第16話 不可能なトライアングル
素奈多は、花南を連れてマンションに戻った。
実物を見てみないと信じられないと言われれば、実に全くごもっともで、証拠を見せなければならなくなったわけだ。
「ただいまぁ~」
ビミョーな声で帰宅を告げると、ニセキジが部屋の奥から走ってきて、素奈多に飛びついた。
「わ! 花南、早く入ってドア閉めて。外に逃げ出したら大変なことになっちゃう」
「猫? キジタロー?」
花南は、慌てて室内に入り、玄関のドアを後ろ手で閉めた。
「おっかえり~。暇すぎて死にそう。ゲームか何かないの?」
言いながら、だらだら出てきたのは、素奈多のスエットを着たクランだ。
「ええー!?」
花南は、想像通りの反応をする。
そりゃあそうだ。
一目見ただけでわかる。
外見は、どこからどう見ても佐藤九嵐先輩なんだから。
「わぁ、可愛いじゃん? 素奈多の友達?」
クランは、無邪気に言い放つ。
「可愛いなんて……えへへ」
花南は単純だ。
「さあさあ、上がって上がって。素奈多、お茶」
って、誰の家だよ!?
素奈多がギロリとクランを睨んだが、そんな視線をものともせず、クランは花南の手を引いて室内へ連れ込んだ。
あぁ!?
お帰りも言わずに、お茶?
あ、いや、お帰りは言ったか……。
素奈多は、なんとも言えぬ敗北感にさいなまれながら、手を洗って、コーヒーの準備を始めた。
にゃあん。
そんな素奈多を慰めるように、ニセキジが足元で可愛く鳴く。
くくぅ~。あたしの気持ちをわかってくれるのは、お前だけだよ……。
ニセキジをなでなでして、素奈多は怒りを鎮めた。
素奈多がコーヒーをいれている間に、花南は興味深そうにクランにあれやこれやと質問していた。
「ほんと、そっくりなのねぇ。生き写しってのはこのことかぁ……」
「花南って、すげぇ順応性あるのな? 素奈多なんか、最初、驚いてベッドから転がり落ちたんだぜ」
クランは素奈多を肴にカラカラ笑って盛り上がっている。
素奈多は、怒りの拳をぐぐっと握りしめた。
「そりゃ驚くよ。普通、卵から人間は生まれないもの」
「ははぁ。まあ、そりゃそうかもな」
花南は、クスッと笑った。
クランは、そんな花南の表情をじっと見つめる。
「花南って、怒りんぼの素奈多より、やっぱりかわいい」
ニコッと天使の笑顔でクランは微笑んだ。
ごいん!
「てっ!」
クランの背後に、トレイを片手に抱えた素奈多が仁王立ちしていた。
右手の拳が燦然と輝いている。
「誰が、怒りんぼですって?」
猫なで声を作って、素奈多はクランに言った。
クランは、あちゃーという顔をして首をすくめた。
「おまけに凶暴……」
「もうっ!」
もう一度、素奈多は拳を振り上げた。
そんな様子を見て、花南は楽しそうに笑い続ける。
「先輩とぜんぜん違うんだぁ。でも、あたしは、このクランくんのほうが好きだな」
そんな花南のなにげない一言で、素奈多の心臓はドキンと跳ねた。
「えっ?」
握りしめた拳を宙に浮かせたまま、素奈多は所在なげに手をひっこめる。
とりあえず、いれてきたコーヒーをテーブルに置いた。
「だろ~? 話わかるじゃん。俺なんかよー、突然、こんなとこに産まれちゃって、けっこう可哀想な身の上な訳よ。なのに、こいつときたら、てんで冷てーの」
クランは味方を得たりとばかりに、花南に不幸な身の上を強調する。
素奈多は、ぷうっと頬を膨らませた。
「それは、あんたが変なことばかりするからでしょっ!」
「悪気があったわけじゃねーだろう? 俺だって、いろいろ気ぃつかってんだぜ?」
「……かもしれないけどっ……」
素奈多は恨めしそうにクランを睨む。
「まあ、確かに、産まれたと思ったら二二歳で、知らないコの家に居候じゃ、ストレス溜まるよね。クランくんの言い分も判るな、あたし」
「花南……」
クランは、大喜びで「そうそう」とうなずいた。
花南は、ポンと手を叩く。
「よしっ! じゃあ、今日はあたしがおごってあげるっ! ぱぁ~っと遊ぼうよ。ぱぁ~っと」
「マジマジっ?」
狭いマンションから出られないと思っていたクランは、大いに喜んで身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと、花南……」
あわてて、素奈多が花南の腕を引っ張るが、花南は、一度言い出したら後へは引かないタイプだ。
「いいじゃない。少しくらい。クランくんの気持ちも考えてやらなきゃあ。これじゃまるで、かごの鳥よ」
あれよあれよという間に、外に遊びに行く算段になってしまった。
素奈多は、意外な展開にとまどって、花南とクランが盛り上がるのを茫然と見ていた。
「んじゃ、善は急げ。行こうぜ、花南」
クランは、背もたれを前にしてまたがっていた椅子から立ち上がり、ソファの花南を促した。
花南も、二つ返事で立ち上がる。
素奈多は立ち上がった二人をかわるがわる見比べた。
「ちょ、ちょっと、なによ、あたしを置いてく気?」
クランが、おや? という目で素奈多を見下ろした。
「あ~らら? なぁに、ずーずーしーこと言ってんの? 俺は花南とデート。おまえは、俺とぜんぜん違う大好きな先輩の写真にちゅーでもしながら留守番してな」
相変わらず、素奈多の逆鱗に触れる物言いは天下一品だ。
それが、憧れの先輩と同じ顔同じ声で言われるのだから、素奈多には余計にカチンとくる。
素奈多はシュンと頭に湯気をたてて怒った。
「なによっ! あんたなんか、もう、帰って来るなっ!」
ソファのクッションをひっつかんで、思いっきりクランに投げつける。
クッションを受け止めて、クランは軽薄に笑った。
素奈多の拗ねた様子に、花南は、やれやれと助け船を出した。
「ね、ねぇ、素奈多……。なに熱くなってんのよ……。ほら、いっしょに行こうってば」
花南は、ふてくされて座り込んだ素奈多の腕をとって引っ張った。
しかし、素奈多はガンとして動かない。
「まぁまぁ、行きたくないってもんを無理に誘うことねぇって」
クランは、投げつけられたクッションを素奈多に抱かせるように手渡して、心配顔の花南を抱き寄せた。
「じゃな、素奈多」
クランは、花南の肩を抱いたまま、廊下に出ていく。
花南は、素奈多を振り返り振り返り、クランに従った。
パタンと玄関のドアが閉じて、素奈多一人が取り残される。
「なによ……っ! なによなによなによなによっ!」
ヒステリックに叫んで、素奈多はクランから渡されたクッションを「ぐー」で思いっきり殴りつけた。
「ほんとに、置いてくことないじゃない! あたしだって、本気で帰ってこなくていいなんて思ってないのに……。いっつも意地悪言うから素直になれないんじゃないの! 莫迦クラン! ばかばかばかばか!」
クッションが、ボコボコだ。
「だいたい、花南も花南よ! なんで、あいつと行っちゃうのよ! なんで、あいつのこと、あっさり受け入れられるのよっ!」
素奈多は、机の上に飾られた、九嵐先輩の写真を見た。
クランが「ちゅーでもしてろ」と言った写真だ。
「先輩……。優しくて、礼儀正しくて、聡明な九嵐先輩……。あなたのクローンなのに、あいつったら、なんで、あんななの? どうして、いつもケンカになっちゃうの?」
ボコボコに殴ったクッションを抱きしめた。
抱きしめると、なんだか涙が出てきた。
どうして涙が出るのか判らなかった。
哀しいというよりは、悔しいような……。
悔しいというよりは、もどかしいような……。
そんな、複雑な涙だった。




