第三話「同期」
矢島から連絡が来たのは、木曜の夕方だった。
久しぶりに飲まないか、と。
それだけだった。
矢島孝則。
同期だ。
同じ年に採用されて、同じ教場で半年過ごした。
あの頃は似たような顔をしていた。
今は違う。
矢島は警視だ。
本庁に籍を置いて、桐島とは別の空気を吸っている。
断る理由もなかったので、桐島は行くことにした。
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駅前の居酒屋、カウンター席。
矢島はすでに来ていた。
スーツのまま、ビールを半分ほど飲んでいる。
「遅い」
「定時に上がっただけだ」
桐島は隣に座って、同じものを頼んだ。
矢島は少し笑った。
昔からそういう笑い方をする男だった。
口の端だけで笑う。
「元気か」
「見ての通りだ」
「そうだな」
矢島は手元のグラスを見た。
何か言いたいことがあるのは分かった。
でも桐島は訊かなかった。
訊かなくてもそのうち出てくる。
しばらく、他愛のない話をした。
共通の知人の近況、署の異動、どこそこが閉店したとかしないとか。
矢島はよく喋った。
桐島は相槌を打った。
二杯目に入ったところで、矢島が言った。
「お前、後悔してるか」
唐突だった。
でも桐島には文脈が分かった。
「何を」
「出世しなかったこと。というか……色々」
色々、というのが正直なところだろうと桐島は思った。
妻のことも含めて、たぶん。
「今更後悔したところで何か変わるのか」
矢島はしばらく黙った。
グラスを回している。
「俺はたまに後悔する」
桐島は何も言わなかった。
「お前みたいに生きれば良かったって、たまに思う。本庁は疲れる。上も下も気を遣う。家族とも上手くいってない。何のために走ってきたのか、たまに分からなくなる」
言い終えて、矢島は苦笑した。
「みっともないな」
「そうでもない」
桐島は短く言った。
慰めではない。
そうでもない、と思ったから言った。
走ってきた人間が立ち止まって迷うのは、みっともなくも何ともない。
ただそういうことだ。
「お前はいいよな。飄々としてて」
「そう見えるだけだ」
「じゃあ実際は」
「飲んでる」
矢島が少し笑った。
今度は口の端だけじゃなかった。
三杯目を頼んだ。
肴に焼き鳥を追加した。
話の中身は薄くなっていった。
昔の武勇伝、失敗談、教官の悪口。
そういうものを二人で掘り起こした。
閉店近くになって、矢島が伝票を取った。
「俺が出す」
「そうか」
「たまには付き合え」
「今日付き合っただろう」
「そういう意味じゃない」
桐島は分かっていた。
分かった上で言った。
店を出ると、夜風が冷たかった。
矢島はタクシーを捕まえて、乗り込む前に振り返った。
「お前がそこにいると、なんか安心するんだよな」
桐島は答えなかった。
答えるような言葉が出てこなかった。
タクシーが走り去った。
桐島はしばらくその場に立っていた。
安心、か。
自分が誰かの安心になっているとは、あまり考えたことがなかった。
悪くはない、と思った。
思っただけで、それ以上は考えなかった。
駅に向かって歩き始めた。
夜風は相変わらず冷たかった。




