第40話 それはあの日の……
パーティで少しお酒をいただいて、素奈多はほろ酔いでクランのアパートに着いた。
タクシーで玄関前まで付き、クランに手を引かれて中に入ると、ドアマンが気さくに声をかけてきた。
いかにもアメリカ映画に出てくるような、太ったおじさんだった。
「ハイ、クラン! そっちのお嬢さんが噂のソナタだね?」
「ああ。サム。めっちゃキュートだろ?」
「あの、初めまして」
素奈多は、すかさず挨拶をする。
「あんたの荷物は、部屋に運んどいたよ。いい夜を」
「サンキュー、サム」
二人の軽妙なやりとりを見て、クランは、ここで自分の生活を築いてきたんだなぁ、と素奈多は思った。
エレベータに乗り込むと、クランは素奈多の頭をきゅっと腕で抱き込む。
「ほんとに、夢みたいだ……」
しみじみとクランはつぶやいた。
「信じていれば、かなうんだな……」
「また会えたのは、ほぼ全部、あたしの努力のお陰だけどね」
クランはパッと破顔した。
「だよなー! ほんと、素奈多すげーよ! 俺、こんなすげー女に惚れられてんだって、思うとさ、みんなに自慢しまくっちゃって……」
「それで、あの歓迎?」
「まあ……。……えっと、もしかして、嫌だった?」
素奈多は、微笑んだ。
「ううん。びっくりしたけど、クランが、みんなの中でいっしょに笑ってて、ちゃんと存在が認められてて……。生きていてくれて……」
泣かないと誓ったのに、涙が溢れた。
クランに会えた途端、緊張の糸が切れたように、素奈多は泣き虫になった。
「素奈多……」
クランは、そっと素奈多のおとがいをすくい上げる。
「嬉しかっ……」
最後の一文字は、キスで塞がれて、発することは出来なかったけれど、もう、言葉は必要なかった。
エレベータが五階に着き、扉が開くと、クランの向かいの部屋のスーザンがエレベータを待っていた。
「あら」
「やあ、スーザン。彼女が、前から話してたソナタ」
またしても、思いっきりキスシーンを目撃されて、素奈多は少しはにかむ。
「こ、こんばんは」
スーザンは、三歳の女の子の母だ。多分、今、家には旦那と娘が留守番していることだろう。
「おー! ソナタ! 会いたかったわ。ほんとにキュート。お人形さんみたい。わからないことは何でも訊いて」
「あ、はい。ありがとうございます」
「今ね、あなたたちのためにシャンパンを買いに行こうと思ってたんだけど……、明日の方が良さそうね」
スーザンは察しがいい。
「そうだね。だって、十年ぶりだぜ? 運命の夜だろ?」
クランが笑う。
「オーケイ。じゃ、明日は、うちでディナーね」
「ありがとう、スーザン」
「あ、ありがとうございます」
スーザンは、エレベータに乗るのをやめ、二人と一緒に廊下を歩いた。
明日、素奈多の話を聞くのが楽しみだわ、とか、他愛のない話をつらつらとして、向かい合ったドアの前で立ち止まった。
「じゃ、クラン、ソナタ、いい夜を」
ニコッと笑って、スーザンはドアの向こうに消えていく。
クランは、ポケットから鍵をチャランと出して、505と書かれた部屋のドアを開けた。
「どうぞ。君の家だよ」
クランは、ドアを手で押さえたまま、反対の手で素奈多をエスコートするように、部屋の中に迎え入れる。
ドアを閉め、鍵をかけると、手に持っていた鍵を、素奈多の手に握らせた。
え? と思って素奈多がクランを見上げる。
「合鍵。ないと困るだろ? ここは日本みたいに安全じゃないぜ? まあ、ドアマンはいるけどな」
「なんか……、ずっと思ってたけど、大人になったね、クラン」
言いながら、素奈多は握らされた鍵を見た。
キーホルダーがついている。
大仏……だった。
「は?」
素奈多は、鍵を目の高さまで持ち上げて、そのマスコット? を確認した。
「いいだろ? 佐藤に頼んで、取り寄せて貰った」
「あんた……」
「それさ、おそろいなんだ」
ニコニコ笑いながら、クランは自分の鍵も取り出して、キーチェーンに着いた大仏をゆらゆらさせた。
「……えっと、やっぱり、あんまり、変わってないかもね」
「だってよ……。おまえが買ってくれたTシャツ、気に入ってたわけよ。俺にとっては、すげー大切な思い出なわけ。あの、たった数日間が……」
素奈多は、うなずいた。
「うん。言うとおりだね。あの数日間で、私も運命が変わった。クランが居たから……ここまでがんばれた」
「と、ゆーわけで……!」
クランは、いきなり素奈多を抱き上げた。
「ひゃあ!」
そのまま、お姫様抱っこで、ベッドルームに連れて行く。
「く、靴……」
素奈多はジタバタする。
「ばーか。ここはアメリカだぜ? 靴なんて、その辺にポイよ」
「その辺にポイ!?」
なるほど。
そう言われてみれば、靴のまま、相手の衣服を互いにもどかしく脱がしていく男女の濡れ場、みたいな洋画を見たことがある……ような……。
そのときは、確かに、靴は脱ぎ捨ててポイだった。
素奈多は、してきたはずの心の準備を、どこかに置き忘れたような気分になった。
「なーんてな」
クランは、そんな素奈多を安心させるように、そっとベッドに腰掛けさせた。
靴を脱がせて、ベッドサイドに置く。
「ゆっくり、な」
そう言って、クランは素奈多の隣に座る。
自分の肩に素奈多をもたれさせて、優しく頭を撫でた。
「素奈多……」
「うん」
「あの日、お前が退院した時さ……。虹が出てたろ?」
「えっ?」
あの青空にかかった天弓を、クランも見ていたのか?
どこかの窓から?
「キレーだなって思ったんだ。この世には不思議なことや綺麗な物がいっぱいあって、それを、おまえと一緒に見たり、聞いたり、体験したりしたいなって、思ったんだ」
「うん。私も思った」
クランは、素奈多の頭を抱きしめて、そっと額に、髪に、唇を落とした。
「ありがとな、素奈多」
「ん?」
「生まれてきて、良かった……」
素奈多の胸いっぱいに、甘い疼きが広がった。
最初は事故だったかもしれない。
興味本位で創ってしまった、失敗作だったかもしれない。
だけど、あの数日が、十年の歳月をかけて彼を追い続けることになった。
今、クランはここに居て、互いのぬくもりを感じ合える。
「クラン……」
素奈多は、クランの首に抱きついた。
そのまま、ベッドの上に押し倒す。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
そう言って、右手で長い髪を耳にかけ、そっとクランにキスをした。
幕




