第八話「被疑者」
西署に来て二週間が経った頃だった。
堀田が取調室から出てきて、桐島の席に来た。
疲れた顔をしている。
「桐島さん、ちょっといいですか」
「何ですか」
「取調べ、詰まってて。替わってもらえませんか」
桐島は手元の書類から顔を上げた。
「俺が」
「はい。あの男、俺とは話さないんですよ。黙るか、知らないの一点張りで」
「証拠は」
「車上荒らし三件、財布の窃盗二件。防犯カメラに映ってます。言い逃れできない状況なんですが」
「それで認めないなら、認めるまで待てばいいんじゃないですか」
「石田係長が早く落とせと」
桐島は少し考えた。
それから立ち上がった。
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取調室に入ると、男が座っていた。
四十代、痩せている。
目の下に隈がある。
疲れているのか、眠れていないのか。
桐島は向かいに座った。
書類を一枚持ってきただけで、他には何も持っていない。
男は桐島を一瞥して、また視線を落とした。
桐島は何も言わなかった。
一分が経った。
二分が経った。
桐島は書類を眺めるでもなく、男を急かすでもなく、ただ座っていた。
男が先に口を開いた。
「……さっきの人と違うんですね」
「そうです」
「怒鳴らないんですか」
「必要ないので」
男はそれを聞いて、少し肩の力が抜けた気がした。
また沈黙があった。
今度は五分ほど。
「証拠、あるんですよね」
「あります」
「カメラに映ってた」
「そうです」
男はテーブルの上で手を組んだ。
組んで、また解いた。
「なんで盗ったか、聞きますか」
「聞いてもいいし、聞かなくてもいいです」
男は少し桐島を見た。
何かを測るような目だった。
「俺、去年仕事なくして。家賃が三ヶ月滞ってて」
「そうですか」
「最初の一回は、本当に食えなくて。財布、落ちてたから拾った感覚で……でもそれからが止まらなくて」
桐島は聞いていた。
頷くでもなく、メモを取るでもなく、ただ聞いていた。
「最低ですよね」
「最低かどうかは俺が決めることじゃないです」
男はしばらく黙った。
「認めたら、どうなりますか」
「それは俺には分からない。弁護士に聞いてください」
「正直に言った方がいいですか」
「俺には勧める立場にないです。ただ、証拠はあります。それだけです」
男はまた少し黙った。
それから、静かに言った。
「……全部、話します」
桐島は書類をテーブルの端に置いた。
「録音、始めます」
「はい」
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取調室を出ると、堀田が廊下で待っていた。
「落ちましたか」
「話すそうです。あとは堀田さんがやってください」
「え、桐島さんが最後まで」
「俺じゃなくていいです。話す気になっただけです」
堀田は少し呆然とした顔をした。
「何を言ったんですか」
「何も」
「何も言わずに落としたんですか」
「待っただけです」
堀田はしばらく桐島を見ていた。
それから、小さく息を吐いた。
「権蔵って呼ばれる理由、少し分かった気がします」
「動かないからですよ」
「そうじゃない気がしますけど」
桐島は答えなかった。
自販機に向かって歩いた。
缶コーヒーを買った。
ブラック。
百三十円。
温かかった。




