第37話 空にかかる天の弓
昨日からの雨が上がる頃、素奈多は退院した。
駆けつけた両親が、何があったんだ? 説明しろ? 傷は消えるのか?
などなど、うるさく聞いてきたが、リンゴをむいたら失敗してザックリいった、で押し通した。
首の傷は、肌色のテープと着け襟で隠した。
首の方はもともと刃先がちょっと食い込んだだけだ。
すぐ治る。
ナイフなんかで人を刺したりすると、人体は案外固いので、それを握っている人も、刃先に自分の手を滑らせてしまうという話は聞いたことがあったが、本当なんだな……。
と、素奈多は、スパッと切れた右手の親指と人差し指の間に巻かれた包帯を見て思った。
多分、クランの右手の傷は、もっと深い。
あんな、フラフラな状態だったのに、全力で止めに入ってくれた。
それだけで、がんばれる。
もし、再会できたとしても、それは何年も、何年も先だろう。
それまでに、色んな困難があって、ひとつひとつハードルを越えていかなければならないだろう。
ずっと一緒に居たのに……。
アメリカ?
九嵐先輩の研究?
――遠くに行きすぎだよ、クラン……。
退院間際に、田中に小さな箱を渡された。
箱の中には瓶が入っていて、その中は白いサラサラした灰だった。
クランの遺灰だと言われた。
田中が神妙な顔をしていたので、素奈多も神妙な顔をして受け取った。
でも、クランは生きている……。
中の灰は何だろう?
と思って田中がいなくなってから、瓶を出して眺めてみた。
おばあちゃんの遺骨を火葬場で拾ったぐらいしか経験はないが、確かに、骨を砕いて粉にしたもの、のように見えた。
しばし瓶を眺め、箱に戻そうとしたとき、箱の底に、二つに折りたたんだ紙が入っているのに気づいた。
それを取り出して開くと、なにかよくわからない、珍妙なものが描かれていた。
珍妙な……。
幼稚園児が書いた動物のような……。
「ニセキジ!」
その画伯の描いた絵とニセキジを結びつけた自分は、天才だと素奈多は思った。
多分、クランが描いたんだろう。
「へったくそ……」
つぶやいて、素奈多はひとりで笑った。
良かった。
ニセキジは、ちゃんと荼毘に付されたんだ……。
研究室の人たちに、きちんと葬ってもらったんだ。
ごめんね。勝手に作り出しちゃって……。
でも、ありがとう、ニセキジ……。
――君は、あたしとクランを繋いでくれた架け橋だよ……。
病院の前にタクシーが滑り込んできた。
母が、素奈多を促す。
ふと、空を見上げた。
「おかあさん、虹……」
雨上がりの空に、大きな天の弓が広がっていた。
「あら……」
母も空を見上げる。
目標は決まった。
あの大きな弓をキリキリと引き絞って、狙いを定めて一直線だ。




