第9話 なんでこうなっちゃうの!?
カーテンの隙間から朝日が射し込んでいた。
ベッドで寝返りを打った素奈多は、寝言をつぶやきながらぎゅっと枕を抱きしめた。
……つもりだった。
「せんぱぁい……」
夢の中の王子様と、素敵なラブシーンを演じているのだ。
その、ねぼけた耳に、不機嫌な声が聞こえたような……気がした。
「……るんじゃねぇ」
地獄がそこまで忍び寄っていた。
素奈多は、天使の羽根の王子様に抱きしめられて、ほんのりと頬を染めた。
優しい先輩の笑顔が素奈多を酔わせた。
抱きしめられた腕の力強さが、委ねられる幸せを感じさせてくれた。
ああ、誰かに抱きしめられるって、気持ちいい……。
「先輩……。あたしも、先輩のこと、ずっと好……」
はにかんで囁くと、その見上げた視線の先の先輩の姿が、みるみる変わっていった。
金色に輝いていた天使の羽根が、闇色のコウモリの羽根に変わり、頭にはにょきにょきと悪魔のねじれた角がはえ、抱きしめた腕の先の爪が、鋭くとがって素奈多の柔らかな皮膚を突き刺した。
優しかった先輩の表情が、冷たい感情のない醜悪なものに変化する。
悪魔……。
悪魔だ。
「気安く触るんじゃねぇ」
悪魔に変わってしまった先輩はボソッとつぶやいた。
「え?」
あまりの変容にとまどって、間抜けな声を出してしまった素奈多は、魂を抜かれたような顔をして悪魔を見上げた。
素奈多は、うううん、とうなされてベッドで身をよじった。
うっすらと目を開け、ねぼけまなこで抱きしめた枕に顔を埋める。
「べたべた触るんじゃねぇって言ってんだよ」
枕が口をきいた。
……は?
寝ぼけた脳味噌に、ガツンと喝が入ったような感じだった。
いつもよりは、ごつごつした、妙にあたたかい枕が、男の声で喋ったのだ。
素奈多は、パチッと目を開けて抱きしめていた枕を確認した。
枕……。
サラサラの茶髪が、間近にあった。
枕が茶髪?
そんなわけがなかった。
素奈多は、あり得べからざる現実に動転して、その枕……だったはずのものを抱きしめたまま硬直してしまった。
「ねぼけてんじゃねぇよ」
再び、枕が口をきいた。
長いまつげ、整った鼻筋、頬に光る産毛までが超ドアップで眼前にある。
抱きついた胸のあたりが、妙に生々しい感触で、素奈多は冷や汗を流した。
な……、なにも着ていない……!
「うひゃぁぁぁぁぁぁっっ!」
素奈多は、布団をはねのけると、とんでもなくあわてたオーバーアクションで身を翻し、その弾みで足を踏み外してベッドから転がり落ちた。
「あうあうあうあうあう……」
言葉にならない声を発しながら、腰を抜かしてベッドの上を指さす。
「ああーあ……」
むっくりと、ベッドの上に半身を起こした人影があった。
裸だ。
裸の男が、素奈多と添い寝をしていたのだ。
「くくくく……九嵐……せんせんせんせん……」
ベッドの上で不機嫌な顔をしている裸の男は、九嵐にそっくりだった。
素奈多は夢の続きを見ているのかと思って、自分の頬をぺちぺちと叩いた。
なんとなく痛くないような気がする。
夢?
先輩といっしょにベッドで寝てるなんて、夢だよね?
素奈多は念のために、おもいっきり太股をつねってみた。
「いったぁ……い!」
飛び上がるほど痛かった。
「間抜けなことやってんじゃねぇよ」
ベッドの上の先輩は言った。
先輩?
でも、先輩は、こんな言葉遣いをしただろうか?
「みゃぁん」
床にへたりこんで震えている素奈多のもとに、ニセキジがすり寄ってきた。
ニセキジ……。
ねぼけた思考回路が、一本の線で繋がった。
卵!
そうだ。
枕元に置いておいた卵はどうしただろう?
先輩の髪の毛を入れた、あの卵だ。
素奈多が必死に卵を確認しようと身を乗り出すと、裸の男が枕元からなにかをつまみ上げた。
「あっ!」
素奈多は愕然とした。
同じだ。
ニセキジを発見したときと同じ、プラスチック片のようなかけらを男はつまみ上げている。
それをじぃっと見つめて、裸の男はやれやれと首を振った。
「ちぇ。期限切れでやんの。しかも、何お前? 一般人? ……事故かよ?」
男は、手にしたかけらを口にはこんで、それをしゃりしゃりとお煎餅のように食べ始めた。
――期限切れ?
そういえば、卵のおしりのあたりに数字が入っていた。
あれが日付だろうか?
「事故って……? あ、あんた、誰よっ?」
勇気を振り絞って、素奈多は声を張り上げた。
「さあ」
男は、かけらを食べながら、興味なさそうに首をかしげた。
「さあって……。そんな、九嵐先輩そっくりの顔して……さあって、ことないでしょっ!」
素奈多は、ムキになった。
すっかり頭の中が混乱して、なにがなんだかわからなかった。
「とろくせ~なぁ。おまえが創ったんだから、好きな名前つけて呼べばいいじゃん?」
創った……?
やっぱり、あの卵からこの男は生まれたのだろうか?
そんな荒唐無稽なことを、半ば信じている自分がいた。
ニセキジのこともあったし、この男は、こんなに先輩にそっくりな顔をしている。
でも、話し方と雰囲気が、先輩とはぜんぜん違っていた。
本物の九嵐先輩が天使のような人だったら、こいつは悪魔……。
素奈多は、さっきの夢を思い出して暗澹たる気分になった。
「名前? あたしがつけるの?」
おずおずと素奈多が訊く。
「そう。かっこいいのたのむぜ」
裸の男は、ニッと笑って促した。
ああ、でも、笑うと、憧れの九嵐先輩と同じ顔だ……。
素奈多は泣きそうになった。
「そんなの、クランしか思い浮かばないよ……」
すねたようにつぶやいた。
だって、本当に、その顔にはクランっていう名前しかふさわしくないような気がするのだ。
素奈多はがっくりと肩を落とした。
男は鼻を鳴らした。
「クランね、ふうん。ま、いっか……」
男、いや、クランは殻を食べ終わり、指を旨そうにしゃぶった。
その、なんとなく下品な動作を見守って、素奈多はため息をついた。
「信じられない……。ホントそっくり……」
クランは、落胆する素奈多を見て楽しそうに言った。
自分を親指で指し示す。
「ははん。おまえ、こいつに惚れてんな?」
素奈多は、見透かされたのでどぎまぎする。
「う、ううっ……。悪い?」
クランはクスッと笑った。
悔しいことに、笑顔が素敵だった。
「おまえの名前は?」
素奈多はポツンと答えた。
「そ、素奈多……」
クランは、ニィッと笑うと、バサッとシーツを翻して立ち上がった。
シーツを身にまとい、うやうやしく礼をする。
さっきの夢の中の王子様のようだった。
「素奈多……俺は、おまえに会うために産まれた。おまえだけのものだ……」
驚いて硬直した素奈多の目の前に迫り、ふわっと抱き寄せる。
――ああ……うそっ……先輩のアップ……。
素奈多は、かちかちに固まって、クランの整った顔を見つめた。
「愛してる、素奈多……」
思いっきりシリアスな表情で愛の言葉を囁き、クランは顔を近づける。
――うわっ……!
素奈多は混乱したまま、反射的に目を閉じた。
とんでもなく変な状況ではあったけれど、期待していないと言えば嘘だった。
先輩が好きで好きで、どうしようもなかったから、あんな得体の知れない卵に髪の毛を入れたりしたのだ。
目を閉じてキスを待っていると、素奈多を抱きしめた男の腕が、ふるふると震えた。
「ぎゃははははは! な~んてなっ!」
顔面に唾がかかるほど、爆発的に大笑いされて、素奈多はきょとんと目を開けた。
「うっそ~~っ!」
トン、と素奈多を突き放し、クランはばっさばっさとシーツを羽ばたかせながら笑い続けた。
シーツがばさばさするたび、男の裸の肢体が丸見えになる。
当然、彼は、下半身にもなにも身につけてはいなかった……。
「ああぁぁぁ……」
目のやり場に困って、素奈多は顔をうつむける。
そんな乙女の恥じらいになどおかまいなしで、クランは笑いながら言った。
「いつまでも王子様夢見てんじゃねーって。男はオオカミよ? その、なんとかって先輩も、腹ん中じゃ、なに考えてんだか判ったもんじゃねーぜぇ……」
素奈多は、先輩を侮辱されてムッとして顔を上げた。
「九嵐先輩を侮辱しないでっ! なによっ! あんたなんか、顔は先輩にそっくりでも、中味はぜんぜん違うんだからっ!」
睨みつけた弾みで、また、見てしまい……、素奈多は真っ赤になってうつむいた。
クランは、ククッと笑った。
「中味が違う? たりめーじゃん? だいたい、おまえ、俺みたいなもん創っちまって、やばいって判ってんのか? クローン・有機アンドロイド等製造禁止条例って知らねぇのかよ? 犯罪だぜぇ。あ~あ。捕まったら、死刑かもなぁ~?」
「犯罪? クローン? あんた、本当に、あの卵から生まれたの?」
今度は、顔を見ずにうつむいたまま言った。
「なんだよ? やっぱ、知らなかったのかよ? だっせー……」
「あんたこそ、なんで、産まれたばっかりなのに、そんなこと知ってるのよ?」
「おまえが知らなすぎんだよ。高速再生型のヒト・クローンには、セーフティ機構として、培養過程で初期教育がインプリンティングされんの。常識だぜ」
ガラが悪いくせに、難しいことを平気で言う。
ガラの悪さと頭の作りは比例しないのかもしれないが、素奈多はばかにされたみたいで悔しかった。
「インプリンティングって、なに?」
「ひよこが産まれて初めて見た動くものを親だと思いこむのと同じだよ」
「あたし、あんたの親じゃないけど」
クランは、がくっとずっこけた。
「ま、まあ、わかんねーもんに説明してもしゃーねーか……」
素奈多はふるふると首を横に振った。
「わかんないわよ……。あんた、誰なのよ? なんで、先輩の顔で、そんな乱暴な言葉使うのよ? ぜんぜん、違うわよ。なんでこんなことになっちゃったのよぉっ!」
本当になにがなんだかわからなくて、素奈多は泣きたくなった。
「るせーな。ウテルス・カプセルをどこで手に入れたか知らねーけどよ、俺は、おまえの憧れの先輩とは違うんだよ。あきらめな」
ウテルス・カプセル?
ウテルスは、確か、子宮のことだ。
あの卵は、そんな名前で呼ばれているのか……。
だけど、素奈多はそんなことよりも、先輩とそっくりの男の冷たい態度に、ダメージを受けていた。
彼の言動が痛くて、先輩と似ても似つかないのが辛くて、素奈多は赤ん坊のように泣き出した。
「ふえ……ふえぇぇぇん」
起こってしまったことが理解不能で、まるでわけがわからなくて、もう、泣くしかなかった。
泣いて泣いて、すべてが流れていってしまえばいいと思った。
クランは、シーツにくるまったまま、やれやれと耳に指を突っ込んで、顔をしかめた。




