第31話 素奈多
素奈多は、走っていた。
雨に濡れるのもかまわずに、家に向かって走っていた。
両親をホテルに戻らせて、今日は宿題がいっぱい……。
とかなんとか言いつくろって、早々に別れてきた。
食事の味なんか感じなかったし、話の内容も覚えていない。
今はただ、クランのことしか考えられなかった。
クラン……。
クラン……クラン……クラン!
マンションのドアを開けた。
「クラン!」
狭い部屋だ。
一目で、誰も居ないのがわかる。
もしかして、素奈多たちが家を出たあと、戻ってきているんじゃないかと、期待していた。
雨だったし、ニセキジと一緒だったし、非常階段で待っているんじゃないかって……。
非常階段!
素奈多は、すぐに非常階段に走った。
そのまま階段を駆け下りる。
いない……いない……いない……いない……。
クランは、どこにも居なかった。
「もうっ! どこ行ったのよ!」
雨の中、怒鳴り散らした。
だけど、その怒声は、雨の音にかき消された。
素奈多は、あてもなく走り出した。
クランが行きそうなところ?
どこ?
ぜんぜん見当がつかない。
携帯を持たせていなかったのを、死ぬほど後悔した。
でも、未成年が携帯を勝手に契約できるんだろうか?
わからない。
わからない……。
素奈多は、自分が、何もわからない子供なんだということを、嫌というほど思い知った。
そういえば、昨日もびしょ濡れだった。
二人して、海の水を頭から浴びていた。
だけど、あのひとときは、幸せだった。
あんな、あたたかな、とろけるような想いに抱かれる事があるのだと……。
初めて知った。
それを教えてくれたのは、クランだ。
離れるんじゃなかった……。
胸が潰れるほどの後悔に襲われた。
あのとき、一緒に非常階段から逃げてしまえば良かったんだ。
鍵を開けておけば、両親は勝手に部屋に入るだろう。
そうすれば良かった。
クランと一緒に、どこかに行けば良かった。
クランを、一人にしなければ良かった!
どこか、ファミレスででも雨宿りしているだろうか?
いや、猫が一緒では無理だ。
猫を連れて、休める所なんて……。
どこ!?
そんなの、都会には、どこにもない!
走りながら、素奈多は泣き出した。
涙で前がよく見えなくて、歩道のタイルに足を引っかけてつんのめった。
水たまりにヘッドスライディングした。
膝小僧をすりむいて、血がにじんだ。
素奈多は、泣きながら腕を突っ張って、立ち上がった。
なんだこれは?
どこかの映画のワンシーンか?
あまりに、滑稽で、あまりに、情けない。
きっと、映画なら、感動して泣くシーンに違いない。
だけど、出るのは悔し涙だ!
自分自身への、怒りの涙だ!
クランと行ったことのある場所は、あらかた走り回った。
どこにも、クランの姿はなかった。
「どこ行っちゃったのよう……」
なんだかわからない不安が、頭の隅にこびりついていた。
イレギュラー……。
イレギュラーな存在は、どうなるのだろう?
素奈多は、ぷるぷると頭を振った。
そんなことをゆっくり考えている場合じゃない。
探さなきゃ……。
クランを、探さなきゃ……。
さっき転んだときに、打ったのだろう。
左の腰が痛んだ。
腰というか、骨盤のでっぱりの所だ。
きっと青たんになるんだろう。
すりむいた膝も痛い。
素奈多は、もう走れなくて、ずるずると足を引きずるようにして雨の中をさまよった。
自分がどこを歩いているのか、わからなかった。
気がつくと、先輩の研究室がある研究棟の裏だった。
毎日通っていたので、自然と足が向いたのかもしれない。
あの卵を拾ったゴミ捨て場だった。
――え?
そこに、人型のものが捨てられていた。
積み上げられたゴミの詰まったビニール袋の上に、無造作に。
マネキン?
まさか、死体?
でもなんで?
素奈多は、ゴクリと生唾を飲み込み、その人型に近づいた。
捨てられた人型のものは、見覚えのある大仏のTシャツを着ていた。
「クラン!」
悲鳴のような声で名前を呼び、素奈多はゴミの中に埋もれた男に取りすがった。




