一章・姉と妹と幼馴染
俺の名前は灰国敬。間違いなく灰国敬だ。
高校二年生、七月九日生まれのかに座でAB型。ガンシューティングゲームが趣味の、自分でいうのもなんだが、ちょっと陰がある男だ。
街角で百人に俺が灰国敬かと尋ねたら、十人ぐらいがイエスといって、残りは誰それ? と言うだろう。
『いきなりこいつは何を言っているんだ?』とお思いの方、要するに俺は自分が間違いなくその『灰国敬』という高校生かどうか自信が持てないのだ。
家族は父親一人。灰国定といって一緒にガンシューをやる仲だ。
今まで十六年間、家族は父さんと俺だけだったはず。他に兄弟がいたなんて記憶はない。
それが今は――
――朝、ベッドで寝ていた時に何者かが俺に乗っかってきた。
「お兄ちゃん! 朝だよ、起きないとご飯冷めちゃうよ!」
と、いわれてすぐに侵入者を掛け布団ごと振り払い、距離をとった。
時計を見れば朝七時。いつも起きる時間だ。
侵入者は髪をおさげにした女の子。小さな体を見ると恐らく俺より年下だという事が分かる。だが一度も会った記憶がない。
「……お兄ちゃん? 顔が怖いよ?」
「お兄ちゃん? 誰だお前は?」
目の前の女は顔を緩ませながらじわじわ近づいてくる、可愛さより恐怖を感じる。
「誰だってひどいな~。昨日お菓子食べちゃったのまだ怒っているの?」
「それ以上寄るな!! お前は何者だ? 誰が兄だって? 誰の妹だ?」
距離をとりながらいうと、女は顔を大きくゆがめた。
「う、うええ、お兄ちゃんの妹だよぉ」
「俺に妹がいるかっ!!」
当然の叫びだ。小さな子を泣かす罪悪感も芽生えたが、まだ恐怖が勝っている。父と俺だけのむさい男家庭で妹なんて華やかな響き……可笑しいぐらいだ。
自称妹が名残惜しそうに部屋を出て行くと、俺はようやく一息ついた。
しかし冷静に考えると奇妙だ、俺は夢を見ているのだろうか。自室に女の子なんて、彼女もいない、女友達もいない、そんな俺には初めての経験だ。
変質者なのか? あの女の子の目的はいったいなんだったのか……。
それも今となっては分からない事だ。あの娘が家を出ているかどうか……。
そういえば父はどうしているだろうか。まさか娘がいたなんて言うんじゃなかろうか。
俺は苦笑しながら部屋を出た。
しかし俺の予想は当たり、期待は裏切られ、俺は茶の間でちゃぶ台を挟み父にこってり絞られていた。
「敬! お前は妹を泣かして謝りもせんのか!!」
本当に父がそう言うとは思わなかった。
俺から見て左に自称妹がいるが、その後ろにはなんと自称姉までいた。
「困るわぁ……敬ちゃんったら忍だけじゃなくて、私の事まで忘れているの?」
青い長髪を指で弄る穏やかそうな女性。初対面だ。姉貴なんているわけがない。
「なにそれっ! 私だけだったらいいっていうの!? お姉ちゃんひどいよ!」
おさげの自称妹は忍といって、長い髪の自称姉は春というらしい。
「とりあえず私は学校行くから、あとはお父さんよろしくね」
春は手をひらひら動かして出て行った。知らない女に自分の父親をお父さんと言われると、こんなにもむず痒いものなのか……。
「父さんやっぱり分からないです。妹とか姉とか、意味不明なんですけど……」
「はぁ、さっきからお前は何を言っているんだ?」
説教じゃなくて正気を疑うように言われると傷つく、実の父親に。俺は間違った事を言っていないはずだ。
「いいか、お前は灰国敬。今年で高校二年生になった。分かるな?」
「分かってるよ! 自分の事は……」
「お前が灰国敬なら、さっき行った女性が灰国春。今年で高3。あれがお前の姉貴ってことになる……あぁ、俺は何の説明をしているのやら」
「いやいや、そこがおかしいって言ってんだろ?」
「やかましいっ!!」
俺の意見は父がちゃぶ台を叩く音にかき消された。
「お前が灰国敬である以上、姉の春と妹の忍の存在も受け入れろ!! これは父からの命令だ!!」
「んなムチャクチャな……」
横を向いて溜息をつくと、忍と目が合った。けどそれも一瞬で目を背けられた。涙目だった。
「大丈夫だ忍。この馬鹿も帰ってくる頃に全部思い出してるよ」
父の慰める優しげな声に、忍はぴょこぴょこと父の膝に座って、こくんと頷いた。
「それより父さん、仕事は?」
よく考えたら父は俺が朝起きる前に仕事で家にいないはずだ。それが今は登校のギリギリのこの時間までここにいる。普通だとありえない。
やっぱり夢なのか。やはり、そうに違いないな。
「仕事ってお前、忘れたのか?」
「な、何を?」
またとんでもないことを言うんじゃなかろうな。とは思うものの聞かないといけない。
「近くの学習塾の塾長をしているから、基本は昼まで家にいても大丈夫だぞ? 忘れたのか?」
忘れるも何も、そんな事実がない。
俺の父は間違いなく西條グループという巨大会社の部長さんで、会社にいくため必死こいて満員電車に乗って行き、帰りは飯食って風呂入って寝るだけの、ガンシューをする暇すらない過酷な生活をしていたはずだ。
「学習塾ってなんだよ……」
「敬、本当にどうした? 医者行くか?」
ありえない。この世界はアレだ。いわゆる虚構の世界とかいう何かだ。
それとも、パラレルワールドとか。俺はどこかのパラレルワールドの自分と入れ替わっちまったんだ。
それしかない。そうに違いない。
ふらふらと鞄も持たず学校に向かう俺を、父は呼び止めた。
「おい敬! 今日は紅華ちゃん待たないのか?」
コウカチャン? わけも分からず玄関に行くと、玄関扉のガラスの向こうに人影があった。
うっすら見える緑のセーラーと赤いリボンは、我が金崎高校の女子の制服、それも二年だと分かるが……。
謎の女子が玄関の戸を先に開けた。
「あ、敬くんおはよう。今日は早」
「父さん! この人は!?」
彼女が言い切る前に俺は叫んだ。俺は知らない、が、凄く好みだ。体は細く引き締まっているのに、出るとこは出ている。間近で見る長い茶髪は、意外と爽やかな香りを放っている。
「お前、紅華ちゃんまで……ちょっと来い! 座れッ!!」
恐ろしい。もう何がなんだか分からなくなってきた。
言われるがまま父の元に向かうと、紅華さんもついてきた。
「えっと、どうしました?」
俺が丁重に尋ねると紅華さんはプッと噴出した。
「何その聞き方? 初対面ごっこ?」
笑顔が輝いていらっしゃる……、間違いなく初対面なのに、とてもフレンドリィな人だ。
そのまま二人で父さんに向かって座ると、忍が動いた。学校に行くらしい。
「あ、忍ちゃん、行ってらー」
「あっ……行ってきます、紅華お姉ちゃん……」
伏し目で、語尾は消え入りそうな声だったが、最後まで聞き取れた。
「どうしたの忍ちゃん? 元気なかったみたいだけど?」
「紅華ちゃん、おかしいのは忍じゃなくてそいつなんだ。全く十七にもなってばかばかしい」
「それってどういうことですか?」
父の挟んだ言葉に反応した紅華さんが、疑問の言葉と視線を向けてくる。
「俺にもよく分からん。とりあえず学校が終わったら病院に連れて行くつもりだ」
是非そうしていただきたい。いっそ今すぐでもいいぐらいだ。
「敬くんどこか悪いんですか!?」
耳元で大きな声を出されたのに、不思議と心地良い。
「まだよく分からんが……とりあえず紅華ちゃん、こいつを学校に連れてってくれ」
紅華さんは不服そうに頷いて、俺の手を引っ張った。
小さくて、暖かい手だ。指の一本一本が俺の手に絡んでくる。
恥ずかしくなって手を振り払った。女子に触ったのなんて小学生以来かもしれない。
俺が恥ずかしがっているのを見て、紅華さんは困惑しているみたいだ。
「馬鹿……何恥ずかしがってんのよ?」
先に先にと早歩きした紅華さんの頬も、赤くなっているように見えた。
微妙な距離感のまま紅華さんと学校に到着。
金崎高校自体は何も変わっていない。正門前に集まる教師達、チャリ通と徒歩が入り乱れて教員の駐車スペースがあって……説明するまでもないことだ。
だがとても嬉しかった。もしこの高校まで何か変わっていたらどうしようかと緊張していた。
俺があまりにきょろきょろしていたのか、教師の一人が声をかけてきた。
「どうした灰国? まるで始めて来る学校みたいにして?」
数学教師であり、我が2年2組担任の曽村虎雄だ。小汚い無精ひげも暑苦しそうなスーツも何も変わっていない。
「いえ、別に何も……」
「敬くーん、遅いよー」
紅華さんが大きな声を出して手を振って……って。
紅華さんは恥ずかしくないのか? 登校中の生徒達に教師達が一斉にこっちとあっちを見る。俺はもう顔から火が出そうだ。
「お前と西條はいつも仲がいいな。俺もそういう幼馴染欲しかったよ」
西條……、西條紅華、西條紅華か!
迂闊だった、思い当たった。
昨日までの父さんがよく言っていた。
『西條グループの一人娘はお前と同い年なんだよ』と、『エライべっぴんさんらしいよ』と。
西條の一人娘と幼馴染かぁ! これはもう将来安泰だな! アハハハハハハハハ!!
「灰国? どうした灰国!?」
「すみません先生。もう、わけが分かりません……」
駄文ですが読んでいただけたとしたらありがとうございます。
褒めてもらっても貶してもらっても構わないです。




