第33話 罪の告白
医学部付属病院の自己移植外科研究室のプレートがかかったドアの内側では、休日の夜中にもかかわらず、佐藤九嵐が顕微鏡に向かっていた。
研究室には九嵐を初め、研究員と学生が数名いるだけだった。
ドアが、乱暴にノックされた。
四年生の田中がドアを開けようと入り口に近づいたとき、ドアはひとりでにバンと開いて、一人の女の子が現れた。
思い詰めた顔をした、びしょ濡れの女の子だった。
胸に、サーモンピンクの丸い物を大事そうに抱えている。
ミニスカートから覗く足に、怪我をしていた。
雨に洗われた血の痕が生々しかった。
「うわっ! き、きみは……?」
四年の田中は、驚いてのけぞった。
「高等部二年の鈴木素奈多です。三年前に事故で入院して、九嵐先輩にお世話になりました」
素奈多は、まっすぐに九嵐を見て、挑みかかるような勢いで言い放った。
突然、乱入してきた少女の剣幕に圧倒されて、九嵐は曖昧な返事を返す。
「あ、ああ、そう……」
その九嵐の反応で、彼が三年前の外科実習のときのことなどなにも覚えてないことを、素奈多は思い知った。
――先輩……覚えてないんだ……あたしのことなんか……ぜんぜん……。
チクンと胸の奥が痛んだ。
でも、今はそれどころではない。
「それで、僕に何か?」
素奈多に向き直って、九嵐は落ち着いた声で訊いた。
ああ……。
クランと、同じ声だ……。
素奈多の胸は、キュッと痛んだ。
けれども。
同じ顔をしていても、同じ声でも、雰囲気がぜんぜん違う。
落ち着いた、物腰の柔らかい佐藤九嵐がそこにいた。
素奈多は、意を決した。
「あたし、ウテルス・カプセル、拾いました」
高等部の少女の口から、ウテルス・カプセルという言葉を聞いて、九嵐も後輩たちも互いに顔を見合わせる。
素奈多は、抱いていたカーディガンを九嵐に差し出した。
「見てください。あたしが作ったクローンです」
素奈多は、九嵐の目を見て静かに言った。
室内が、水を打ったように静まりかえる。
九嵐は、ずっしりと雨で濡れて重くなったカーディガンの包みを受け取った。
実験台にそれを置いて、そっとカーディガンをめくる。
ニセキジの死体が現れた。
室内がどよめいた。
「これは、裏に棲み着いてる野良猫じゃないか?」
「いや、だけど、死んでる」
「悪い冗談だ」
口々に、戸惑いの声が飛び交った。
「それでっ!」
素奈多は、そのざわめきを抑えるように、大声を張り上げた。
「外にもうひとり、居るんです! あたしだけじゃ連れてこれないから、手を貸して下さい!」
「もうひとり?」
ひとり、とは、通常、人間を指す単位だ。
室内が再びどよめいた。
誰もが、嫌な予感にさいなまれたに違いない。
「案内してくれ」
九嵐は、いち早く事態を察したのか、素奈多を促した。
「田中、山本、着いてきてくれ」
後輩に命じる。
素奈多は、三人を連れて、裏手の昇降口へ出た。
雨の降りしきるゴミ捨て場……。
そこに、一人の男が倒れていた。
九嵐は、一瞬、驚いて息を飲み、雨に濡れるのもかまわず男の元へ駆け寄った。
田中も山本もあとに続いた。
「おい、君っ!」
倒れている男を揺り動かす。
クランは、ゆっくりと目を開けた。
九嵐の顔色が変わった。
その場の誰もが唖然として言葉を失った。
ゴミ捨て場に倒れていたずぶ濡れの男に、視線は釘付けである。
佐藤九嵐のクローンが、そこに居た――。
クランは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ニッと笑った。
「よぉ」
ぞんざいな挨拶をする。
だが、それだけでこの研究室の人間には、事態は充分に飲み込めた。
九嵐は、クランの腕を自分の肩に回して引き起こす。
田中も反対側の腕を肩に担いだ。
「早く研究室に運ぼう」
田中も山本も、黙々と従った。
言葉さえ出ない様子だった。
研究室の誰もが説明しなくても事態を把握してくれたようなので、素奈多はほっとした。
さっき、研究棟を見上げたとき、九嵐の研究室の灯りがついているのが見えた。
日曜日でもお構いなしに研究室に詰めているのは、逆にありがたかった。
だけど、いきなりつまみ出されたらどうしようかと思っていた。
彼らは、恐怖とも戸惑いとも混乱とも取れる表情のまま、粛々とクランを研究室に運んだ。
きっと、これは、想像以上に大変な事態なのだ。
猫のクローンで済んでいれば、ここまで彼らは深刻な表情をしていないだろう。
人間をひとり、創ってしまった。
それがどんなに恐ろしいことなのか。
どんなに罪深いことなのか……。
素奈多は、自分は死刑になるのかもしれない、と思った。
でも、たとえ自分がどうなっても、クランを助けたかった。
なんとかして、クランを、助けたかった……。
だから、この選択に悔いはない。




