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合わせ鏡が描く天弓(にじ)~卵から憧れのイケメン先輩が生まれちゃったんだけど、セーカクサイアクで困ってます  作者: 東條零
第六章 筺の中の希望

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第35話 君と見た海へのレクイエム

 素奈多は、ぼんやりと目を開けた。


 視界がゆらいで、像を結ぶ。

 四角く白いマス目が見えた。

 それが天井だと気づくのに、少し時間がかかった。


 いっぺんにいろんなことがありすぎて、記憶が順序よく蘇ってこなかった。


 首を動かすと、首筋にピリリとした痛みが走った。

 痛みに顔をしかめながら、仰臥したまま左右を目だけで伺った。


 無機質な白い壁と、天井のカーテンレール。

 大きな横開きのドアと、長い取っ手。


 どうやら、病室のようだ。

 あのあと、気を失ってしまったらしい。


 布団の中から右手を出した。

 包帯が巻かれている。

 親指の又が痺れたように痛んだ。

 メスで切ったんだな、と思った。


 唐突に、血まみれになって倒れたクランの姿が思い浮かんだ。ぶわっと涙があふれ出た。


 涙と同時に、少しずつ、記憶が蘇ってくる。


 あれから、クランはどうなっただろう……。


 個室でのうのうと寝ている自分が恨めしかった。


 ――クラン、死んじゃったのかな……。


 たとえクローンでも、かけがえのない命を作り出して、殺したのは自分だと思った。

 あのとき、興味本意で先輩の髪の毛なんか卵に入れなければ、クランは生まれてくることも、苦しむことも、死んでしまうこともなかった。


 ――あたしが苦しめて、あたしが殺した……。


 素奈多は、両手の甲を目にもっていった。

 手で隠した瞳から涙があふれ頬を伝う。


 わあわあ泣きわめきたいのに、ただ、とめどなく涙が流れるだけだった。


 誰も見ていないのに、なんで、こんなに静かに泣くんだろうと思った。


 泣き叫ぶにもパワーが必要なのだ。

 完全に、ノックアウトされた気分だった。

 自分の力ではどうしようもない、巨大な壁に正面からブチ当たって、粉々に砕け散った気分だった。


 拳を握りしめても握力が出ないし、声を出そうにもおなかに力が入らない。


 涙といっしょに、全部、溶けて流れてしまえばいいと思った。

 ゆるゆるのあたたかい水になって、クランの眠るところまで流れていけたらいいと思った。


 そして死んでしまった彼と溶けて混ざり合い、誰も知らないところに流れていくのだ。

 二人で一緒に、流れていくのだ。


 そうできたらいいと思った。


 心から思った。


 クランは幸せだっただろうか?

 この世界に生まれてわずか数日……。

 旅行に行って、海を見て、温泉に浸かって……。


 だけど、こんなに早く逝ってしまうなら、生まれてこなかった方が良かったんじゃないだろうか。


 ――あたしのせい……。ごめんね、クラン……。



 そのとき、ノックの音が素奈多の耳に響いた。

 溶けて流れてしまいたいと思っていても、耳はちゃんと聞こえるのだ。


 素奈多は、目を覆った手をどけて、戸口に視線を移した。


 白衣を着た男が静かに入ってきた。

 佐藤九嵐だった。


 憧れの先輩だった。

 この先輩に憧れて、憧れて……。

 猛勉強をしてここの大学の付属高校に入学したのは、遠い昔の出来事のようだった。

 毎日毎日、夢の中でさえ、想い続けた先輩だった。


 なのに今は……。


「気分はどう?」


 九嵐は、右手を白衣のポケットにつっこんだまま、静かに訊いた。

 いつか事故で運び込まれたときのような、優しいまなざしだった。


「先輩……」


 素奈多は、かすれた声で言った。


「あたし、大騒ぎして、みんなに迷惑かけて……。ほんとうに、ごめんなさい」


 九嵐は、優しく微笑みながらベッドサイドへ歩み寄った。


「もう、こんな無茶はしないようにね」


 ふわりと九嵐の大きな手が素奈多の頭を撫でる。


 ――あ、れ……?


 素奈多は、強烈な既視感に襲われて目を細めた。


 先刻も、そしていつかも……。

 あいつが同じように頭を撫でてくれた。

 子供扱いされているみたいで少しくすぐったかったけど、不思議とその大きな手が落ち着かせてくれた……。


 素奈多は、九嵐をまっすぐに見上げた。


「先輩、クランは、どうなったんですか?」


 九嵐は、素奈多の視線から逃れるようにゆっくりと首を横に振った。


 それは、彼がもう生きてはいないということか……。


 ――クラン!


 みるみる、素奈多の瞳に涙が溢れる。

 素奈多は震える声で言った。


「……会わせてください」


 九嵐は、かぶりを振る。


「それはできない」

「会ってお別れ言うくらい、いいでしょう?」


 もう一度、顔を見て、抱きしめたかった。

 その頬に、額に、唇に、もう一度触れてみたかった。

 たとえ、冷たく変わり果てた姿になっていたとしても……。


 でも、それさえもかなわないというのか……。


 九嵐は、辛そうに目を細めた。


「彼の遺体は秘密裏に処分されたんだ」

「そんな……」


 素奈多は、もう、なにも考えることができなかった。

 あとからあとから溢れてくる涙を拭いもせず、ただ、小刻みに体を震わせていた。


 九嵐は、震えながら泣いている少女に、その場しのぎの慰めの言葉はかけなかった。

 素奈多が失って泣いているのが、自分のクローンであることを熟知しているがための抑えた行動だろう。


 もし、九嵐に抱きしめられ、同じ声で囁かれたら、錯覚してしまう。


 彼はもういないのに……。


「彼の最期のメッセージを伝えよう」


 九嵐は、静かに言った。

 素奈多は、真っ赤に泣きはらした目で九嵐を見上げる。


 九嵐は、言った。


「愛してる、素奈多。たとえ、二度と会えなくても、俺は、産まれてきたことに感謝する……。俺を、この世界に生み出してくれて、ありがとう」


 素奈多は、茫然と宙を見つめた。

 まるで、クランに言われたようだった。


「……そんなこと、同じ顔で言わないで……」


 あんまりだと思った。

 どうして、クランは、この人のクローンだったんだろう……。


 ぜんぜん違うのに、なにもかもが違う、別の存在だったのに……。


 だけど、顔も声もそっくり同じだったのだ。


 九嵐は顔を覆って泣く少女を、苦しげに見つめた。


「素奈多……」


 ぽそりとつぶやく。

 名前を呼ばれて、素奈多の肩がピクっと震えた。


「伝えたよ。じゃあ、もうしばらくお休み」


 九嵐はそう言うと、さっと身を翻した。

 その体の動きにしたがって、白衣の裾がふわりと翻る。


 病室を出ていこうとする九嵐の後ろ姿を見て、素奈多は爆発するような衝動がこみ上げるのを感じた。

 それは、堰を切った水のようにあふれかえって止めることができなかった。


 素奈多、がばっと起きあがった。

 急に起きたので、ぐらぐらと眩暈がした。

 首の傷がビリビリして、右手の傷も縫ったところが開きそうに痛んだ。


 でも、そんなことにかまってはいられなかった。


 素奈多は、ありったけの大声で九嵐の後ろ姿に叫んだ。


「うそつきっ!」


 ベッドから身を乗り出したら、ぐるんと視界が回って、素奈多は床に転がり落ちた。


 頭から落下したので、目から火花が散った。


 点滴のスタンドが倒れて、凄い音が響いた。


「素奈多……」


 九嵐が、あわてて素奈多に駆け寄った。

 素奈多は、ぐるんぐるん回る視界をもてあましてポカポカと頭を叩いた。


 激しい眩暈は、大時化の海原で小船に乗っているようだった。


 素奈多は助け起こそうとした九嵐を逃がさないように、必死でしがみついた。


「うそつき! なに、お上品な言葉使ってんのよっ! こっちの手、出して見せなさいよっ!」


 素奈多は、ポケットに突っ込んでいた九嵐の右手を、無理矢理、引っ張り出した。


 九嵐の右手には、真っ白な包帯が巻かれている。


 さっき、素奈多の手に握られたメスを素手で握ったヤツがいた。

 掌がざっくり切れて、大出血したに違いない。


 素奈多は、眩暈でぐるぐるになった視界の中で、九嵐が悪戯っぽく笑うのを見たような気がした。


 憧れの九嵐先輩は、絶対、そんな人を食ったような笑顔は見せないのだ。


 素奈多は、勝ち誇ったように言った。


「あたしを騙せると思った? 何十人、先輩のクローンが湧いて出たって、あんたのことくらいすぐ判るんだから……」

「素奈多……」


 九嵐のフリを決め込んでいたクランは、そっと素奈多の頬を両手で挟み込んだ。


「告白するなら、ちゃんと自分で言ってよ……」


 素奈多は、静かに目を閉じる。


 クランは囁いた。


「愛してる」

「もう一度」

「愛してる……素奈多……」


 点滴のスタンドは倒れたままだった。

 スリッパが、あっちこっちに転がっていた。


 素奈多の頭の中は真っ白になって、もう、なにも考えられなかった。

 ただ、この掴んだ手を、抱きしめたぬくもりを決して離してはいけないと、それだけを強く強く想っていた。


 病室の床に座りこんだまま、二人はかたく抱き合い、わずかな時間を惜しむように何度も何度もキスをした。


 時間が止まってしまえばいいと、思った。


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