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権蔵刑事  作者: N
3/9

第三話「同期」

 矢島から連絡が来たのは、木曜の夕方だった。


 久しぶりに飲まないか、と。

それだけだった。


 矢島孝則。

同期だ。

同じ年に採用されて、同じ教場で半年過ごした。

あの頃は似たような顔をしていた。

今は違う。

矢島は警視だ。

本庁に籍を置いて、桐島とは別の空気を吸っている。


 断る理由もなかったので、桐島は行くことにした。


---


 駅前の居酒屋、カウンター席。

矢島はすでに来ていた。

スーツのまま、ビールを半分ほど飲んでいる。


「遅い」


「定時に上がっただけだ」


 桐島は隣に座って、同じものを頼んだ。

矢島は少し笑った。

昔からそういう笑い方をする男だった。

口の端だけで笑う。


「元気か」


「見ての通りだ」


「そうだな」


 矢島は手元のグラスを見た。

何か言いたいことがあるのは分かった。

でも桐島は訊かなかった。

訊かなくてもそのうち出てくる。


 しばらく、他愛のない話をした。

共通の知人の近況、署の異動、どこそこが閉店したとかしないとか。

矢島はよく喋った。

桐島は相槌を打った。


 二杯目に入ったところで、矢島が言った。


「お前、後悔してるか」


 唐突だった。

でも桐島には文脈が分かった。


「何を」


「出世しなかったこと。というか……色々」


 色々、というのが正直なところだろうと桐島は思った。

妻のことも含めて、たぶん。


「今更後悔したところで何か変わるのか」


 矢島はしばらく黙った。

グラスを回している。


「俺はたまに後悔する」


 桐島は何も言わなかった。


「お前みたいに生きれば良かったって、たまに思う。本庁は疲れる。上も下も気を遣う。家族とも上手くいってない。何のために走ってきたのか、たまに分からなくなる」


 言い終えて、矢島は苦笑した。


「みっともないな」


「そうでもない」


 桐島は短く言った。

慰めではない。

そうでもない、と思ったから言った。


 走ってきた人間が立ち止まって迷うのは、みっともなくも何ともない。

ただそういうことだ。


「お前はいいよな。飄々としてて」


「そう見えるだけだ」


「じゃあ実際は」


「飲んでる」


 矢島が少し笑った。

今度は口の端だけじゃなかった。


 三杯目を頼んだ。

肴に焼き鳥を追加した。

話の中身は薄くなっていった。

昔の武勇伝、失敗談、教官の悪口。

そういうものを二人で掘り起こした。


 閉店近くになって、矢島が伝票を取った。


「俺が出す」


「そうか」


「たまには付き合え」


「今日付き合っただろう」


「そういう意味じゃない」


 桐島は分かっていた。

分かった上で言った。


 店を出ると、夜風が冷たかった。

矢島はタクシーを捕まえて、乗り込む前に振り返った。


「お前がそこにいると、なんか安心するんだよな」


 桐島は答えなかった。

答えるような言葉が出てこなかった。


 タクシーが走り去った。


 桐島はしばらくその場に立っていた。

安心、か。

自分が誰かの安心になっているとは、あまり考えたことがなかった。


 悪くはない、と思った。

思っただけで、それ以上は考えなかった。


 駅に向かって歩き始めた。

夜風は相変わらず冷たかった。

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