三章・この人いたっけ?この人いなかったっけ?
家に帰ると、もう偽妹こと忍が帰っていたようだ。父さんはどこかの塾で頑張っているのだろう。
俺が「ただいま」と言うと忍は顔をパッと輝かせて走ってきた。
「お兄ちゃんお帰りっ! えへへっ、お風呂にする? ご飯にする? それとも……えへへ」
「あ、すいません。まだ分からないです」
朝冷たくされた兄と楽しく過ごせると思ったのだろうか、俺に見放されて忍はガクッと落ち込んだ。
「……そう」
忍は落ち込んだまま茶の間の隣にある和室に入った。
何をするのかと思い、和室の扉を開くと……そこは和室じゃなかった。
「おい!? これどうなってんだ!?」
「え!? 何が?」
俺の記憶が正しければここには本棚と薄汚いテレビと家具があるだけの、畳の部屋だった。
それが今ではフローリング張り、おしゃれなレースのカーテン。ピンクのベッドまである。
「どうなってんだって……あたしの部屋だよ?」
あたしの部屋、ってやっぱりこいつの部屋だという言葉のままの意味か。
和室がなく妹の部屋がある。当然っちゃ当然か。これは、杏のいうところの辻褄合わせだろう。
「それじゃやっぱり、春さんの部屋もあるのか?」
ふと浮かんだ疑問を投げかける。忍は正気を疑うように答えた。
「えー……、あるけど、お兄ちゃんの隣の部屋だよ? 気づかなかった?」
言われてはっと気がつく。そういえば俺の隣の部屋には物置があった。
だがそれはおおよそ女性の部屋になりえる状態ではない。ごみと、流行が去った昔の玩具が散乱する埃と汚れにまみれた不浄の空間だ。
それに、この忍の部屋は見た目こそ違うがサイズは確かに和室のものだ。
あそこは人が住めるサイズじゃない、せいぜいベッド一つが入るか入らないかだ。
ひとまず忍に感謝の意を示して、俺は元物置に向かう事にした。
物置は俺の部屋に繋がっているし、廊下から直接入ることもできる。昔はよく俺の部屋から入り込んで昔の玩具で遊んだものだが……。
自分の部屋から扉を開く。その瞬間、鼻腔にふんわりとした空気が広がった。
その、なんと綺麗なこと。黒に近い灰色の床は、黄色い新築の木のように変わり、壁なんて積まれたダンボールで見えなかったのに、滑らかな壁紙に窓までついている。そこから差し込む夕陽が教科書や分厚い本が入った本棚を紅く染めている。
大リフォームどころではない。これではまるで別物だ。そもそも断然広くなっている。
いけない事と思いつつ、少し中に入ってみる事にした。
本来の俺なら女性の部屋に無断で入るなど不埒な行動を取るわけがないのだが、現在の混乱を収めるべく仕方なく入ることにしたのだ。決してその芳香に惑わされたわけではない、多分。
意を決し入り込む。勉強机の上にあるペン入れ、置きざりのノート。その後ろには洋服を入れたタンスのようなクローゼットのような家具がある。
忍の部屋が『女の子の部屋』と呼ぶなら、春さんの部屋は『できる女性の部屋』といったところか。
一冊、本棚から分厚い本を手にとって見る。うわ、洋書だ。全然読めねえ。
「それは今映画化とかしている作品の原本よ」
いきなり声を浴びせられて振り向く。
俺の部屋になぜか春さんがいた、しかも制服のまま。胸のリボンがベージュだから、3年というのは確からしい。
「忍ちゃんが私の部屋にいると思うって言ったから、驚かしてみようと思ったの~」
俺が質問する前に春さんはイタズラっぽく微笑んだ。
改めてよく見ると、この人もかなりの美人だ。制服の胸の膨らみとかが想像力をかきたてる。
「で、愛しのお姉様のことは思いだしたかしらぁ?」
そういって春さんは俺のベッドに腰かけた。うーん、色っぽい。
「すいませんが、まだ何も朝と変わっていないです」
そう謝罪をすると、彼女は溜息ついでに聞いてきた。
「そう……、うーん、じゃあ私の部屋はなんだったの? 私がいないのに私の部屋ってことはないでしょ?」
「え? 物置ですけど」
それを聞いて春さんはちょっとの間だけ真顔になって、すぐに声を出して笑った。
「何それ~? 敬ちゃんのお隣には廊下と自室につながる高性能物置があったの?」
馬鹿にされたような気がしカチンと来るが、そういえば確かに、物置ってなんだ、物置って。
おかしい。俺の隣の部屋には物置があったはずだ。それは確かなはずだ。
しかし、現実的に考えてどこの家なら家の中の一部屋を、それこそ外にある荒ら屋のような物置として使うだろうか?
そんな家は普通ない。そして俺の家は普通だったはずだ。
記憶を呼び覚ましてみるが、俺の部屋から扉を開けて、物置……。
イメージできない。おかしい、なぜかさっきまでの物置へ通じる感じが掴めず、全て姉の部屋に通じるようになってしまった。
「可笑しいなぁ。あれ、敬ちゃんどしたの?」
声をかけられて過剰に反応してしまって、驚かしてしまったみたいだ。
目の前の女性を改めて見つめる。もし物置が嘘の記憶だとしたら、ここは元々『姉の部屋』という事になる。
つまり、この人は本当に俺の姉、ということになる。
「じっと見つめて……思いだしたの?」
俺は首を横に振った。確信が持てない。
けど、真相に一歩近づいた気がする。
と、言うか、もしかして本当に俺の記憶がおかしいだけなのか? 俺が自分で変な記憶を創りだした、それだけなんだろうか。
いや、ただの記憶喪失なら妙な改竄はないはずだ。どういう記憶喪失をすれば父の職業を大グループの部長など贅沢なことが言えるのか、ただの記憶喪失なら言えないはずだ。
この世界は真実なのか、それとも虚構……ギャルゲ妄想の世界なのか……。
どちらにしろ、まるで神様とか魔女とか、それこそ杏が言っていたような宇宙人とかの神秘の力が利用されているのかもしれない。
とりあえず、姉の事に関して杏と話がしたい。
「じゃ、姉さん。俺ちょっと出かけてくる」
「ん、いってらっしゃい」
姉さんはベッドに腰かけたまま笑顔で送り出してくれた。
とても暖かくて、優しい笑顔だった。
自転車を漕いで約十分。
俺が異瀬杏の家だと思っていた場所の表札は、雨宮と書かれていた。
さてさてこれはどういう事だ?
まさか高校生にもなって、迷子になるなんて誰が予想しただろうか。
日が沈みかけている。オレンジの空は紫色を帯び、文句なしの美しさだ。
「さて、これからどうしようか」
ぽつんと、独り言。返事は当然ない。あったら怖い。
俺が一番付き合いの長い親友の家を間違えるわけがない。十年通っていた道、電灯や月明がなくても間違えたりするわけがない。
だったら、これも新しい世界の改変だろう。
それにしても、これは『辻褄合わせ』だろうか。
もしかしたら、異瀬家は元不同家にあるのかもしれない。そこ以外に見当がつかないだけだが。
席で考えると、異瀬の席が雨宮の席に、不同の席が異瀬の席に、そして不同の席が消える。
その流れだと、異瀬家が雨宮家に、不同家が異瀬家に、そして不同家が消える。
なぜローテーション? 雨宮と不同をそのまま入れ替えればいいだけだろう。
いや、待てよ。
異瀬杏という人間は、元から居ただろうか?
いや、それは流石に考えすぎだろう。俺は彼の細かい過去を覚えているし、彼の身長体重だって覚えていた。彼の存在を疑うぐらいなら自分や灰国定、クラスメイトの全員だって、近所の人達だって皆疑わしくなる。
それに姉や妹の記憶を消すのは簡単に出来たとして(それすら常人には不可能だが)記憶を植えつける方が断然難しいはず。
疑うのも姉の相談をするのも止めて、いったん雨宮の家を調べてみよう。
不同の代わりが雨宮ということなら、この世界では雨宮と俺は大親友であるはずだ。今日学校で冷たい態度をとったところで、今『いやぁ今日は悪かった、ちょっと家ん中入ってもいいか?』ぐらい言えば問題ないだろう。
意を決しチャイムを鳴らす。やっぱり杏の家と同じ音だ。
「どなたさんですか?」
インターフォンから流れてきたのは、聞きなれていない親友の声だ。
「えっと……灰国敬ですが」
しまった、堅すぎる。親友として来たのに。
「あー、うん、分かった。我が家で思い出探しでもするんだろ? 記憶喪失さん」
随分癇に障る言い方だ。玄関で顔を合わせたら文句の一つでも言ってやろうと思ったが、玄関に顔を出した彼の顔は、今にも泣きそうだった。
「全く、お主は酷い奴じゃ。杏はしっかり覚えとるのにワシの事をすっかり忘れるとは……」
はぁ、と目を隠すように、彼は額に手を当てた。
「……あがらんのか?」
声が震えていた気が、しないでもない。
門扉から玄関、廊下に皆で遊ぶ部屋、全てが元の異瀬家のものと変わりない。
「雨宮、家族は? あとアルバムとかみてみたいんだが……」
「家族はおらんし、ワシが写真嫌いだということも……まぁ覚えとらんわな」
「家族がいない? じゃあどうやって高校に通っているんだ? それにこの家だって……」
彼は鼻を鳴らし自慢げに言う。
「スポーツ推薦に奨学金じゃろ、そして日々のバイトとカンパじゃな!」
本当にそれで暮らしていけるのか? やはり圧倒的に怪しい男だ。
「何のスポーツだ?」
「水泳じゃ。忘れたか? 『金崎の雨夜の鮫』という二つ名を」
……………………、雨宮が赤くなっている原因は、悲しみの涙だけではないだろう。
結局この日は家に帰り、親父にこってりと絞られて自称妹に泣かれ、終わる事になった。
自宅のアルバムには雨宮と杏はいたが、不同はいなかった。




