったとしても、眼前に殺意を携えた獣がいれば身はすくんでしまう。
―――捕食されるという、恐怖。
アンを含め、アキバの街へ向かおうと出かけて行った〈冒険者〉たちは、何もすることができずに無駄に命を散らしていった。そして遅すぎる認識がいやおうなく追いついてくる。ここはゲームの世界なんかではないと、実感に遅れて脳味噌が電気信号を発した。
与えられた痛みはかつてのものよりもいくらか軽減されてはいたけれど、紛れようもない「死」という現実。それは絶望の淵に立った〈冒険者〉の背中をぽん、と軽く押した。
(ほんと、災難な人たちですよねぇ)
その「災難な人たち」には、アン自身も入っているのだが―――即席で組んだ前衛が攻撃に耐えきれず引き裂かれるのをコマ送りの映画のように見て、なんとなくのんびりと思ったものだった。
アンは高い所から落ちているような気がした。たぶん、林のように群生してそびえたつ高層ビルのその一棟からだ。仰いだ視界には真っ白な空に線を引くみたいに、光を反射する無表情な垂水が数えきれないほど滴っている。摩天楼のその遙か高くからきりきり舞いで落ちていく。手を伸ばしても掴むものはない。視界の端には自分の髪がはためいている。
―――落ち切ったらどこに行くのだろう。
姿勢を返して背後を見ることは叶わなかった。アンの後ろには常に、背中合わせの誰かがいるのだ。それは誰か知っている人だと思ったし、同時に何も知らない赤の他人だった気がする。
『―――アンはどこに行きたいの?』
どこにだったのか、忘れてしまった気がする。切望した場所は手を伸ばした先にはなくて―――どこにも無いような気もした。
アンはそのゲームの中で何をしていたのかといえば、目的もなくただ流されるように遊んでいただけなので、あまり思い入れはない。
アンはゲームというものが苦手だ。
(こんなサバイバルゲームじゃなかったんですけどねえ)
アンは一人ごちた。そんなふうに人事のような感想を持てるのは、アンがそれほどこのサバイバルゲームに嫌悪感を抱いていなかったからだ。―――だが、絶望感は感じている。
スポーツならまだいい。気合を入れて体を動かしていればそれなりに頑張っているように見える。体育の成績は運動神経がいいおかげか教師の覚えもいい。背も低い方で無表情―――実はぼーっとしているだけなのだが、とっつきにくい子と評価されてしまうアンでも体育や部活の時間だけはスターになれた。―――しかし、ゲームだと全然違った。とにかく、技術と知識、判断力が要求されるゲームの世界では、アンは現実世界ほどのびのびと暮らすことができなかった。全て計算と考えづくの生活はアンの肌には合わなかったのだ。一人でパーティを作って遊べるならともかく、なぜこのゲームを選んでしまったのか。それはすべて弟が悪い、と今はこの場にいない人物を恨んだ。逆恨みだとしてもそれしかなかったのだ。
双子。
双子の弟。
それは、アンにとって最も近しい他人だった。遺伝子情報を共有した写し身であっても、断絶され、繋がることのない思考は二人を分離させた。
アンは彼を理解できなかったし、
彼は理解できないアンを許した。
それは果てしない停滞で、宇宙を一つ跨いだくらいに離れていて―――薄皮一枚で隔離された場所に存在していた。
アンは手の中から砂が零れ落ちるように、何かを少しずつ失って行ったことを理解したけれど、砂の流れを止める術を見つけることができなかった。
だから、うっかり―――弟のことを理解しようと努力してしまったのだ。しなければよかったと後悔した。今まで必死に目を反らしていたことを自ら見てしまった。
電子の海を切り取った画面の向こうで、弟は楽しそうに人と繋がっていた。アンのステータスは〈暗殺者〉Lv.78。最強クラスとは言えないがそこそこの能力を持っている冒険者と言えるだろう。けれど、レベルだとかキャラの性能だとかを超えて繋がっているものがそこにはあった。チームワークとか、仲間意識とか、そんなものだ。友情であったり、戦友に対する信頼であったり、あるいは憧れの人に対する尊敬の念であったり。
―――弟は、その蜘蛛の巣状に張られたネットワークの中心にいた。全ての糸は彼から繋がっていたし、彼はすべての糸を支配していた。
アンは怖くて、その巣へ触れることができなかった。
平たく言うと、馴染めなかったのだ。弟のにおいを色濃く反映させる人間関係や、アンには馴染みのない要素を多く含んだ仮想世界に。
もし、ゲームの世界に招かれてしまったら、喜ぶだろうか?
―――アンは「否」と答える。剣と魔法の世界なんて、面倒臭いことこの上ない。アンが処理しきれない情報量を押し付ける現実世界に比べ、頭に置いておく要素がいくつか増えるのだ。アンは頭がとろい子だ。けして頭が悪いという訳ではないけれど、とろい。考えるのが面倒くさくて、体のほうが先に動く。小さいころは舌戦に負けて弟を何度もぶった。高校生になった今も女子の口げんかは勝てる気がしないので近寄らない。感情と口が直結している女子はすごいなあといつも思う。
だから、この異世界に放り込まれてしまった時、考えるのをつい、やめた。そしてレベルが80近くあるので気軽に外に出てみたら、死んでしまった。
(ああー、これでゲームオーバーですか。現実世界にただいまできるといいのですけれど)
結果から言うと、アンは現実世界におかえりと言ってもらえず、異世界に「逃がさねえかんな?」と言われてしまった。まあ、冥府にいらっしゃいと言われなかっただけマシかもしれないが。
アンの軽挙の応酬は復活というもので返されて、ああこれは逃げられないゲームなのですね、と嫌な運命を突きつけられた。
そんなふうに軽く考えて立ち直れるのも数日のうちだった。
いくら突撃しても慣れない戦闘。確かに最初よりは様になってきた気がするけれど、そんなのは気のせいだった。アンはゲームの中での付き合いが長い銃剣をぎゅっと握りしめた。
冷え切った大神殿の石造りの寝台はいつも体に固かった。
いつまでたっても現実世界に帰る方策は見つからない。―――何もしていないからだ。誰もが意気消沈として、生産性のあることをしていない。こんな状況では身の安全を守ったり、生活基盤を整える方に執心してしまう。心の安寧を得ることだけがやることだと言わんばかりに、誰もかもが与えられる理不尽さにびくびくしていた。
アンはといえば―――現実逃避していた。
いや、今起こっていることこそが現実逃避の内容であってほしかった。
アンにとって怖いのは異世界に放り込まれたことではなくて、〈エルダー・テイル〉というゲームそのままの人間関係をそのままそっくり持ってきてしまったことだ。言ってしまえばなんてことない。アンがこの世界でまともに話せる知人というのは、弟関連の人物しかいないのだ。
アンが念話のコールにびくつく理由。それにも少し、訳がある。
アンは弟と姉弟だということをどのプレイヤーにも明かしていないのだ。
というか、当の弟にも、アンのキャラクター「ANN」が、自分の操作する冒険者だと言っていない。ボイスチャットの声から感づいているかも―――むしろ、まんまの名前でばれているかもしれない。このややこしい状態で身バレなど―――とてもじゃないけれどややこしくてアンは放任したくなる。弟とは何の関係もないというポーズを取っていたものの、自分でも少々無理やりなところはあったかな、と思っているのだ。それでもやはり、関係を知られるのは嫌だ。
弟と同じギルドを選んだのは、ただたんに意地だったのかもしれない。そんなところになけなしの神経を使っていたからいけなかったのかも―――
そう、いまやアンは、現実世界の「山口安子」ではなく、〈エルダー・テイル〉で使っていたキャラクター、「ANN」なのだ。
―――A、N、N。たったアルファベット三文字で表されたアンという存在は、もはや自分ではなかった。やっとその意味を理解した時、その現実に酷く打ちのめされた。
この間湖に行ったとき、湖面は理解しがたいものを映していた。水鏡に映った自分の顔は現実世界の面影を残していたものの、髪の毛は明らかに長い。腰ほどまであるだろうか。少し癖が強くうねっている。元よりつやつやしていて枝毛一本見当たらないというところがゲーム補正だろうか。そういえば肌だってつるつるだ。微妙に美少女感が増しているような気もするが、あまり気にしないことにした。装備はSPを意識したスーツ系で、下はズボンの裾を〈火蜥蜴のブーツ〉に入れている。革装備として薄黄のコートを羽織っていた。ゲーム内と同じ装備だ。
ばしゃり、とアンは水鏡を掻いて壊した。
そんな気力があった時期が―――今ではもう懐かしい。大神殿の祭壇に長いことうずくまっていると、すごく惨めな気分になってくる。そのうちこの感情も薄れ、無力にただただ生きるだけの生命になっていくのかもしれない。
横目で見ると―――もう、大神殿から動くことを諦めてしまったかのような有象無象たちが既にいた。アンは自分の銃剣を抱きしめて唇を噛んだ堪えようのない水が頬に伝った。
アンは、何も出来ないのだ。
何もかも時間が解決してくれるのかもしれない。しかし―――アンは今、なにもできない。
声のない嗚咽が自分だけに響いた。
「―――アン? もしかしてあんこか?」
突然掛けられた声に、のろのろと顔を上げた。アンの覚えている、男性の声だった。あんこ、というのはギルドの中でも特に親しいメンバーがからかうように使うあだ名だ。だから人物は容易に特定できた。予想通り、そこには着流しを身に付けた男がいた。腰には長すぎ、派手すぎ、重すぎの三拍子がそろった青龍刀がぶら下げられている。男性にしては長すぎる、腰までの黒髪。頭上にはぴょんと跳ねた一対の癖毛。圧倒的なまでの量の髪に紛れた獣の耳。シンプルな日本人らしい顔立ち―――整ってはいるが鋭すぎる目と無表情が彼の尋常でなさを物語っている。
アンは、この見たこともない顔の偉丈夫を知っていた。
「お、やっぱりか? そうだよなあ、銃剣使いの〈暗殺者〉なんてあんこぐらいだもんな」
「さ―――さささん?」
さ、を口を噛みそうなほど重ねたアンに、その男はよう、と片手を上げて合図する。それを見たアンにささ―――笹紅はすり足で近寄った。
「元気―――してたみてぇだな。まったく、大神殿でホントに見つけるとは思わなかったけどな」
「なんで―――」
ひりついた喉で、アンはその先を紡げなかった。
紡げる言葉が見つからなかった。
軽い衝撃とともに、笹紅の大きな節ばった手が頭の上に置かれた。もしゃ、と手のひらが動かされて髪の毛がもつれた。
「おんまえなぁ、この一週間ずっとコールしてたんだぞ? 繋がんね―し、誰も行方しらねーし。……こんなことになっちまって、心配しねー訳がねぇだろうが」
この笹紅という男は、ぶっきらぼうで言葉を選ばない癖に、若いプレイヤーたちを宥めるのがとてもうまい。それは甘えさせるような雰囲気を纏っているからなのか、それとも年の功なのか、ピンチに陥っても微動だにしない壁役はとても頼りに思えた。
アンの、かろうじて手で押さえ保っていた何かが崩壊した。
「―――さささ……っ、うぐぇえ」
「女の子らしくない泣き声出すなよ、ほらほら、ぶちゃいくな顔しちまって」
どんどん目や鼻から水があふれ出す。どうしようもなくてぐりぐりと袖で泣きかけた顔を拭われた。そのままアンは笹紅に縋りついて泣いた。
まるで迷子の子どものように、わんわん泣いた。
大神殿の中、泣きじゃくるアンに好奇の目を向ける者もいたが、大抵それは半ば虚ろな目で、しばらく経つとふいと逸らされた。
笹紅はこうやって、アンや年若い子たちを落ち着かせるのが得意だ。ただし彼も豪胆な性格なので絶望的な状況などには「あーはっは、こりゃ無理だわ」なんて平坦な声で言い、ありったけの特技をかましたりしている。ゲーム的に頼りに出来る訳ではないのだが、精神的な支えとしては、きっと手に入る中で最高峰だった。
しばらく笹紅の腕の中で泣き、だいぶ落ち着くと大神殿から連れ出された。歩調はゆっくりだったが、アンはその足がたどる道がどこへ続いているのか、なんとなく察した。
「ほとんどのギルメンには連絡取れた。やっぱりアキバに半数いるな。あとはミナミ、ススキノ……シブヤには俺とおまえ、含めて九人だ」
「少ない、ですね」
「ばぁか。ログインしてるの何人だと思ってんだ? ギルメン九十八人に対して六割の六十二人だ。だから、六分の一がシブヤにいることになる……」
それはたぶん、この異世界に飛ばされた〈冒険者〉の割合からするととても多いのだろうが、アンにはしっくりこなかった。
たった九人で、この陸の孤島から脱出できるのか、だとか、ちゃんと生きていけるのだろうか、とか心配だったからだ。
浮かない顔をしてしまったのだろう、笹紅はそんなアンの顔を見て、もともとゆっくりだった足を止めた。
「あんこ」
「えーと、はい」
「ギルド、行くの止めっか?」
アンは驚いてしまった。笹紅は、ギルドの副リーダーと目されていて、落ち着いた雰囲気からか信頼も高い。それに、記憶力や解析力も抜群でギルドではリーダーの隣で補佐をするくらいのベテランだ。
それなのに、なぜそんなことを言うのか、理解できなかった。
そんな驚きを顔に張り付けていると、笹紅は大きなため息を長いこと吐いていた。
「あのなぁ……、あんこ、分かりやす過ぎるんだよ」
「うぐっ、痛いところを突かないでください」
「いーや、自覚ねえなら言わせてもらっけど、おまえ声と顔に出すぎなんだよ。ゲームのころから、めんどくせーってのがすっげぇわかっし。逆に楽しいと無言になるけどな」
笹紅が言うに、アンは夢中になるとまわりがなにも見えなくなるようだった。―――自分では気づいていなかったが。
「ギルドで居心地悪そうにしてるのも、気づいてたさ―――たぶん、みんなな。その原因が俺が思ってる通りのことなのかは分からねえけど、でも、こんなときだ。一番居心地のいいところに、いたいだろ」
そんな言葉を受けて、アンは黙ってしまった。
笹紅はアンよりずっと大人だ。実年齢は分からないけれど、ただの十六歳の女子高生であるアンよりも、もっと人生経験があるように思えた。この世界ではゲームのキャラクターの容姿が反映されて、アンの背は笹紅より頭一つ以上低い。身体的な差を抜きにしても―――アンは笹紅よりずっと子どもだった。だからそんな言葉を言わせてしまったのは、アンなのだ。
ごめんなさい、と謝ってしまいたい。
ありがとう、と甘えてしまいたい。
けれど、一週間探しまわってくれた笹紅や―――おそらくギルドのメンバーに対して、そのアンの答えは残酷なものだという認識が、あった。
アンは、笹紅の袖をギュッとつかんだ。
「―――まずは、ギルドハウスに行きましょう。そこでいろいろ、現状確認。します。……謝らないと、だし」
アンはうつむいて小声で呟いた。笹紅の言うところの「分かりやすい」声なのだろうけれど、これが唯一の正解だと思った。
頭上で、笹紅が少し、笑ったような気がした。
アンは予想外の反応にとっさに顔を上げた―――けれど、笹紅の顔は先ほどの無表情と変わらなかった。ほんの少しだけ、鋭い目じりが柔らかくなっていたような気もした。
―――おそらく、許してもらえたのだ。
「そーだな、雷覚悟しておけ。エーチとイノチ老がメチャクチャ心配してたしな」
「うー……」
うちのギルドの回復職二人を例に出され、アンは呻く。あの関西系二人はギルメンを手のかかる子どもだと思っているらしく、いろいろと口うるさく世話を焼いている。たぶん、お説教コース直行だ。
「~~~~~~っ、連絡取れない人、わたし以外にもいるでしょうに……」
「あんこ、口調いーのか?」
あ、とアンは忘れていたことに気付く。アンが入っているギルドはロール系で、キャラに設定を作りそれに従って演じる……というごっこ遊びの要素が強いものだ。
ギルド名は、〈Betrayal〉。
意味は、「裏切り」。その名の通り、「何かを裏切ったり、あるいは裏切られたキャラクターを演じる」ギルドだ。深い設定を練る人や、逆におふざけのような理由を作る人もいる。アンはまじめに考えたが、目新しい設定は作れなかった。
しかし他と差別化するため、口調が「~であります」との軍人風、というロールをしていた。笹紅はそれに違和感を感じていたのだろう。
「そうだった―――そうでありました。しかし、こんなときまでロールでありますか? ……ギルドマスターは、何と?」
ギルドマスター。
それがアンの懸案事項だった。フレンドリストが開けることは確認したが―――その名前がログイン状態になっているのを見た瞬間、反射的に閉じてしまったのだ。
笹紅は言いづらそうに頭を掻いた。割と豪快に髪の毛がもつれたはずなのだが、さすがゲーム、さらりと重力に従って元に戻った。
「それがだな―――『ほとんどの』ギルメンと連絡がついたっつったろ?」
言い渋る笹紅の言に嫌な予感がした。
「実は、連絡ついてないあと一人が、ギルマスなんだ」
ああ、ギルマス。
こんな時になに行方不明になってるんですか。
アンは思わず、特大のため息をついていた。何せ、ずっとそのギルマスを警戒して―――忌避して、〈Betrayal〉からの念話を拒絶していたのに、その人物がまさか行方不明だなんて、気も抜けるというものだった。
〈Betrayal〉のギルドマスター、リョシュ。
あろうことか、その中の人は山口安子の弟だった。
「ログ・ホライズン」、好きすぎて書いてしまいました。
原作が好きな人、二次創作が好きな人、この小説から読むよって人。
好き嫌いが分かれてしまうかもしれませんが、楽しく読んでいただきたいです。
できたら百日間、アンたちともどもよろしくお願いします。