08 怒れるサポートキャラ 【前編】
「03 サポートキャラの私」の続き。中藤愛視点。
長くなったので、前編・後編と分けました。
ブチブチブチッ
髪が何本か切れる音がする。
痛い。
痛い。
鷲掴みされた髪は、私の顔を歪ませ…目の前に狂喜を孕んだあいつの顔が。
「あーーいーー」
どうして、こうなった?
何が、間違っていた?
――8時間前
私は、乙女ゲームのサポートキャラ ――中藤愛である。
ヒロインに対象攻略者の好感度や誕生日などを教えるのがその役目…だったのだが。
「愛」
「……」
なぜ、サポートキャラの私の横に、攻略キャラであった赤松純也(26歳 古典担当)が、馴れ馴れしくも私の寝ているベッドサイドに座っているのか。そしてなぜ、私の名前をエロボイスで囁いているのか。
「先生、もう私は大丈夫ですから、職員室に戻ってください」
「なーにつれないこと言ってんの? 俺と愛との仲だろ?」
目の前で整った顔が、瞳に色気を乗せて、人差し指が私の頬を撫でる。
つーー。
ぞわぞわぞわぞわ!
「っ! いつ、どこで、私とあなたが、どんな仲になったんですかっ!!」
手首のスナップだけで人差し指をなぎ払ってやった。
(ピンクのエロオーラ! マジやめろ!)
今、私とこのロリコン教師がいる場所は、保健室。
好感度が表示される端末を見て、ショックを受けた私を連れて来てくれたのはいいけど、どうしてこいつは私に対して色気たっぷりな声と仕草で接してくるのか!
(そうだ、端末!!)
私が立ち上がろうとするのを、赤松が肩に手をやり押さえ込んだ。
「!!」
「ほら、安静に」
そのまま、私の上に覆いかぶさってきて私を見下ろす笑顔は悪人面だ。舌なめずりなんかも似合いそうで。赤い舌が薄い唇からチラリと見える。無駄なピンクなオーラをムンムン感じる。
貞操の危機。
なんて、一文が浮かんでしまうくらい、私は追い詰められていた……が、ふと、目飛び込んできたのは、緩められて大きく開けられたシャツから見える色気を醸し出している鎖骨……じゃなくて、ブラリとした解けかけた趣味の良いネクタイ。
「…先生」
自然と、手が赤松のネクタイに向かった。
そして、遠い昔…毎日の習慣だったのを手が憶えていたのか…赤松のシャツを整え、ネクタイを締め直し、肩の線をなぞって「ほら、綺麗になった」なんてつぶやいていた。
「愛?」
その様子を、面白そうに見下ろす赤松。
(し、しまった。手が勝手に動いていた)
寝癖がついた子には、クシをかけ…シャツが出ている子には、無言で近づき、シャツをいれ……付いたあだ名が「みんなのオカン」――今は華も恥じらう女子高生の私に…なんたる不名誉なあだ名。
(お陰様で、幾分、落ち着きを取り戻せたので、結果オーライとも言えるけど)
「……どいて下さい。人を呼びますよ」
「フッ…急に冷静になって。…やっぱり、面白いな。そうだな…呼べば? 見せつけようか?」
「…っ!!」
さも、余裕ありげな表情をする赤松。昔見た――スチルを思い出す。
(……スチル? あれ? これのシーンって、ゲームで見た?……?)
「お前の親友の、吉水も応援してるんだから? 観念しろよ」
「!! 葵が?」
―――吉水葵。
私の親友でもあり、この世界のヒロインで。
「ど…うして…葵? 何を応援なんですか?」
「さぁ? あいつの事はお前の方がよく知ってるだろ? それに、何って…」
そう言って、私の肩に顔をうずめて「スゥーーーーー」と息を吸われ「愛の匂い」なんて言い放つ。
ぞわわわわわわ。
やめれ!! このロリコン!!
「先生!! 私は17歳で先生は26歳ですよね?」
「よく俺の年齢知ってんな。そうだ。9歳差。よくあるある」
「……私がこの制服を着ている限り、年の差って重要なんですよ。禁忌なんですよ? わかります?」
「それって、脱がせろって事? ご希望なら脱がせようか? それに… “禁忌”ってそそる言葉だよな。つい、犯したくなる。色々な意味を含めてな」
「犯罪者ですよって事です。……このロリコン」
「言うねー。俺には、時々お前の方が年上に感じるんだけど」
赤松の薄く開いた瞳の奥が光って、私の奥まで見定めようとする。
(鋭い)
私は、転生者だ。
何歳の時に死んだかは覚えてはいないが、今の私と同じ年頃の娘がいた事だけは覚えている。20歳の時に結婚したとしても…最低でも37歳にはなっていただろう。そして今の年を足すと、精神的に26歳の赤松なんて子どもに見えてしまう……だから、さっきもつい、乱れた赤松の服装を直してしまった……。もう、無意識怖い!
「…私が長女で…親戚でも一番年上なので、そういうふうに育っただけです。まぁ、先生よりは精神的に大人だとは思ってますが」
「お前ってば、面白いよな」
ハハハと笑うのはいい。
笑う場所が私の肩の上なのが気に食わない。
だーかーらー!!! 息が当たって、ゾワゾワするではないか!!
「俺、年上が好きなんだけど」
「じゃあ、他所をあたってください。英語の宮部先生(40歳)はいかがですか? ボッキュッボンでオススメですよ?」
「俺よりも、中身は年上で、身体がピチピチの女子高生って最高じゃねぇ?」
「教育者の言うセリフじゃありませんね。」
―――その落ち着き振り。
そのお前の落ち着き振りを、乱して、跪かせて、壊したくなるんだよな。俺。
赤松の声なき声が聞こえた気がした。
逃げなきゃ。 と、身体が反応する瞬間っ
べろり
「ひゃぁああああ!!!」
「はっ!ハハハハハ」
耳をべろりと舐められた!
手を振り上げて、ひっぱたいてやろうと思ったら、赤松はさっさと身体を避けて、急に教師の顔に戻った。
「中藤、まだ顔が赤いぞ? 次の授業の先生には俺が報告しておいてやる。寝ていろ」
「なっ!!」
罵声を浴びせてやろうとした瞬間、『ガチャリ』保健室の扉が開いて養護教諭がはいってきた。
「じゃあ、お大事に」
「~~っ!!」
赤松と養護教諭が何かを話していたが、私は背中を向けてシーツをかぶってさっさと寝る。
やっぱり、あいつは油断ならない!!
気持ち悪い!!
舐められた耳をシーツで拭ったのだった。
――『…はい。愛ちゃん……頑張ってね』
――『お前の親友の、吉水も応援してるんだから? 観念しろよ』
…………葵
どういうつもりなの?
「愛ちゃん、大丈夫?」
「…う、うん」
次の休み時間に、葵が私の様子を見に保健室に来てくれた。
「あ、そうだ! これ、さっき落としていたよ?」
そう言った葵の手にあるのは、私の大事な端末。
「壊れてないかな? 動く?」
心配そうに、覗き込む葵はいつもの調子で…朝に感じたのは――気のせいだったのかと思わせる。
「ありがとう。後で見ておくね」
私は端末をベッド脇に一旦置き、ベッド下に置いてある上靴を履いた。
休み時間なのに、教室から少し離れた保健室は、シーンと静まり返っていて、呟かれた言葉が嫌でも耳にはいってきて……
「みんな終わった後で、それって何か役に立つのかな…」
―――!
「葵…? 何か言った?」
「ん?」
ニコリ。
葵の笑顔。
いつものに笑顔。
なのに、感じるのは……。
「顔色悪いから、寝ていてもいいのよ?」
という優しい養護教諭に曖昧な笑いを浮かべて断り、葵と二人、教室に戻った。
教室に戻ってからの葵は、いつもと違う気がする。
終始ご機嫌で、笑顔のバーゲンセールだった。
スキップまでするんじゃないかってくらいで。
「吉水さん、何かいい事あったの?」
「んー? 内緒」
クラスの男子の質問に、笑顔で答える美少女。周りの男子が耳を赤くしてほうけている。
元攻略対象者でクラスメートの緑川拓海を除いて。
――昼休み
いつもは葵たちと一緒にお弁当を食べるのだが、そういう気分にもならず端末とお弁当箱を持って、どこか一人になれるところに向かった。
自販機で紅茶を買い、中庭のどこかベンチが空いていないか探す。
「中藤さん」
私の後ろに、元攻略対象者――白兼聡会長の元ファンクラブ会長で現彼女と噂されている田中華澄が立って居た。
(どうして?)
私と彼女はクラスも違うので、すれ違ったくらいはあるが、話した事もない。
ただ、私からすると厄介な彼氏を持ってしまった同級生というくらいだった。
彼女は、周りをキョロキョロと見渡して「ちょっと、ごめんなさい」と私の腕を掴み、垣根の陰まで私を連れて来た。そして、再度あたりを見渡し背を低くしてしゃがみこんだので、私も同じようにする。いきなりの事で、少々苛立ったが、彼女の怯えた様子でただならぬ雰囲気を感じ、好奇心の方が優ってしまった。
「いきなりで、ごめんなさい」
「い、いえ。田…中さんよね?」
彼女は、頷きそして、どこか迷っている風で「ちょっと、言葉の整理がつくまで一緒にいてもらっていい?」と申しわけなさそうに問われた。
「いいけど…ごめん。それじゃあ、ここでお昼食べていい?」
「あ、はい。私こそ、ごめんなさい」
「田中さんは? もう食べたの?」
「…最近、食欲がなくて」
…そういえば、彼女は以前見かけた時よりも、やつれている様子。
綺麗な黒い髪は肩甲骨まであり、顔を隠す様に顔を覆っていた。
私と彼女は二人して、中庭の隅で小さく隠れるように座り込んだ。
ふと、彼女の視線を感じる、
私の――お弁当を通り越して、持ってきた端末にだった。
(そうだ。私、端末を確認しにきたんだった)
彼女と別れた後に、確認しようと心に決め、モクモクとお箸を動かす。
二人の沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「…それって、『好感度』とか見れるやつ?」
「…!!!」
箸が手を滑り落ちそうなって、慌ててつかみなおす。
「はは、何を…」
「中藤さん、私が今から変な事言うけど、何も言わずに聞いて欲しいの」
「……」
私の沈黙を肯定ととった彼女は、息を少し吐いてから話しだした。
*
*
「田中さんも、前世持ちだったんだ」
「中藤さんも?」
驚いた。
まさか、同郷といっていいのか…同じゲームをしていた同じ世界からの転生者が私以外にも居たなんて!
田中さんの前世は大学生までの記憶しかないそうで…どうりで…私よりもおばさん臭くないはずだ…。
仲間に会えた嬉しさと、多少(?)の前世での年の差に凹んだが、テンションが高くなってしまう。
「そう。私は『サポートキャラ』になっちゃって…大変だよ。こんな端末持って人の色恋の助言するんだよ? どこのお見合いババアかよって、中身おばさんだから適役なのかな?」
おどけた調子で言うと、彼女が笑った。
あ、やっぱり、この子美人顔。流石生徒会長の彼女になるだけあるわ。
―ん?
前世持ちでゲーム経験者?
「よく白兼会長の彼女になろうと思ったわね。 赤松も大概だけど、アレも大概なんでしょ?」
私は前世での娘の攻略していた『赤松ルート』というのしかプレイしたことがなく、他の攻略キャラのプロフィールなどは知っているが、どう攻略していくのかは知らなかったりするが……全攻略キャラが確か「ヤンデレ」だったはず。わざわざ、そんな厄介な彼氏を作らなくても……。
「……私が浅はかだったの」
「田中さん?」
「中藤さん。中藤さんはどうして、赤松先生と面識があるの?」
「え? どうしてって言われても…」
(なぜ? それは、私がサポートキャラだからじゃないの?)
田中さんは垣根を見つめていた。
そして、私に言うのではなく…一人、自分自身に確認するかのように呟く。
「……前世持ちがここに二人もいるって事は……やぱり、彼女も…」
(彼女?)
《ブルルルルルルルル》
携帯が震え、彼女の顔が凍ばった。
「ごめんなさい。行かなきゃ!」
「田中さん!?」
慌てて立ち上がった彼女につられるようにして、私も立ち上がる。
すると、彼女は真面目な顔をして、一歩私に近づき内緒話をするように小さい声で忠告した。
「中藤さんは、赤松先生のルートにはいっているかもしれない……。先生は従順にしていれば、取り敢えず大丈夫な…ハズだから。――それと……――吉水さんには気をつけて」
「!!」
耳元で、囁かれて、サッと彼女は身体を離し、曖昧に、儚く笑った。
言葉の意味を聞こうとしたのに、私を置いて彼女は走り出した。
走った先を見ると、そこには――白兼会長が。
指には幾つかの包帯…
私が田中さんと居たのを確認すると、私の事を鋭く睨み付け、田中さんの肩を抱いて去っていった。
(…何、あいつ……)
元座っていた場所に座り直し、息を吐く。
(田中さん…私が『赤松のルート』にはいったと言っていた…)
嫌な予感がする。
冷静になるために、さっき買った紅茶を飲み干す。
残ったお弁当を平らげ、人が近くにいないことを確認した後、端末の電源を付けた。
『ノーマルエンド』
画面には、ヒロインが誰にも結ばれなかったという
――ゲーム終焉の文字が浮かんでいた。