第18話 飛ぶサンダル
素奈多は、泣きながら駅に通じる裏通りを歩いていた。
このへんは、あまり治安がよくないので、いつもは通らない道だった。
「どこ行っちゃったのよ……」
落ちている空き缶を蹴飛ばした。
空き缶は、カラカラと転がって、ちょうどゴミステーションに収まった。
「なんで、あたしが泣かなきゃなんないのよ……」
すすり上げながら、己の身に起こった不条理に毒づいた。
素奈多は、あいつのために泣いている自分が許せなかった。
知らず知らずの間に、思い上がっていたのだ。
あいつは、自分だけの存在だと思っていた。
でも。
彼が先輩のコピーであるというだけで、普通の人間と変わらないならば、自分以外の他の女の子と恋に落ちることだってあるはずだ。
花南といっしょに出ていってしまった後ろ姿を見送って、そんな畏れに捕らわれた。
さんざんぼろくそに言ったうえに、ちっとも優しくしてあげなかったのに、それでも誰かに渡すのは嫌だと思った。
――あたし、嫌な子だ……。
そう思い知るのがもっと嫌だった。
あたしが好きなのは先輩なのよ。
あんなできそこないのクローンなんか……。
あんな、乱暴で、意地悪で、エッチなヤツなんか……!
否定すれば否定するほど、涙が出てきた。
悔しいことに、その涙が止まらなかった。
もう、自分が何を考えて、どういう気持ちなのかわからなくなっていた。
そこへ、だらしない服装をした若者がふらりと現れた。
素奈多の行く手を遮るように立って、声をかけてきた。
「彼女、誰に泣かされたの? 彼氏とケンカでもした?」
素奈多がハッとして見上げると、鼻と唇にピアスをした男だった。
いや、ピアス自体は珍しくもない。
問題なのは、強烈なアルコールの匂いだ。
なんとなく、ほかの危ない薬もやっているかもしれないと思った。
素奈多はあわてて、もときた道を戻ろうとした。
が、後ろにも、いつのまにか男が二人、通せんぼをするようにまわりこんでいる。
いずれも若い男だった。
ポケットに手を突っ込んでいるヤツは、もしかしたら刃物を出す準備をしているのかもしれない。
「俺が、慰めてあげるよぉ~」
男の一人が素奈多の腕を掴んだ。
「やだ。離してっ!」
素奈多は必死に振り払おうと、もがいた。
「悪いヤツだなぁ、こんなに可愛い子を泣かすなんてなぁ」
抱きつこうとする男の手を、必死に素奈多は押しのける。
「やめてったら!」
素奈多は泣きながら抵抗した。
暗くなってから、よりによってこの裏通りを通ったのは自分の不注意だった。
誰のせいでもない。自分が莫迦だったのだ。
誰かに口を押さえられた。
反射的に、その手に噛みついた。
男が悲鳴を上げた。
「こいつ!」
ニヤついていた男がキレた。
殴られると思って、素奈多は目をかたく閉じて首をすくめた。
「たすけて……!」
怖くて、震えて、かすれた声しか出なかった。
――助けて、クラン!
心の中では、そう叫んでいた。
ドガッ!
人間が殴られる音というのは、腹の底に響くような嫌な音だ。
あれっ、と思って素奈多は目を開けた。
どこも痛くないし、衝撃も受けていない。
「うらぁ! の野郎っ!」
キレた男たちが、誰か別の人に向かって拳を振り上げていく。
ばきっ!
素奈多の目の前に、酔っぱらった若者が白目をむいて飛んできた。
あわてて道の横に避難する。
と、白目をむいた若者に遅れて、見覚えのあるサンダルも飛んできた。
サンダル?
「ぐえっ!」
もう一人も蹴り飛ばされて、道の脇のゴミステーションに沈んだ。
ゴミが舞い上がる。
酔っぱらいとはいえ、あっという間に三人をのしてしまった男のシルエットが、闇に浮かび上がった。
素奈多は、茫然として立ちつくした。
足がガクガクして、その場から動けなかった。
素奈多がその場に硬直しているので、男はケンケンしながら近寄ってきた。
ケンケン……。
さっき飛んできたサンダルが、素奈多の足元に落ちていた。
そういえば、靴のサイズがわからないので、とりあえずLサイズのサンダルを買って来たことを思い出した。
男は、素奈多の足元のサンダルをはき直した。
街灯の明かりに、その表情が照らし出される。
「ク……ラン……」
素奈多は、涙声でつぶやいた。
漫画みたいなシーンに颯爽と登場して悪漢をノシしてしまったのが、あの、とぼけたクランだった。
クランは、ひょいと左手を差し出した。
「はい。おみやげ」
「え?」
素奈多は、クランの差し出された左手から繋がったヒモを見上げた。
彼の頭上に、赤い風船が揺れていた。
「えっと……。ごめんな」
クランは、指先で素奈多の頬を拭った。
「やっぱり、泣いてたんだ……」
素奈多は涙を隠すように顔をうつむける。
「な、泣いてなんか……」
「とにかく、ごめん」
クランは、少し乱暴に素奈多の頭を抱き寄せた。
ちょうど、素奈多の耳がクランの胸に当たる。
――あ……しんぞーの音……。
規則正しい鼓動が、震えていた素奈多を安心させた。
「クラン……」
素奈多は、クランの胸に頭をあずけたまま、目を閉じた。
「あたし、クランのこと呼んでた……。助けてって」
クランは、素奈多の頭をよしよしと撫でる。
「また茶化したこと言いそうだから、黙ってるな……、俺」
素奈多はクスッと笑った。
「そうだね。ケンカしたくないよね、今は……」
驚くほど素直に自分の気持ちが言えたので、素奈多は楽になった。
本物だ、ニセモノだとこだわることなどないのかもしれない。
気持ちが動いた瞬間を見のがさなければ、それでいい。
「ありがとう。クラン……」
「おうよ」
「来てくれて、嬉しい……」
素奈多は彼と出会ってから初めて、素直になれたような気がした。
肌を寄せ合って歩く家までの道が、ずっと続けばいいと思った。




