序章
開け放った窓から見上げる空はどこまでも青く、澄んでいた。
良く冷えた室内に、真夏の生温かい空気が流れ込む。視線を上げれば、その先には黄色い太陽。濃緑の木々。しかし一方で、部屋中に広がる沈黙は色を失ったままだった。
彼の唇が、ゆっくりと動く。私は目を逸らした。見てはいけない……咄嗟の判断だった。
やけに落ち着いた彼の声だけが、唯一の音。彼は何と言った。知りたくない、聞きたくない。
部屋の温度が一段と下がったような気がして、身震いする。寒いね、と漏らした声は掠れて音にならなかった。
彼の指が伸びてくる。私はそれを振り払った。傷ついたような、それでいてどこか安堵したような彼の表情が私を見上げる。ベッドのふちに腰かけたまま、彼は再び声を発した。
「もう終わりにしよう」
彼は私を見つめている。しかし、私には彼の瞳を見つめ返すだけの強さがなかった。どうしてと問うても彼は首を横に振るだけで、答えをくれない。
聞き分けの悪い子供のように、いやいやと駄々をこねることも、泣いて縋ることも私にはできなかった。
僅か数十分前に私を抱いていたはずのその腕は、今や行き場をなくしてさ迷っている。
「今日はそれを伝えに来ただけだから」
そう言うと、彼はふいと横を向いた。それなら、どうして抱いたの。強い吐き気に襲われ、またしても声にならなかった言葉を飲み込む。
着衣の乱れを直し腰を上げた彼は、緩慢な動作で鞄を肩にかけると、妙に乾いた声でさようならと言った。私に引きとめて欲しいのか否か、恐らくは己にも分からないのであろうその背中は、私の目に自信なく映った。
「さようなら」
二度目のさようならは、はっきりと響いた。
彼を引き留めるための台詞を必死に考える私の前で、無情にもドアが閉まる。
私は茫然と立ち尽くした。
そこには怒りも悲しみもなく、ただ真っ白になった世界が広がっていた。