第5話 魔法のクローゼット
素奈多は、机の上の小瓶をつまみ上げ、電灯に透かしてみた。
中で、髪の毛が一本光っている。
あの日から、この髪の毛は素奈多の御守りのようなものだった。
辛い受験勉強も、これがあるからがんばれた。
ぜったい、先輩と同じ学校に行くんだって決めて、一生懸命がんばった。
この小瓶を握りしめると、いつも先輩といっしょにいられるような気がして心強かった。
「九嵐先輩……」
ポッと頬を染めてつぶやくと、素奈多は小瓶を胸に抱いた。
こうして先輩のことを想うと、胸の奥がほわんと暖かくなってくる。
恋って心が温かくなるんだなと思って、素奈多は多幸感に酔った。
そのとき。
後ろのクローゼットの中から、妙な音が聞こえてきた。
パリパリ。
薄いプラスチックとか、お煎餅が割れるときの音だ。
不審に思って、素奈多は机を離れ、クローゼットの前に立った。
取っ手に手をかけて、開くのをためらう。
ホラー映画みたいに、ここを開けたら妙なものが出てきたりしたらどうしようと、胸に不安がよぎった。
中から出てくるのは血だらけの死体か、チェーンソーを持った殺人鬼か……。
パリパリパリ……。
奇妙な音は、なおもクローゼットの中から聞こえている。
「ううっ……」
自分の部屋の中のことだ。
このまま放ったらかして寝るわけにはいかない。
素奈多は涙目になりながら、クローゼットの取っ手にかけた手を引っぱった。
「うきゃぁぁぁぁぁ!」
なにも見ていないうちから、悲鳴が出た。
素奈多は後ろにふっとんでシリモチをつき、あうあう言いながらクローゼットの中を凝視した。
去年の秋に買ったロング丈のコートの裾が揺れている。
「うわうわうわ……」
腰を抜かしたまま、じりじりと後ずさった。
と。
みゃぁ~……。
猫の声がした。
一瞬、素奈多の頭の中の回線が、ぷつぷつと何本か切れた。
コートの裾を揺らして現れたのは、茶色と黒のキジトラの猫だった。
「キジタロー……?」
いつも、医学部の裏門のあたりをなわばりにしている野良猫だ。
いや。
猫を連れて帰ったはずもないし、いくら猫だといっても、その大きさのものがポケットに紛れ込んでしまうわけもない。
ポケット?
素奈多は、みゃあみゃあ言いながらすり寄ってくるキジタロー……? をしりめに、床を這ってクローゼットまで近づいた。
中をのぞき込む。
猫が潜んでいたコートの陰に、淡いベージュの小さなかけらが落ちていた。
欠けた下敷きの破片のような……。
薄手の湯飲み茶碗のかけらのような……。
手にとってためつすがめつしながら、反対の手でクローゼットに吊ったカーディガンの、ポケットを探った。
毎日、学校へ行くときに羽織る、サーモンピンクのカーディガンだ。
ポケットにつっこんだ指先に、ザラッとした感触が触れた。
あわてて、手をひっこめた。
みゃぁみゃぁ。
足下で猫がご飯をねだるように鳴いている。
素奈多は、震える手で、もう一度カーディガンのポケットに手をつっこんだ。
指先が、ザラッとしたものをつまみ上げる。
それもまた、薄いプラスチックのようなかけらだった。
素奈多は、ポケットをひっくり返した。
中から、バラバラと同じようなかけらがこぼれ落ちてくる。
なんとなく、思い当たるフシがあった。
今日、学校に持っていって、ここに入れたまま取り出し忘れていたものといえば……。
卵だ。
医学部の裏門のゴミステーションから持ってきてしまった、あの、奇妙な卵だった。
「みゃう~」
足に、猫が頭をすりつけている。
キジトラの頭に視線を落とした。
あり得べからざる考えが、脳裏をよぎった。
「まさか……、生まれた……?」
素奈多は、自分で吐き出した言葉におののいて、ストンとしゃがみこんだ。
甘える猫を抱き上げる。
その無邪気な顔を、まじまじとのぞき込んだ。
「おまえ、ほんとに卵から生まれたの?」
「みゃ~う?」
語尾を上げるようにして首をかしげるキジトラの猫は、どこから見ても、ほんとに、あの野良猫のキジタローと、うりふたつだった。




