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合わせ鏡が描く天弓(にじ)~卵から憧れのイケメン先輩が生まれちゃったんだけど、セーカクサイアクで困ってます  作者: 東條零
第三章 マドリガーレを唄う風船

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第18話 飛ぶサンダル

 素奈多は、泣きながら駅に通じる裏通りを歩いていた。


 このへんは、あまり治安がよくないので、いつもは通らない道だった。


「どこ行っちゃったのよ……」


 落ちている空き缶を蹴飛ばした。

 空き缶は、カラカラと転がって、ちょうどゴミステーションに収まった。


「なんで、あたしが泣かなきゃなんないのよ……」


 すすり上げながら、己の身に起こった不条理に毒づいた。


 素奈多は、あいつのために泣いている自分が許せなかった。


 知らず知らずの間に、思い上がっていたのだ。

 あいつは、自分だけの存在だと思っていた。


 でも。

 彼が先輩のコピーであるというだけで、普通の人間と変わらないならば、自分以外の他の女の子と恋に落ちることだってあるはずだ。


 花南といっしょに出ていってしまった後ろ姿を見送って、そんな畏れに捕らわれた。

 さんざんぼろくそに言ったうえに、ちっとも優しくしてあげなかったのに、それでも誰かに渡すのは嫌だと思った。


 ――あたし、嫌な子だ……。


 そう思い知るのがもっと嫌だった。


 あたしが好きなのは先輩なのよ。

 あんなできそこないのクローンなんか……。

 あんな、乱暴で、意地悪で、エッチなヤツなんか……!


 否定すれば否定するほど、涙が出てきた。

 悔しいことに、その涙が止まらなかった。

 もう、自分が何を考えて、どういう気持ちなのかわからなくなっていた。



 そこへ、だらしない服装をした若者がふらりと現れた。

 素奈多の行く手を遮るように立って、声をかけてきた。


「彼女、誰に泣かされたの? 彼氏とケンカでもした?」


 素奈多がハッとして見上げると、鼻と唇にピアスをした男だった。

 いや、ピアス自体は珍しくもない。


 問題なのは、強烈なアルコールの匂いだ。

 なんとなく、ほかの危ない薬もやっているかもしれないと思った。


 素奈多はあわてて、もときた道を戻ろうとした。


 が、後ろにも、いつのまにか男が二人、通せんぼをするようにまわりこんでいる。


 いずれも若い男だった。

 ポケットに手を突っ込んでいるヤツは、もしかしたら刃物を出す準備をしているのかもしれない。


「俺が、慰めてあげるよぉ~」


 男の一人が素奈多の腕を掴んだ。


「やだ。離してっ!」


 素奈多は必死に振り払おうと、もがいた。


「悪いヤツだなぁ、こんなに可愛い子を泣かすなんてなぁ」


 抱きつこうとする男の手を、必死に素奈多は押しのける。


「やめてったら!」


 素奈多は泣きながら抵抗した。

 暗くなってから、よりによってこの裏通りを通ったのは自分の不注意だった。


 誰のせいでもない。自分が莫迦だったのだ。


 誰かに口を押さえられた。

 反射的に、その手に噛みついた。

 男が悲鳴を上げた。


「こいつ!」


 ニヤついていた男がキレた。

 殴られると思って、素奈多は目をかたく閉じて首をすくめた。


「たすけて……!」


 怖くて、震えて、かすれた声しか出なかった。


 ――助けて、クラン!


 心の中では、そう叫んでいた。


 ドガッ!


 人間が殴られる音というのは、腹の底に響くような嫌な音だ。


 あれっ、と思って素奈多は目を開けた。

 どこも痛くないし、衝撃も受けていない。


「うらぁ! の野郎っ!」


 キレた男たちが、誰か別の人に向かって拳を振り上げていく。


 ばきっ!


 素奈多の目の前に、酔っぱらった若者が白目をむいて飛んできた。

 あわてて道の横に避難する。


 と、白目をむいた若者に遅れて、見覚えのあるサンダルも飛んできた。


 サンダル?


「ぐえっ!」


 もう一人も蹴り飛ばされて、道の脇のゴミステーションに沈んだ。


 ゴミが舞い上がる。


 酔っぱらいとはいえ、あっという間に三人をのしてしまった男のシルエットが、闇に浮かび上がった。


 素奈多は、茫然として立ちつくした。

 足がガクガクして、その場から動けなかった。


 素奈多がその場に硬直しているので、男はケンケンしながら近寄ってきた。


 ケンケン……。


 さっき飛んできたサンダルが、素奈多の足元に落ちていた。

 そういえば、靴のサイズがわからないので、とりあえずLサイズのサンダルを買って来たことを思い出した。


 男は、素奈多の足元のサンダルをはき直した。

 街灯の明かりに、その表情が照らし出される。


「ク……ラン……」


 素奈多は、涙声でつぶやいた。


 漫画みたいなシーンに颯爽と登場して悪漢をノシしてしまったのが、あの、とぼけたクランだった。


 クランは、ひょいと左手を差し出した。


「はい。おみやげ」

「え?」


 素奈多は、クランの差し出された左手から繋がったヒモを見上げた。


 彼の頭上に、赤い風船が揺れていた。


「えっと……。ごめんな」


 クランは、指先で素奈多の頬を拭った。


「やっぱり、泣いてたんだ……」


 素奈多は涙を隠すように顔をうつむける。


「な、泣いてなんか……」

「とにかく、ごめん」


 クランは、少し乱暴に素奈多の頭を抱き寄せた。


 ちょうど、素奈多の耳がクランの胸に当たる。


 ――あ……しんぞーの音……。


 規則正しい鼓動が、震えていた素奈多を安心させた。


「クラン……」


 素奈多は、クランの胸に頭をあずけたまま、目を閉じた。


「あたし、クランのこと呼んでた……。助けてって」


 クランは、素奈多の頭をよしよしと撫でる。


「また茶化したこと言いそうだから、黙ってるな……、俺」


 素奈多はクスッと笑った。


「そうだね。ケンカしたくないよね、今は……」


 驚くほど素直に自分の気持ちが言えたので、素奈多は楽になった。


 本物だ、ニセモノだとこだわることなどないのかもしれない。

 気持ちが動いた瞬間を見のがさなければ、それでいい。


「ありがとう。クラン……」

「おうよ」

「来てくれて、嬉しい……」


 素奈多は彼と出会ってから初めて、素直になれたような気がした。


 肌を寄せ合って歩く家までの道が、ずっと続けばいいと思った。


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