第28話 クラン
ニセキジのくるまったサーモンピンクのカーディガンを大事そうに胸に抱き、クランはゆっくりと非常階段を降りていた。
少し、夢を見すぎたかもしれない……。
クランは、三階の踊り場で、ため息をついてその場に座り込んだ。
ウテルス・カプセルの培養課程で施されるインプリンティングは徹底している。
素奈多には言わなかったが、最初から判っていたことだった。
さっき、カリカリの入った皿を持って、クランはニセキジを捜していた。
いつもは「ごはんだよ」と言うと飛んでくるのに、その気配すらない。
さんざん捜して、素奈多のベッドの下をのぞき込むと、ニセキジは、いつものようにお気に入りのこのカーディガンを引っ張り込んで、素奈多の匂いに包まれて眠っていた。
カリカリの皿を置いて、そっとニセキジに触れてみた。
ひやりと冷たい。
クランは、浅くため息をついた。
「そっか……。おまえもかよ……」
来客を知らせるインターフォンの応対をしていた素奈多には気づかれなかった。
クランは、そっとニセキジを抱き上げた。
お気に入りのカーディガンで優しく包んであげた。
体がこわばりかけていて、まるで猫の置物を抱いているようだった。
予期していたとはいえ、さすがにニセキジの死はダメージが大きかった。
とても、素奈多に知らせる勇気が出なかった。
おあつらえ向きに、というか、素奈多は、両親が来たと言って慌てていたので、ニセキジを連れて外に出ることにした。
「ひとりで……逝かせて……ごめんな」
クランは、踊り場に座り込んだまま、ニセキジを抱きしめてその耳元でささやいた。
ニセキジは、2日前に作ったと素奈多が言っていた。
だとすれば……。
多少の誤差があるとしても、もうすぐだ。
今日か、明日……。
もって、明後日……?
昨日、温泉宿で死体にならなくて良かった、と心の底から思った。
そんなことになっていたら、素奈多に多大な迷惑がかかってしまう。
猫ならばまだしも、人間の死体が転がっていたら、どんな言い訳をしたって警察行きだ。
ニセキジも、自分の死に場所を求めてさまよった挙げ句、ベッドの下、大好きな素奈多のカーディガンに包まれて、こときれたのだろうか……。
死に場所……。
猫はまだいい。
人間の形をしていれば、それがたとえクローンだとしても……。
どこで死んでも、不審死だ。
見つかれば事件になる。
クランは、ゆらゆらと頭を振った。
少なくとも、ここで、素奈多のマンションの階段で、死んで腐るわけにはいかない。
クランは、ゆっくりと立ち上がった。
心なしか、体が鉛のように重かった。
背中が、ゾクリと震える。
今まさにその瞬間が訪れてもおかしくはない。
離れなければ……。
少しでも、素奈多の居る場所から……。
変死体として発見されるならせめて、素奈多に関係のないところで……。
誰も知らないところで……。
マンションの外に出ると、小雨が降り出していた。
ふと、頭の中に、何かの薬品を調合して、人体を、骨も残さず溶かしてしまう死体処理屋が浮かんだ。
確か、外国のドラマだったか……?
そう。
シチューメイカーだ。
そんな異名を持つ死体処理のプロフェッショナルだ。
人間を、ドロドロのシチューにしてしまうなんて、ゾッとしない。
はて?
これは誰の知識だろう?
素奈多が卵に髪の毛を入れたという、佐藤九嵐の知識だろうか?
だとしたら、こんな卵の研究をしている佐藤九嵐も、なかなかのマッドサイエンティストだ。
いやいや。
髪の毛が記憶を持っているわけがない。
と考えて、クランは、喉の奥でククッと笑った。
今はとにかく、シチューメイカーでもマッドサイエンティストでもいいから、素奈多の知らないところで、ひっそりと消えてなくなれたら……。
それだけを考えて、ニセキジを抱きしめたまま、雨の中を歩き続けた。
素奈多……。
素奈多……。
ありがとう。
君が、好きだったよ……。
知らずこぼれた涙を、雨がいっしょに流してくれるようだった。




