第34話 誰が罰を受けるのか
クランが研究室に運び込まれ、ソファに寝かされると、素奈多は、いきなり床に土下座した。
「ごめんなさいっ! あたしが、勝手にこんなことしたんです。死刑にでもなんでもなりますから、彼を助けてくださいっ!」
床に手をついてうなだれた少女の傍らに、九嵐はしゃがみ込んだ。
「まず、話をしよう。こっちへ来て、椅子に座りなさい」
九嵐は、素奈多をなだめるように言って、ふわりとその頭にバスタオルをかぶせた。
そっと、素奈多の手を取って立ち上がらせる。
素奈多は、ソファに寝かされたクランを振り返る。
クランは、学生たちにタオルで雨水を拭かれたり、血圧を測られたりしていた。
彼の周りで慌ただしく人が動いている。
指示を飛ばす声と何かの数値を読み上げる声だけが響いた。
移植外科実験室の中は、空気がピンと張りつめていた。
窓際の医療器具が並んだカウンターの側の事務用椅子に素奈多は座らされた。
「先輩、めちゃめちゃヤバイですよ……」
四年の田中が、わかりきったことをつぶやく。
素奈多は、浅く息をついた。
「身勝手なのは判ってます。でも、あたし、彼に生きていてほしいの。クローンかもしれないけど、失敗作かもしれないけど、でも、どうしても失いたくない! 九嵐先輩、お願いします! どうか、彼を助けてくださいっ!」
最後の方は、絶叫に近かった。
素奈多にできることは、こんな例を見たことがあるだろうこの研究室の力にすがることだけだった。
九嵐は、ゆっくりとクランのもとに歩み寄った。
「君は、石井ケミカルUT8のウテルス・カプセルから産まれたのか? 実験室でさえ発生率は三十パーセントそこそこだというのに……正直、驚いた」
ソファの傍にしゃがみこんだ九嵐にニッと笑って、クランはうそぶいた。
「おまけに、期限切れだったけどな……」
期限切れと聞いて、田中が口を挟む。
「佐藤先輩。あのロットは個体発生率が高くて廃棄したヤツですよ」
九嵐は思い当たるフシがあるとばかりにうなずいて、クランに向き直った。
「ああ……、そうか。では、君には緊急措置としての初期教育が施されているはずだな?」
「判ってるって……」
クランは薄く笑ってうなずいた。
「あのさ、あいつのことは許してやってくれよな。こんなことが表沙汰になったら、あんたらも困るだろう?」
「まあ、そうだな……」
「佐藤九嵐、あんたに頼みたいことがある」
クランは静かに言った。
九嵐は目を細める。
「延命か?」
クランはかぶりを振った。
「いや……。俺が死んだら、遺体を処理してほしい」
「なに言ってんのよっ!」
素奈多は悲鳴のように叫んで立ち上がった。
ソファに駆け寄り、周りの学生をかき分けて、クランを護るように抱きついた。
「あんたは死んじゃ駄目なのっ! 駄目なんだったらぁっ!」
自分に抱きついて泣きじゃくる少女の頭を優しく撫でて、クランはわざとおどけたように言った。
「まさかな~、こんな頼りねーヤツのマンションに、クローンの遺体、転がしとくわけにゃ、いかねーだろ?」
九嵐は立ち上がり、ひとつ息をついた。
「なるほど。医療廃棄物処理のずさんさを、マスコミにつつかれるのがオチだな」
「だろ? ひとつ、同じ遺伝子のよしみで頼むわ、九嵐」
九嵐はうなずいた。
「……心得た」
「さんきゅー」
素奈多は、ポロポロと涙を流しながらわめいた。
「いやぁっ! 嫌よ! なに、勝手に、死んだあとの相談してるのよっ! あたしは、そんなこと頼みに来たんじゃないわっ!」
素奈多は、バッと立ち上がると、さっきまで座っていた窓際の椅子の近くに置いてあった、よく切れそうな薄い刃物を手に取った。
ディスポーザブルのメスだった。
素奈多は、自分の喉元にそれを突きつけ、懇願するように言った。
「おねがい……。クランを助けて……。代わりに、あたしの命、あげるから……。クランが助かるなら、あたし、死んでもいいから……」
「素奈多!」
ガバッと半身を起こし、クランが、叫んだ。
九嵐も、説得するように優しく言う。
「ばかなことはやめたまえ。クローンに設定された寿命は、どうすることもできないんだ」
素奈多は、ゆらゆらと首を振った。
「どうして? クローンだって生きてるでしょ? 感じてるでしょ? 心、あるでしょう? ねぇ、先輩。クランはクローンだけど、ちゃんと意志を持ってるの。先輩のクローンだけど、先輩とはぜんぜん違うんです。でも、違うってことが、あたし、嬉しい。彼はクローンかもしれないけど、間違いで生まれたかもしれないけど、だけど……」
「素奈多……」
クランは、ゆらりと立ち上がった。
立ち上がると、ものすごい頭痛と眩暈に襲われた。
「だけど、あたし、クランが好きだから……。とっても大事だから……。先輩に似てるからじゃなくて、クランは、クランだから……。他のだれでもない、たったひとりだから……。でも、あたしにはどうすることも出来ない。わがまま通すには、こうするしか……!」
素奈多はぎゅっと目を閉じると、息を詰めて両手で握ったメスを左の首筋に突き立てた。
よく切れる刃物が皮膚を切り裂くときの痛みは、チャリチャリっていう感じなんだな、と妙に冷めた頭の隅でそんなことを思った。
「素奈多っ!」
クランが叫んだ。
室内のみんなが息を飲んだ。
絶妙のタイミングでクランはメスの刃先を握って、素奈多から強引に引き剥がした。
首の皮一枚と皮下組織を指し貫いたところで、メスは素奈多の手を離れた。
泣きべその素奈多の頬に、真っ赤な血飛沫が飛ぶ。
それは、思いっきり刃先を握りしめたクランの右手から流れた鮮血だった。
「ばかやろうっ!」
クランは、素奈多を抱きしめた。
床に、血のついたメスがカランと落ちる。
クランは、素奈多を抱きしめたまま、激しく咳き込んだ。
そして大量の血液を喀血して、その場にくずおれた。
「クラン……?」
腕の中でぐったりと動かなくなってしまった血だらけの男を抱きしめて、素奈多は狂ったように泣き叫んだ。
「クラン! クラン! クランっ!」




